第31話
時は流れる。といっても、何時間も流れたわけじゃない。精々三十分前後。
しかもこの間になにかしていたわけでもない。みくと珠々が密着していたくらい。特筆することはなにもなかった。
言ってしまえば、そう、虚無な時間であったのだ。
なにこの時間……と戸惑っていると、激しい音が周囲を包み込んだ。騒音。
しばらくするとその音はピタリと止まる。
「うるさかったー」
みくは珠々の頬にすりすりと頬を擦り付けながら呟く。小動物みたいな仕草。
「今のはヘリコプターの音だね」
「ヘリコプター?」
「そ、ヘリコプター」
珠々はみくに教える。
今の音はヘリコプターだったんですね。てっきり爆発でもしたのかと思った。
ということは……。
扉の方に目線を向ける。音が鳴り止んでから数分もしていないのに、扉はぎぎぎと開く。
「二華、なんでこんなところに……って、みーちゃんも居るじゃないか」
扉の向こう側から吃驚するような声を上げる父親。
「あははー、お世話になってますー」
珠々は頭に手を当ててにへらと笑う。そんな彼女とは打って変わって、所長はこの世の終わりみたいな表情を浮かべていた。
珠々の表情を天国と表現するのであれば、あの男の表情は地獄と表現して差し支えない。そんなような表情である。
「な、な、な……」
と、声にならない声を出している。
さっきまでの淡々とした雰囲気は完全に失われている。あまりの焦りように面白くなる。もしかしてと思っていたが、やはり気付いていなかったらしい。
「三嶺博文くん、二週間ぶりじゃないか」
父親は心做しか楽しそうに語りかける。一方で所長はぶるりと身体を震わせた。
視線を右往左往させて、変な汗を垂らす。
なにか都合が悪い人間がするような行動ばかりをしている。
実際問題都合が悪いのだろうけど。
「総理……なぜここに」
「娘に呼び出されて無視する親がどこにいる」
「娘……ですか」
「おや、自己紹介がまだなのだな」
父親は私の元までやってきて、ぼんぽんと背中を優しく叩く。懐かしい香りが私を包み込み、無意識のうちにホッとする。
「コイツは私の一人娘、柏倉二華だ」
「どうも」
紹介預かったのでとりあえずぺこりと頭を下げる。今更感はありありだが。
「それで二華」
「うん?」
「私を呼び出してどうしたんだい? 私を呼び出すということはそれなりの何かがあった、ということだろう?」
「あ、そうだった」
ポンっと手を叩く。
すっかり忘れていた。あまりにも良い反応をするもんだから満足してしまっていた。良くないよね、ほんと。
「世界を救うために珠々の命を狙ってたの、この人」
ぴしっと男を指差す。男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
なんでそんな顔をしているのか、私にはわからなかった。たしかにやり方は最悪だ。それはまぁ覆しようのない事実。
しかし、やり方はともかく目的は世界を救うためにやっていたわけで、後ろめたはないはずだ。むしろ良いことをしていた、と誇るところだと思う。
だが真逆な反応を見せた。大きな違和感が私の心を撫でる。意味がわからない。
「世界を救う……」
父親は呟く。
「そうだ、ええそうですとも。世界を救おうとしましたとも。ですが、そちらからされていた指示は『隕石破壊装置の開発をストップしろ』というものだけですから。人の力を使って破壊するな、とは言われていません」
「我々のようなことをするじゃないか」
「責任のある人間とはこういうものでは?」
おじさんとおじさん。深いような、浅いような、イマイチ掴めない会話を繰り広げる。私や珠々、みくは当然のように置いてかれている。そもそも追いつこうとすらしていないのだが。
というか、この人が珠々を殺そうとしていた根本的な理由は父親ではなかろうか。なぜ『隕石破壊装置の開発をストップしろ』だなんて指示を出したのだろう。
微かな可能性でも作り上げられるのであれば、取り組むべきだろう。作らずに諦めるというのはどうも納得いかない。
手術すれば治るししなきゃ死ぬよ、と言われているのに手術の一切を断っているような感じ。おかしいのは火を見るより明らかである。
「二華、どうした」
父親は不思議そうに私を見る。流石親だ。隠しているつもりだった表情の変化を簡単に読み取ってしまう。今の変化、珠々ですらわかるか怪しかったんじゃなかろうか。それほどに微細だったはず、と自己分析。まぁ鏡を見ていたわけじゃないから感覚的なものしかわからない。
「……なんで装置を作らせなかったの?」
言うか少し迷ったが、言わなかったところでなにか思うところがあったというのはバレているわけで、無意味な心労をすることになる。ならさっさと言ってしまった方が気持ち的に楽だろう、という身勝手な理由。
「大人の事情だな」
「大人の事情?」
「あぁ――」
父親はそこまで口にしてから、黙り込む。
扉の隙間からクマの人形のくまもちさんが入ってきたのだ。一枚のぺらっぺらな紙を持ちながら。
目を丸くして、ぽかーんと口を開ける。
明らかな人形が歩いているのだからそんな反応にもなる。なにそれって感じだもんね。
とてとてと可愛らしく歩くくまもち。ひらひら揺れる紙が気になる。どうやって持ってるのそれ。
私の疑問など知る由もないくまもちは持ってきた紙をみくに手渡す。
みくはその紙を受け取って爆弾ゲームかのように珠々に手渡した。
「え、いや、えぇ」
一に困惑、二に困惑、三四で困惑、五も困惑。という感じで困惑している。まぁ急に紙を渡されたって困る。私だって困る。なにこれってなる。
「ふむふむ」
読みますよー、と周囲にアピールするようにぴしっと紙を広げてから目を通す。
ちょっとだけ砕けた雰囲気だった珠々だが、瞳を動かせば動かすほど表情は固いものになっていく。
「二華」
珠々から名前を呼ばれたと思えば、それ以上なにを言うわけでもなく押し付けるように紙を渡してくる。受け取らざるを得なくてとりあえず受け取った。
彼女の表情を一変させたような内容が書かれている紙。一体なにが書かれているのだろうか、と気になり早速目を通す。
冗長な文章が書かれている。読むの面倒だなぁという感じだが、一応読む。
一言に集約することができた。
「アメリカにやめろって言われたの?」
「……」
「え、なんで黙るの」
「大人ってもんは都合が悪い時は黙るものなのだよ」
と、みくの父親こと所長は教えてくれる。
つまりそういうことです、と言っているようなものだ。
所長も上に指示され、その指示をしていた父親もまた上から指示をされていた。
各々に立場というものがあって、その立場である以上あれこれ自由にできるものではないということだ。上の意図にそぐわないことをすれば、自分のクビが飛ぶことになる。安定を選ばず、自分の意見を通しきる。それができる人は早々いない。
だから現にこうなっているわけで。
例えば装置を作り隕石を破壊したとしよう。そうすれば、上の指示を無視したという事実を抱えながら生き延びることになる。可能性としてなにも処罰がないというパターンだってありえるだろう。しかし、概ねなにかしら処罰されるはず。
世界を救い、自らの立場を失う。
外から見てる人は世界が救えるのならそれで良いじゃないかと思うのだが、実際にその場に立つとその判断はできなくなってしまう。その場に立つ人間の九割くらいが持つ一番の大切なものって世界とかじゃないから。
と、まぁある程度は理解している。
総理大臣の娘だもの。私が小さな頃からずっと国のトップを背負ってきていて、その背中をずーっと見てきた。
理想と現実の乖離や、支持者からの反対等。辛そうだった。その一つがアメリカ様というわけだ。うん、わかってる。わかってるけど……。
「なんでアメリカは作るなって言ってるんです? 世界滅亡させたいみたいじゃないですか。それだと」
どうしても納得できない部分。珠々も同じことを思ったようで尋ねた。
「今回の場合はアメリカだけじゃない。常任理事国って社会で学んだはずだ。要するに世界を支配する力を持つ複数の国がそういう方針にすると決めたのだ。なにせ隕石による世界の滅亡と知った国民は暴れ回り、結果として国として成立しなくなってしまった国は多々あるからな。要因は治安、経済って様々だが。日本は国民性が高くてこの程度で済んでいるが、他国はそういう感じで酷く醜い。場所によっては国民の九割が既に死んでいたりしているからな。トップはここから復興を目指すことは不可能に近い。故に全てを破壊する。そういう決断した。それだけだな」
半数以上がもう国として機能しないから全て壊してしまえ。気持ちはわからなくもない。グチャグチャな状態であるのなら、一度真っ白にしてしまいたくなるものだ。だがこれは規模感があまりにも違いすぎる。命がかかっているわけで、そんな横暴許されて良いはずがない。
「お父さん……ワガママ言ったら怒る?」
私は様子を伺うように尋ねる。ちょっと、いやかなり怖い。無理。
でもなにが怖いのかわからない。怒られるのが怖いのか、見捨てられるのが怖いのか。
「なんだい。言ってみなさい」
すっと気持ちが柔らかくなった。
親に甘えるってこういうことなんだなぁと感じる。今日まで両親に甘えるということをしてこなかった。そりゃ物心がつく前は甘えていたのかもしれないけれど。少なくとも記憶を遡れる範囲内では甘えていない。
易々と甘えられる環境が存在していなかった、という方が正しいのかも。
どっちでも良いか。
「私まだ死にたくないかも」
「そうか」
「だからさ、装置を使って隕石壊せるなら作って欲しい」
「……うむ」
父親は口元に手を当て、じーっと私の後ろを眺める。ぱっと振り返るがそこには何も無い。あるのは壁だけ。虚空を見つめる……じゃないけど、それに近しいのだろう。
「そうだな。世界が滅亡しなかったと仮定しよう。その時、二華はなにがしたい?」
「なにが……したい……?」
「生きたい。それつまりなにかしたいことがある、思い残したことがあるということだろう? 違うか?」
たしかに。なにもないのなら生きたいなんて思わないのかも。深く考えずに人間は生きるべきものだから生きたい……そう思っていたけど。
一度その言葉を素直に受け入れる。それでもやっぱり生きたいという気持ちは変わらない。揺らぐことすらなかった。しっかりと一筋の棒が立っている。
解像度を上げる。棒を分解して中身を覗く。
そこには珠々が居て、小さく手を振っていて、手招きもしていて……あぁそうか。そういうことか。
「これからもっと珠々と楽しいことをしたい。まだまだ足りないから」
カッコつけようとか、真面目なことを言おうとかそういうプライドに近い思考を全て殴り捨てた。
それにこの言葉は私の心の中にある真の言葉。本心とでも言えば良いだろうか。だってまだ十六年とちょっとしか生きていない。珠々と出会って十四年くらいかな。多分そのくらい。今までも楽しいこと、面白いこと、辛いこと、悲しいこと、様々なことを珠々と過ごしてきたけど、期間としては所詮十年ちょっと。もっと一緒に居れば、もっと色んなことを体験して、最終的には良い思い出として私の心の中に残ってくれるはず。そう、だからまだまだ足りない。
内に秘めていたものである。言ってから少し恥ずかしいことを言ってしまったのでは……と羞恥心のようなものがふつふつと込み上げてきたのだが、こればかりはしょうがないよねと見て見ぬふりをする。でも見て見ぬふりをするのは心にある恥ずかしさだけ。それ以外はしっかりと両手で掬う。
「だから私は生きたい。もっと生きて、人生を謳歌したい。珠々と一緒に」
「みくははぐれもの?」
「ねー! 二華ったらひどいねー」
「ねー」
珠々とみくはそんな茶々を入れてくる。
オーバーヒートしそうだった脳みそがジューっと冷やされた。わかっててやったのか、たまたまなのか。どっちでも良いけどとにかく助かった。
「それさえできれば他はなにもできない。そういう酷い状況になっても良い覚悟はあるか?」
「お父さん……?」
柔らかくなった雰囲気がまた凝固する。
「……」
私は次の言葉を待つ。絶対になにかあるはずだった。流れ的にないのはおかしい。文脈として途切れるタイミングじゃなかったから。なのに父親から言葉は繰り出されない。断線したかのように。ピタリと止まっている。そのせいでこの空間は静寂に包まれてしまった。一度こうなってしまったら口を開くのすら一苦労。重々しい空気を払拭するのってそれなりの勇気と力が必要だから。
どうしようか。どうやってもう一度催促しようか。いっそのこと話を思いっきり逸らしてしまおうか、とあれこれ思考を巡らせながら、うんうんと悩む。複数の答えを出して、悩んで、また新たに答えが出て、さらに悩む。圧倒的悪循環。
深呼吸をして一度心身ともに整えようとしたその時だった。みくの父親が立ち上がって、声を出す。私含めて四人は一斉に目線を向けた。
「今、世界を救う残された手段は隕石破壊装置を作ることだけ。被検体Aを君たちが殺してしまったからね。残念だが、それしか残されていない。しかし、だ。隕石破壊装置を作るのにも問題点が三つほどある」
「三つですか」
「そうなのだよ。まず一つは納期。隕石が大気圏に突入するまで二週間あるかないか。ウチの団体が抱える専門職のスキル持ちを総動員すればなんとか作り上げることはできるかもしれないがね」
「なら良いんじゃないの?」
珠々は不思議そうに尋ねる。私も同じことを思った。ギリギリ完成するならそれで良いじゃん、と。環境がブラック過ぎるかもしれないけどさ。この二週間だけ頑張ってくれれば後の人生は自由に暮らせる。仕事をしなくても。
「あくまでそれは作り上げただけ。安全性の確保も成功率も保証されていない状態のものなのだよ。これが二つ目。作ったところで成功するとは限らない。成功するかもしれないし、暴発して世界を滅ぼしてしまうかもしれない、場合によっては半壊滅状態にして、二人のうちどちらかだけが生き残る……という未来だって考えられるわけだね」
普通はコンピュータでシミュレーションを行い、失敗した時どういうことが発生するのか、またどうすればその失敗数を減らせるのか、被害を抑えられるのか、を叩き直す。何度も何度も繰り返し、安全性が確保されたらゴーサインが出る。でも今回の場合はこの作業がすっぽりと抜けることになる。すなわち一発本番になってしまうからどうなるかわからないよ、ということを言いたいのだろう。
ふむ、理解できる。おっしゃる通りですという感じだ。
「ここまではこちら日本星空開発機構側の問題、最後の一つは総理……いいや、違うか。柏倉家の問題になるのだよ、ね、そうでしょう。総理」
「あぁ……」
父親は歯切れ悪く頷く。所長が真人間に見えてしまうほど。そんなの絶対にあり得ないんだけど。
「ゴーサインを出したら、私のクビは間違いなく飛ぶ。変なスキャンダルをでっち上げられて辞職させられるか、場合によっては冤罪で逮捕まで考えられる、な。私も秘書の妻も一緒に」
絞り出すようにそう言った。
歯切れの悪かった理由はこれか。たしかにとてもじゃないけど軽々しく言えるようなことじゃない。変な言い回しをしないように、慎重になるなって方が無理だ。
「私が総理大臣及び政治家を辞めさせられて、でっち上げられた罪状で捕まる。個人としてはさほど問題ではない。もちろん私の妻……母さんも同じ意見である。私的意見としては強行して装置を作るべきだと考えているわけであって、二人の犠牲でこの世界が救えるのなら喜んで差し出してやろうと思っているわけだ。しかし、私には養わなければならない愛すべき人がいる。守らなければならない愛すべき人がいる。二華だ。二華を路頭に迷わせ、犯罪者の娘というレッテルを背負わせてしまう。とてもじゃないが決断できるものではない。この決断というのは二華にとって十字架のようになってしまうものであって、私たちが死んでも、居なくなっても、嫌気をさして縁を切ったとしてもゾンビのように図太く、鬱陶しく追いかけてくるものであるわけであって。少なくとも私たち両親としては、二華をこれ以上苦しめるようなことはしたくないと思うわけだ。二華の出来の良さに甘え過ぎていた節がある。悪いことをしたと思っているわけで、だからこそ、このラインを踏み越えることは許されないと、苦渋の決断をした……というわけだ」
「……」
「すまない。政治家としての悪い癖が出てしまった。切羽詰まった状況になるとどうも冗長に喋ってしまう」
反省するように父親はしゅんとした。
「要するに世界を救うということは二華にとって茨の道になるかもしれない……ということだな。その覚悟があるのか、茨の道を歩むほどの価値があるのか。問いたい」
「覚悟……価値……」
反芻する、が迷いはない。答えはブレない。なにがあっても良いという覚悟も、その覚悟を背負うだけの価値もある。
「ある。あるから……世界を救って」
懇願。
そして初めて父親に甘えた。心の底から頼った。
多分最初で最後になるんだろうなぁなんて思いながら。
父親はその空気を悟ってか否か真剣な眼差しを向けながらこくりと頷く。
「お父さんに任せろ」
ポンっと胸を叩く。一国の総理大臣としてではない。一人の父親として。とても大きく見えた。
「三嶺所長。隕石破壊装置の作成に取り掛かってください。資金は後に立て替えることとする。であるから全力で取り掛かかりなさい」
父親は総理として所長に指示を出したのだった。
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