二の二 洞窟の向こう側

「お帰りなさい、高杉たかすぎさん! 侵入者、見つかりました?」


 彼らに連れていかれた先。薄暗い洞窟の入口で弾むような声をかけてきたのは、深緑色の髪を元気良く跳ねさせた青年だった。

 人懐っこい笑みを浮かべたその青年は、私へと視線を向けて目を丸くする。


「うわー、女の子だ! 君、可愛いね! 良かったらオレと付き合って――」

「黙れ、この馬鹿俊介しゅんすけ


 キラキラとした目で私を覗き込んで、何事かを溌剌はつらつと言い募ってきた緑髪の青年……俊介さんとやらの脳天へと、私をここまで連れてきた茶髪の青年……高杉さんとやらの拳が勢いよく直撃する。


(うわー、痛そう)


 思わず口元を引き攣らせた私の横で、武都さんが小さな溜息をこぼした。その様子から察するに、これは日常的なやり取りなのだろう。


「俊介。弦瑞げんずいたちはいるか?」


 高杉さんの端的な問いかけに、俊介さんは「んー」と唇に人差し指を当てた。


「えーたは家にいて、玖一くいちさんはさっき広場で見ました。弦瑞さんは見かけてないですけど、たぶん村落内にはいると思います」

「そうか。ならお前は弦瑞を探して、集会所に来るよう伝えろ。武都、お前は瑛太えいたと玖一にだ」


 ぽんぽんと交わされる会話は、人名らしき単語が多すぎて理解が追いつかない。けれど高杉さんが、何人かの相手を集会所とやらに集めようとしているらしいことだけは、かろうじて把握できた。


「はーい、了解です。行きましょう、赤禰あかねさん!」

「わかりました。待って、伊藤いとうくん」


 俊介さんと武都さんが、それぞれに頷く。俊介さんの苗字が伊藤で、武都さんの苗字が赤禰というらしい。

 洞窟の中へと駆けていった伊藤さんと、その背中をやや速足で追う赤禰さんの後ろ姿を見送っていれば、高杉さんが苛立ったように舌を打った。


「何をぼうっとしている? 行くぞ」

「え。あ、はい」


 慌ててそう首肯して、私は高杉さんと共に洞窟へと足を踏み入れた。


 洞窟の中は真っ暗闇で、ぴちょん、ぴちょんと規則的な雨だれの音が反響する。大きいような、小さいような、不可思議な音がやけに耳の奥にこびりついて、私はつっと息を詰めた。


 意識的に音を排除しようとするけれど、何故だかその響きが耳から離れない。あるはずのない波紋が目の前に浮かんだような気がして、視界がぐるぐると回る。

 駄目、方向がわからない。足を出すのはどっち……? まるで暗闇の中をどこまでも落ちているような、そんな恐ろしい感覚に囚われて、私は思わず立ちすくんだ。


 ……立ちすくんだ、つもりだった。だけど足は止まっているはずなのに、世界はなおも回り続けて。


「っ……!」


 生まれて初めて感じる種類の恐怖に、生理的に漏れかけた悲鳴を押し殺した刹那。


「おい!」


 焦ったような声が耳朶を打つ。腕に触れる何かの温もりを認識した瞬間、失われていた平衡感覚が急速に息を吹き返した。


「あ……私……」


 どくんどくんと早まっていた鼓動が、ようやく落ち着きを見せ始める。どうにか息を整えて、そこで初めて私は、腕を掴んだ温かなものが高杉さんの手のひらだったのだと気がついた。


「俺たちには影響がないから、すっかり忘れていたな……」


 若干罰が悪そうに視線を逸らして独り言ちた高杉さんは、不意に私の腕をぐっと引き寄せる。


「ここには少し、特殊な幻術がかかっている。俺たちが触れていれば影響はなくなるはずだから、このままで行くぞ」


 明快な説明を避けたのは故意にだろう。恐らく彼の仲間の中に、幻術を扱えるあやし者がいるのだ。

 これはたぶん、この洞窟の先にある彼らの村落を、そこに隠れ住まう多くのあやし者たちを、狩人の手から守るために施された幻術。


 高杉さんに腕を引かれながら、洞窟の中を歩いていく。水音はまだ聞こえていたけれど、それが耳にこびりつくことはもうなかった。


(本当に、対象を選んで発動しているんだ……)


 あやし者の能力にそれほど詳しいわけではないけれど、これはかなり高度な幻術なのではなかろうか。

 そんなことを考えているうちに、洞窟の出口が見えてくる。差し込むまばゆい太陽の光に目を細めたその刹那、青白い炎が私と高杉さんを瞬時に取り囲んだ。


「えっ……⁉︎」


 これも幻術だろうか。でも、高杉さんが腕を掴んでくれているのに。

 困惑する私の横、高杉さんが出口の向こうを……正確にはそこに立つ人影を睨みつけた。


「やめろ、俺だ」

信作しんさく……?」


 聞こえたのはひどく澄んだ、まるで鈴を転がしたように綺麗な声。それと同時に蒼炎がフッとかき消える。

 高杉さんに腕を引かれるまま完全に洞窟を抜ければ、眼前にはのどかな村落の光景が広がっていた。そして、もう一人。


「そちらの彼女は?」


 肩にかかる程度の淡い空色の髪を持つ長身の青年が、高杉さんへと問いかける。その顔立ちはやけに整っていて、まるで役者のようでもあった。


「俊介に言われて来たのか?」

「いや。僕はただ、幻術が働いたようだったから状況を確認しにきたんだけど。……その様子だと、お前が幻術の存在を忘れて彼女を連れ込んだだけみたいだね」

「……うるさい」


 図星を指された高杉さんが、不機嫌そうに唸る。その率直な反応にくすりと素朴な笑みを浮かべた青年が、笑みの種類を華やかなものへと変えて私へと視線を移した。


「その氷、うちの者が手荒くしたようですみません。それに……」


 青年の視線が一瞬止まったのは、私の左耳。どうやらそれだけで彼は何かを察したらしい。


「立ち話もなんだし、集会所へ行こうか。信作のことだから、どうせ瑛太と玖一さんも呼んでいるんだろう?」


 朗らかにそう告げて、青年は私たちを促した。

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