三の二 百々目鬼の警戒

 案内された部屋の中で、私は身を小さくして正座をしていた。私の隣には瑛太さんで、そのさらに隣に久坂さん。机を挟んだ向かいに、家主である男性が座っている。寺島さんはお茶を淹れに行ってしまった。

 本当は寺島さんのお手伝いをしようと思ったのだけれど、この場に残るようにと久坂さんに制止されてしまったおかげで、だいぶ居心地が悪いことになっている。


「まずはこの前の襲撃の件の報告から聞こう」

「はい。六体の妖が僕の幻術を破って、松華の自治区域へ侵入。奥への被害はなく、松華の被害も建物の倒壊および破損と、多少の怪我人で済んでいます」

「俺と高杉たかすぎの風に引っかからなかったのは、単純に敵の移動速度が速かったのと、あとは彼女に気を取られて俺たちの風の網が粗くなっていたせいかと」


 青年の促しに、久坂さんと瑛太さんがそれぞれに報告を口にする。久坂さんがちらりと瑛太さんの顔色を確認した後で、自分自身を右手で指し示した。


「念のために、幻術の強度を上げることも検討していますが……」

「久坂」


 瑛太さんが鋭い声で久坂さんを呼ぶ。その様子に何かを察したらしい青年が、やれやれと言わんばかりに額に手をやった。


「それはやめておけ。君の負担が重くなりすぎる。……おおかた吉田よしだ君と高杉にも、既に却下された後だろう」

「……かつらさんがそう仰るのでしたら」


 久坂さんが致し方なさそうに一つ頷く。

 ……あやし者の妖力は、容易に扱えるものじゃない。力を使えば体も心も疲弊するし、そうした消耗は破壊衝動に繋がりやすいとの記述も、古い文献にはあったりするくらいだ。

 ただでさえ久坂さんは、かなり強固な幻術で松華の自治区域の入口を守っている。これ以上は危険だと、それが瑛太さんや高杉さん、それにこの青年の判断なのだろう。


「それで、本題の彼女の件だが。……狩人を住まわせるとは、随分と危険な真似を勝手にしてくれたものだな」


 そんなことを考えていた私は、青年の意識がこちらへと向けられたことに気がつき、反射的に肩を跳ねさせた。


「すみません。ただ、中に入れてしまった以上は他の選択肢も……」

「そもそも正体も確かめずに松華の自治区域に引き入れた、高杉の責任ですよ」


 眉を下げた久坂さんの控えめな弁明に対し、瑛太さんがぴしゃりと言い放つ。


「瑛太。最初に確認しなかったのは僕たちも同じだよ」

「でも、一番悪いのは高杉だろう」


 私のせいで心の底から申し訳ない。肩身が狭くて仕方がなかった。


 悪気があったわけではないし、そもそも私には彼らを害するつもりなんて全くない。

 だけどそれでも、私は狩人なのだ。彼らにとって狩人の存在がどれほど危険なものなのか、もう少し考えてから慎重に動くべきだった。


 部屋の空気が重くなる。それを破ったのは、障子の向こうから聞こえた静かな声だった。


「……失礼します」


 するりと障子が開き、寺島さんが顔を出す。丁寧な手つきで湯呑みを机の上へと並べて、寺島さんは久坂さんの斜め後ろに腰を下ろした。


 良い茶葉を使っているのだろう。芳醇なお茶の香りと漂う湯気に、張り詰めていた空気がほんの少しだけ柔らかくなったような気がした。

 とはいえさすがに、この状況で堂々と湯呑みに口をつける度胸は私にはないけれど。


「高杉については、今度呼び出して私からも厳しく言っておく。……して効果があるとも思えないがな」


 ぽつりと独り言のように呟いた青年は、そこで真っ直ぐに私を見据えた。


「自己紹介が遅れてすまない。私はかつら小悟郎こごろう。萩の出身のあやし者で、久坂君たちの……まあ、後見人のようなものだ」

「あ、はい。私は――」

「知っているよ、真角理桜さん。狩人の大家、真角家の姫君。よもや一度あやし者に命を救われただけで、そのあやし者の生まれた村落を探しに訪れるとは。神黎館しんれいかんでの成績は随分と良かったようだが、数奇な道を選んだものだ」


 私の事情をつまびらかにする発言に思わず目を見開けば、桂さんはすっとご自身の右手を私へとかざした。

 その腕に、掌に、たくさんの黒い線が浮かび上がる。それらはまるで生きているかのようにざわざわとうごめいて、そしておもむろに開いた。


「っ⁉︎」


 それは、無数の眼だった。紅い瞳がまるで私の存在を見定めようとするかのように、一斉にこちらを射抜く。


「私は百百目鬼どどめきのあやし者だ。この眼で見れば、君の過去も、心も、全て見透かすことができる。――君が松華の者たちを傷つけようと考えたその瞬間に、私は君を敵とみなす」


 百百目鬼。そっか、だから久坂さんと瑛太さんが帝都に来る前、既に把握しているだろうけどと仰っていたんだ。確か百百目鬼なら、その無数の目を千里眼のように使って、遠くの様子を視ることもできるから。


「……はい、それで大丈夫です」


 このひとの腕にひしめく数多あまたの眼の前では、嘘偽りなんて何の意味も成さない。だから精一杯の誠意を込めて、真っ直ぐに桂さんの双眸を見つめ返した。私の気持ちをちゃんと、伝えることができるように。


「……」


 桂さんはじっと、私の表情を正面から観察していた。そうしてやがて、掲げていた腕を下ろす。皮膚に浮き出ていたいくつもの眼は、桂さんの意思に従うようにスッとその瞼を一斉に閉じた。


「この件はいったん君たちに預ける。無理はしてくれるなよ。危険だと判断したらすぐに頼りなさい」

「はい、お気遣いありがとうございます」

「……君のそれは、本当にわかっているのか微妙なところだな」


 朗らかに微笑んだ久坂さんに、桂さんが僅かばかり眉間に皺を寄せた。と、瑛太さんが凛とした声で言い添える。


「駄目だと思ったら久坂の判断なんて待たずに、俺がすぐ連絡しますから」

「そうだな。頼んだぞ、吉田君」


 何だろう。上手く言葉にできないけれど、久坂さんに対する瑛太さんと桂さんの信用値が絶妙に低いんだろうなということだけは、この会話から十分に理解できた。狩人である私なんかに、松華の自治区域での自由行動を認めている段階で、まあそれはそうだろうなと正直思うけれど。

 ちらりと久坂さんを窺えば、納得がいかないと言わんばかりの不服げな表情を浮かべていらっしゃる。余裕そうな雰囲気を崩すことのあまりない方という印象だったから、素直なその様子が少し意外に思えた。


「……さてと、じゃあ話はこんなもんで良いですよね。買い物に行こう、理桜さん。約束通り案内するよ」


 瑛太さんが私を促す。視線を向けた先は寺島さんだ。と、寺島さんは小さく頷いて立ち上がった。


「あ、はい。ありがとうございます。桂さんも、お邪魔いたしました。失礼します」


 桂さんへと頭を下げてから、瑛太さんと寺島さんと共に部屋を出る。

 久坂さんと桂さんは何か二人でお話でもあるのだろうか。けれどそれを尋ねることはさすがに踏み込みすぎているような気がして、結局その疑問は喉の奥へと呑み込んだ。

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