三章 あやし者と術士と

三の一 帝都へ

 私があやし者たちの村落に住まわせてもらうことになって、しばらくの時が経った。


 この辺りは周防山すおうやまの中にあるはぎという村落の一番入口に位置する、萩からはやや独立した自治区域なのだそうだ。

 自治区域に住むのは、倒幕のために戦うことを選んだあやし者たちのみ。今まで通りひっそりと暮らし続けることを望む、村落の奥に住まうあやし者たちと自身とを区別するために、彼らは対外的には『松華しょうか』と名乗っている。

 私を助けてくれたあのあやし者――吉田よしだ松印しょういんという名のその方が立ち上げた、倒幕のための組織の一員。それが彼らの素性らしい。


 村落の奥へ行くにはさらに複雑な経路を通る必要があり、松華の自治区域へ立ち入る際よりも厳重な仕掛けが数多くあるのだそうだ。

 萩の偉い方々にお伺いを立てた結果、村の奥にまで狩人を招くことはさすがに許容できないとの結論になったそうで、ひとまず私の自由は松華の自治区域に限られていた。それでも狩人にして師の仇でもある存在に対しては、十分すぎるほどの好待遇だと思うけれど。


真角ますみさん、少し良いですか?」

「はい、大丈夫です!」


 当座の生活拠点として貸し与えられた小さないおりの戸を叩く音に応じれば、久坂くさかさんと寺島てらしまさん、それに瑛太えいたさんが中へと入ってきた。


「実は今日、帝都ていとへ行く予定がありまして。貴女を誘いにきたんです」


 整った華やかな笑みを浮かべる久坂さんの横で、瑛太さんがちらりと室内を見渡す。


「松華には女の子がいないから、細々した物が手に入らないだろ? いろいろ買いたい物もあるんじゃないかと思って」


 見事なまでに殺風景な部屋の様子に何か思うところがあったらしく、微妙な表情でそんなことを口にされた瑛太さんへと、小さく首を傾げた。


「確かに小物とか欲しいなとは思っていましたけど。よくわかりましたね」


 男性はあまり、こういったところには興味がないのかと勝手に思っていた。両親が亡くなった後の私は神黎館しんれいかんの寮で暮らしていて、同じように寮生だった斎藤さいとうくんや沖田おきた先輩がたまに部屋を訪れていたけれど、二人とも私の部屋に飾ってある小物を見て首を捻っていたし。


「妹がいるんだよ。だからまあ、何となく」


 照れくさいのか私から視線を逸らして、ぶっきらぼうな口調で言う瑛太さんに、久坂さんが柔らかく顔を綻ばせた。


「女性への気遣いは、瑛太か俊介しゅんすけが得意ですから。何かあったら二人に言ってください」

「あ、はい。ありがとうございます」

「いや、俊介のあれは気遣いっていうか、半分以上口説いてるだけだから。玖一くいちさんのほうが気遣いは上手いよ、絶対」


 瑛太さんの呆れたような言葉に、思わず微苦笑が浮かぶ。俊介……私がこの村落を訪れた日に洞窟の前で出会った緑髪の彼、伊藤いとう俊介しゅんすけさんのことだ。

 女の子との関わりが薄いからか、伊藤さんはしょっちゅう「オレと付き合わない?」と言ってくる。もちろんそれがただの軽口なのは、ちゃんとわかっているけれど。


「それに、帝都で紹介したいひともいるので。特別な用事がないのなら、ぜひ一緒に来ていただけると助かります」 


 さらりと久坂さんがそんなことを口にする。紹介したいひと、というのは少し気になったけれど、断る理由もないので私は頷きを返した。


「はい、大丈夫です」


 一方、瑛太さんは久坂さんの言葉に胡乱うろんげに瞳をすがめる。


「紹介って……。ああ、そっか。いい加減ちゃんと報告しないと怒られるか」

「うん。まあ既に把握はしているだろうけどね。でも、だから説明なしで押し通しますってわけにもいかないだろう?」


 何やら自己完結したらしい瑛太さんに、久坂さんが軽く応じた。

 私には、その会話の意味はわからない。けれどお二人が説明をしないということは、私が知る必要はない内容なのだろうと判断し、突っ込んで聞くのはやめておいた。居候の身、それも久坂さんの温情だけで生かされている立場だということは、重々承知している。


「了解。じゃあ行こっか」


 淡い光が弾ける。次の瞬間、瑛太さんの姿はあやし者本来のものへと転じていた。

 黒い翼が背から広がり、着物は山伏のような装束へ。目尻に僅かに差された朱がつややかさを添える。――鴉天狗。それならば風を操れるのも当然だ。


「あれ? そっちで行くの?」

「運ぶのが三人だからね。万が一にも落とすわけにはいかないだろ」


 そのやり取りから察するに、どうやら帝都へは瑛太さんの風で飛んで行くらしい。普段は人の姿のままで飛んでいるけれど、人数が多いからより強い力を発揮できるあやし者としての姿に戻った、と。そういうことだろうか。


理桜りおさんは一応、俺に掴まって。久坂と寺島も気をつけろよ。二人とも空は飛べないんだから」

「はい、ありがとうございます」


 瑛太さんの気遣いに満ちた言葉に、私はしかと頷いた。




 帝都。それは絵戸えどに幕府が設立される以前にこの国を治めていた、術士じゅつしたちの住まう土地だ。術士の長である帝は、古代よりこの国を統治し、絶対的な権勢を誇ってきた。


 術士とは、その名の通り不可思議な術を扱う人間たちの総称。狩人が全てのあやし者を悪と断じ滅ぼすのに対し、彼らは基本的にはあやし者たちと共存しつつ、人を襲う妖や、本能に呑まれ破壊衝動に狂ったあやし者たちだけを処断する。つまり術士たちが国を治めていた頃の日ノ元ひのもとでは、あやし者がことごとく悪であるとは考えられていなかったのだ。

 けれど絵戸幕府が政治の実権を握り、狩人たちがあやし者を殺すことが当然となったこの時代では、術士はただのお飾りの権威としてのみ扱われている。


 とはいえ、長くまつりごとの中心があった土地であり、今なお帝と術士たちの住まう帝都は、華やかな賑わいを見せていた。絵戸の街が威勢と活気に満ちている一方、帝都にはどこか上品な気風が漂っているようにも感じられる。


 瑛太さんの風で人目のつかない帝都の路地裏へと降り、久坂さんに案内されるままに道を歩きながら、物珍しさに周囲を見渡す。そんな私の横を歩く瑛太さんが、小さく首を傾げた。その姿はとっくに、人間のそれに戻っている。


「帝都は初めてなの?」

「あ、はい。私、基本的に絵戸から出たことがなくて……」

「なら後で案内しようか? 美味しい茶店とか、綺麗な小物屋さんとか」

「本当ですか? ぜひお願いしたいです!」


 勢い込んで頷けば、瑛太さんはくすりと楽しげな笑みを浮かべてくださった。


「そうしてると本当、ただの女の子だよね」


 狩人だなんてとても思えないと、そう軽い口調で続ける瑛太さんに、久坂さんが窘めるような視線を向ける。


「瑛太。さすがに失礼だよ」

「あ、いえ! 気になさらないでください!」


 普通の狩人であれば侮辱だと感じるのかもしれないけれど、私は自分が狩人であることに特別な拘りがあるわけじゃない。ブンブンと首を横に振れば、瑛太さんが「ほら」と笑みを深くした。


「彼女もこう言ってるんだし、良いんじゃない?」

「……まあ、真角さん本人が気にしないならそれで良いけれど」


 久坂さんがやれやれと言うように浅い息を吐きながら応じる。そして彼は不意に、一軒の仕舞屋造しもたやづくりの家屋の前で足を止めた。


「失礼します、久坂です」


 とんとんと格子戸を軽く叩いて来訪を伝えながら、高らかな声で久坂さんが名乗れば。まるでそれを待っていたかのように、すんなりと戸が開いた。


 顔を出したのは、久坂さんと同じくらい長身の、整った顔立ちをした黒髪の男性。腕を組み、敵意にも似た眼差しで私をちらりと射抜いたその人は、すぐに久坂さんたちを鋭い眼光で睨みつける。


「ようやく弁解をする気になったか」

「すみません、報告が遅くなってしまって。妖の襲撃で壊れた建物の復旧に手間取っていて、なかなか時間が取れず……」


 男性の刺々しい声を、久坂さんは柔らかな笑顔で受け流す。重い溜息をこぼした男性は「まあ良い」と呟いて踵を返した。


「話は中で聞こう」

「ええ、お邪魔いたします」


 久坂さんが微笑みを崩さぬまま、青年に続いて扉をくぐる。その後に当然のように続いた寺島さんを見ながら、どうしたものかと戸惑っていれば、くいと軽く着物の袖を引かれた。


「ほら、理桜さんも行くよ」

「え。あ、はい!」


 瑛太さんの促しに大きく頷いて、私も瑛太さんと共に家屋の中へと足を踏み入れた。

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