二章 周防山のあやし者
二の一 出会い
装束は旅人が好んで着るような、動きやすい軽装。狩人としての武器である愛用の拳銃は、衣の下に隠してある。
あやし者と戦うつもりはないのだから拳銃は置いてこようかとも思ったのだけれど、さすがに身を守る
吹き抜ける春風が私の髪を揺らし、どこからか桜の花びらをひらひらと舞わせる。その美しい様に一瞬見惚れ、すぐに私は気合を入れ直すために自分の頬を軽く叩いた。
「よしっ……!」
左耳につけた耳飾りに……あの方が遺していった大切な思い出の
探しているのは、
木の表皮に白い月のような模様が浮き出ていることと、年輪が真白く光り輝くことが特徴で、満月の夜にだけ純白の花を咲かせるという伝説がある。
ずっと御伽噺だと信じてきた話だ。けれど耳飾りの木目の年輪が白く発光しているのを見て、もしかしたらこれは雪月花の木で作られているのではないのかと直感した。
あの方の生きた世界を知り、あやし者とは本当に悪なのかを確かめるために、一番手っ取り早い方法はあの方の生まれ育った場所へと行くことだ。
だから私は一縷の希望を求めて、この周防山へとやって来た。渡された耳飾りが雪月花で作られているならば、この周囲にあの方の生まれ故郷がある可能性は、決して低くはない。
失くさないようずっと大切にしまい込んでいた耳飾りを身につけたのも、似た理由。
もしこの辺りにあの方を知るあやし者がいれば、耳飾りを見れば姿を現してくれるんじゃないか、なんて。あまりにも希望的観測すぎるかもしれないけれど。
木の幹を確認しながら、森の奥へと足を進める。普通の女の子であれば、野生動物に襲われたらどうしようなどと臆するのだろうけれど、これでも狩人として最低限の訓練は受けてきた身だ。熊の一匹や二匹くらいなら、何も怖くはない。
(見つからない、なぁ……)
体力にはそこそこの自信があるけれど、ずっと歩き通しでさすがに少し疲れてきた。鬱蒼とした深い森を歩きながら、心の中で嘆息を漏らした刹那。
――ヒュウッ!
ひときわ強い、一陣の風が吹き抜けた。思わず顔の前に腕を
「おい」
耳に届いた低い男性の声。ハッと瞳を開ければ、目の前に明るい茶髪の青年が腕を組んで立っていた。
身長は私と同じくらいだから、決して高くはない。むしろ男性としては小柄な部類だと言えるだろう。
けれど何故だか、彼を前にしただけで自然と萎縮してしまうような、そんな不思議な威圧感があった。
「こんな山の中で、女が一人で何をしている?」
刺すような視線に背筋が震える。向けられた声は平坦そのもので怒っているようには聞こえないけれど、彼の眼差しにはひりつくような警戒心が宿っていた。
「わっ……私はっ……」
怪しい者ではないと弁解の言葉を紡ぐよりも前に、青年の瞳が何かに驚いたように大きく見開かれる。その視線の先にあるのは、私の左耳を彩る耳飾り。
「お前、それっ……!」
気がついたときには、青年の姿がすぐ真横に迫っていた。私の耳に顔を寄せてまじまじと耳飾りを凝視したその青年は、独り言めいた小さな声で呟く。
「先生の……」
もしかして。こんなのあまりにもご都合主義だし、信じられないという思いのほうが強いけれど。
「これの持ち主をご存じなんですかっ⁉︎」
勢い込んでそう尋ねれば、青年が一つ舌を打った。
「お前、どうやってこれを手に入れた?」
「昔、私を助けてくださった方がいて。その方が置いていかれたんです」
嘘は言っていない。本当は全ての経緯を素直に話してしまいたいけれど、残念ながらまだ状況が掴めなかった。
この青年があやし者なら、私が狩人だと知られれば、話をする間もなく敵意を向けられるかもしれない。話す順序は慎重に選ばなければ。
「……」
何事かを考えるように顎に手を当てた青年は、やがて視線を森の中へと送る。
「
その瞬間、パリパリという冷ややかな音とともに、私の両手首を拘束するように空中へと氷が出現した。
「え⁉︎」
息を呑んで、咄嗟に両腕を開いて距離を確保しようとする。だけどそれよりも早く凍結が広がって、私の両手首を完全に包み込んだ。
「いきなり何をするんですかっ!」
まるで囚人みたいに、手の自由を奪われる。致し方なく青年を睨んで抗議の声を上げたけれど、彼は気にした素振りもなく踵を返した。
「ついて来い、女」
配慮の欠片もない一方的な発言に呆気に取られ、反応が遅れる。と、森の木陰から新たな人影が姿を現した。
青みがかった白銀の髪を赤い紐で緩く一つに纏めたその青年は、静かに私へと歩み寄ってくる。
「手荒な真似をしてごめん。……ただ、その耳飾りの持ち主は、俺たちの大切なひとかもしれないんだ。だから、村で話を聞かせてほしい」
たぶん、このひとが私の腕を凍らせた張本人だ。武都さんという名なのだろうか。
姿が人のままだから詳細までは推測できないけれど、恐らくは氷を操ることの可能なあやし者だ。となると、あのどこか傲岸不遜な空気を纏った青年もまた、人間ではなくあやし者なのだろう。
「……わかりました」
突然の展開に驚いたけれど、私としてもせっかくの手掛かりを無駄にしたくはない。だからそう頷いて、私は武都さんに促されるままに前を行く青年の背を追った。
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