第30話

 遺体と呼ぶにはあまりにも欠損が激しいもの。だが事実として遺体である。遺体として見るのであれば悲惨だ。だが、赤色と黒色と白色の物を集めて作った芸術作品だと言われれば綺麗かもと思えるような状態。

 「……終わりだ」

 狂ったように笑い始める所長。

 その笑い声に私と珠々は身体をビクッと震わせる。

 「パパうるさい」

 いつの間にか自由の身になっていたみくはそうやって実の父親を攻め始めた。

 「父親に向かってなんて口の利き方を――」

 「きょーいくのたまものってやつだよ!」

 「なっ……」

 押し黙る。

 返す言葉が見当たらないのか、怒りを黙って沈めているのか。ちょっとここからだとわからない。

 「まぁ良い。もう私はおしまいだからな」

 壁に寄りかかり、ずるずるずると力を抜きながら座る。

 「さっさと殺してくれたまえ。私のやるべきことはやった。やった上でもうどうしようもなくなってしまった。手の尽くしようがこれ以上ないのだよ。残念ながら。もう生きていられない。だからひと思いに殺してくれたまえ。さぁ」

 床に尻をつき、両手を掲げる。殺してくれと声高らかに訴えてくる。いざそう言われると殺してやるという気持ちは消滅してしまう。

 もうあとは死ぬだけ、死を待つのみ。そのような人物に反撃の意思があるようには思えないし、なによりも殺すことで相手の思い通りに駒を進めてしまうのが嫌だから。

 なによりも。

 「殺して、ねぇ。あんだけ私たちをグチャグチャにしようとして、全てが終わったらはい殺してくださいってあまりにも都合良すぎだと思います」

 「都合が良い? 当然だろう。なにせ人間とは利己的なものなのだから」

 「そっちがそういうスタンスならこっちもそれなりのスタンスで進みます」

 「スタンス?」

 男ではなくて珠々が首を傾げる。ほげーっと呆けている彼女に対して軽くウィンクをしてスルーしてみる。アイコンタクトでちょっと黙ってて、と言ってみた。伝わると嬉しい。

 しーんと静寂がこの場を包み込む。

 私は徐にスマホを取り出す。男に対して見せつけるように。

 この人が一番嫌がることってなにかな、と考える。答えはすぐに見つかる。多分死ぬよりもうんと嫌なことだと思う。

 手際良くスマホを操作してから、耳にスマホをくっつける。

 呼出音がスピーカーから流れ、何コール目かすらわからないほど待つと相手は出てくれた。とりあえず一安心。忙しい人なので電話に出ない展開も考えていたので安堵した。

 「このタイミングで電話ですか。悠長なものですね。私が悪人であればこの隙に殺していましたよ」

 「どうせ殺しませんよね」

 「さぁ、どうでしょう。作戦を滅茶苦茶にされた私怨で殺す可能性は十分にあると思うがな」

 ぶつくさ目の前で言っている男を睨む。

 『二華どうした』

 スマホの向こう側から聞こえてくる声。声を耳にしただけでホッとできる。

 「お父さん、今から来て欲しいところがあるんだけど」

 『お父さん今それどころじゃない……って、すまない。乱暴な言い方になってしまった。二華が頼むということは相応のことがあったんだな。わかった。今から向かおう。位置情報だけ送ってもらえるかな。ヘリコプターで向かうことにするよ』

 「うん、ありがとう、今送るね」

 画面を操作して、位置情報を送り付ける。ポッという音と共に送信が完了した。

 『んー、んー?』

 眉間に皺を寄せていそうな声がスマホの向こう側から聞こえてくる。

 『なんでそんなとこにいるんだ』

 「紆余曲折あって」

 『その部分が聞きたいのだが、まぁ良いか。すぐに向かう』

 という短いやり取りをして電話を終えた。

 スマホをポケットに片付けて一息吐く。

 「ここまで人を追い詰めておいて親を呼び出しますか……。最近の子の思考は本当にわかりませんね」

 「理解しようとしていないだけじゃないですか」

 「いいや、寄り添った上で理解に苦しむのですよ」

 と溜息を吐く。そんな様子を見ているみくはやれやれという感じで呆れていた。いや、その年齢の子に呆れられるって相当だと思うけど。

 「君の両親を呼び出され、私が苦しむビジョンも見えはしませんね。尚更なにを考えているの理解できないのだよ」

 嘲笑。明らかに私のことを馬鹿にしている。

 多分なんでもかんでも親に頼る甘えた人間だと思われているのだろう。舐められたものだ。こう見えて同年代と比べればうんと独り立ちしている自負がある。生まれ育った環境がそうならざるを得なかったから。

 ちょっと面倒な人が見れば育児放棄だって騒ぎ立てるかもしれないレベル。

 それでもその環境を作った両親を恨んだりはしていない。一人で生きていく術を高校生にして習得できたのだから。まぁその術を本領発揮する前に世界が滅亡してしまうみたいだけど。

 「最近の若者は人に頼ることしかできない。はっきり言って異常事態だ。早かれ遅かれ日本も世界も壊れていたのだろうな。運命と言えよう」

 正直心当たりがないわけじゃない。

 困ったらとりあえず人に頼ろうとする傾向はある。もちろんこれは私も。

 調べて、実践して、四苦八苦しながら必死に解決を目指そうとは思わない。より確実性のあるものを選ぶから。合理的な選択であり、昔の人なら選択しないようなものであるはず。

 一人で物事を進めるというようなことを美徳とする昔の人と、合理的かつ効率的に失敗しない方法を選ぶ若者との考え方の違いに過ぎない……と私は思う。決して甘えているわけじゃない。少なくとも私はそう。

 中には純粋に甘えてる人も居るんだろうけどね。

 「みくよ、これは父親としての命だ。さっさと私を殺せ」

 飽きたのか、なんなのか男はみくに命令し始めた。

 「いや」

 ぶんぶんと彼女は首を横に振る。それからくまきち? くまさぶろう? を抱えてとてとてとこちらに寄ってくる。

 そのまま珠々に抱きつく。珠々はクマの人形とみくを受け入れて抱擁した。羨ま……じゃなくて微笑ましい。

 みくは珠々の腕からひょいっと顔を出して、所長の方へ顔を向けるとべーっと舌を出す。

 ここまで明確に敵意を向けられると思っていなかったのだろう。男は珍しく狼狽する。もっとも一瞬表情が歪んだだけですぐに戻るのだが。

 「私の命が聞けないと言うのか?」

 「パパはパパじゃないもん」

 「なに?」

 「わたしはねー、おねーちゃんのこどもだから!」

 子供は時に残酷だ。

 彼女は多分悪気があるわけじゃない。純粋にこんな父親嫌だと思ってこの言葉を口にしているはずだ。

 「ふむ、そうか」

 男は黙り込む。ダメージを負っているのか、否か。少し判断できない。

 娘のことを道具のように扱っていたのはこの男だ。普通ならダメージを負っていないと考えるべきなのだろうが、にしては寂しそうな表情を浮かべており、本当はどっちなんだ……と様子を見る。

 見たところでわからないけど。

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