第14話

 遺体となった彼女を仰向けにして、髪の毛を掻き分ける。橙色の髪の毛はまだ艶やかで生気が感じられる。ほんの少し前まで生きてたんだって実感できて、無性に寂しくなる。

 「入間さんだって女の子だもんね。可愛らしくしてあげたい」

 珠々は私の隣に並びしゃがんで、持っていたリップを唇に当てた。

 「これぐらいしかできないけどさ」

 「うん」

 「本当はもっと可愛くしてあげたいけどさ」

 「素材が良いし、それだけでも十分じゃない」

 「そっか、そうだね」

 という会話が繰り広げられ、沈黙が続く。衝撃的な展開が故にそう易々と受け入れられるようなものでもなく、心の整理が上手くできなくて、なにを話せば良いのかイマイチわからないのだ。少なくともおちゃらけるような場面ではない。だからこそ、この凝り固まった空気を柔らかくできない。

 「食べてって言ってたよね」

 沈黙を切り裂くように珠々は言葉を捻り出す。

 私の中に鎮座する理性は食べるべきでないと拒否をして、仁王立ちする感情は食べるべきであると肯定する。そして珠々は遠回しに食べろ、と言っているというのも理解できた。

 「食べる?」

 珠々は入間の手を握らながら、視線をこちらに向ける。

 「食べた方が良いかな」

 「どうだろ。でも入間さんは食べて欲しいって言ってたし、二華が食べても良いと思うなら食べるべきだろうとは思うけど。嫌がってるのは入間さんだって知ってるし、食べなかったからって怒られるようなことはないんじゃないかな」

 怒られることはない。それはそう。その通りと言える。

 ただ心の中にある靄がどうも晴れない。

 なんでって問われるとわからない、が答えになる。本当になんでなんだろうなぁ。

 「二華はどうしたいの」

 「私?」

 「そうそう」

 と言われてもなぁ。

 「後悔したくない」

 すとんと簡単に答えが出てきた。

 そう思っていたんだって自分でも吃驚してしまう。

 「なんでそう思ったの? というか二華にとっての後悔ってなに?」

 入間の手をにぎにぎ握りながら問う。

 「私にとっての後悔は……」

 あ、あれ。なんだろう。なんなんだろう。

 「えーっと、一回人の肉を食べたら、感覚が壊れてどんどん人のことを食べちゃうかもしれないから。中毒みたいな。食べなきゃ良かったって後々後悔したくない」

 「うんうん」

 「でも、入間さんを食べられるのって今しかなくて、今の機会を逃したらずっと食べれば良かったって後悔しそうな気がする……から」

 「迷ってるんだね」

 心の中を読み取ってくれたかのように、彼女は優しく声をかけてくれる。その優しさに甘えたくなってしまう。甘えちゃダメとわかっていながらも。

 珠々が眩しく見える。いつもの天真爛漫で馬鹿な珠々ではない。大人っぽい珠々だ。

 「迷ってる。どうすれば良いかな。どうすれば良いんだろう。わからない。わかんないよ」

 一度甘えてしまうと脳みその制御システムはコントロールを失ってしまう。

 「私はなにもせずに後悔するくらいなら、やって後悔した方が傷は浅いんじゃないかなーって思うよ。ま、私は、だけどね」

 「そっか」

 そういえば珠々は良く言ってたね、そんなこと。

 「珠々にお願いがあるんだけど」

 「ん? 私にお願い? できることなら任せて」

 ポンっと胸を叩く。心強い。

 「人肉を美味しいって言い始めたら殴ってでも良いから正気に戻して欲しい」

 人任せ。でもこうすれば、入間を食べることで発生するであろうと抱く憂いはなくなる。

 「それくらいなら任せて。往復ビンタして、その後グーで殴った後にスキル使って腹部を抉ってあげるから」

 「いや、そこまではしなくて良いかも。そんなことされたら私が死ぬ」

 珠々の冗談か否か絶妙に判別できない言葉をどっちでも良いように適当な感じで流す。私が飄々な雰囲気を演じているうちに彼女は入間をよいしょと背負う。

 「それじゃあ帰ろっか。あんまりうだうだしてても痛んじゃ嫌だし」

 「う、うん……」

 日本……いいや、世界が大きく変わり始めている。入間の死体を背負う珠々の背中を眺めながら、痛感したのだった。


 帰宅して、遺体をソファに仰向けで寝かせる。

 食べるとは言ったが、これを? やっぱり無理かもしれない。珠々は怖気付くような仕草は見せずに、腕捲りをして包丁をキッチンから持ってきた。その包丁じゃ切れ味悪くて無理でしょとか思いながら見つめていると、こてんと首を傾げる。「私を食べて」みたいなことを言い出した時から薄々勘づいてはいたが、珠々って頭のネジ何十個って飛んでいる。

 「……嫌じゃないの?」

 「いやー、うーん。もうここまで来たらそういうこと思っちゃう方が失礼なのかなぁと思って。食材には最大限の感謝を。って言うでしょ? 嫌々食べられるのって入間さん的にはどうなのかなーって考えたらさ、やっぱり良い気分ではないよなぁって。気持ち悪がりながら扱うのもね」

 それは……その通りかもしれない。だから頷く。無理矢理笑顔を貼り付けて。本当は笑っていたくないのに、笑わなきゃ入間に失礼だって言葉が心の奥深くに刺さってしまったから。そうせざるを得ない。

 珠々は入間をキッチンまで背負って、右腕を掴み二の腕に刃を入れる。それからノコギリのようにギコギコする。約十分ほどが経過しただろうか。真っ赤というほぼ紫色になっているシンクにぽとんと腕が落ちた。

 「この包丁じゃ厳しかった……」

 と言葉を零しながら、蛇口を捻って水をだす。だーっと流して、血液まみれの切断した腕を洗う。赤みがなくなってから、さっとタオルで腕を拭き、皮と肉の間に刃物を入れて皮を剥ぐ。包丁を使わないと上手く剥ぐことができない。人間の強さをひしひしと感じる。

 あれよあれという間にポンっとまな板上に肉が置かれる。遠目で見れば豚足に見えるかも。ギリギリだ。美味しそうかも……と無理矢理受け入れようとしたけど、やっぱり入間の顔が脳裏に浮かび、うへーってなってしまう。良くないことなんだろうと理解しつつも、もうこれは生理現象みたいなものだから詮無きことと諦めるしかない。それの私がどう思おうが、珠々がテキパキと作業する。ストップと声をかけない限り、調理され続けるのだ。

 鼻腔を擽る芳ばしい香り。ジューっという音。そしてはいっと焼いた肉が出される。見た目はただのステーキ。見た目だけなら完全に美味しい食べ物である。少なくとも人の腕のようには見えない。これなら……いける。深いことを考えるのはやめて、ナイフとフォークを手に持ち、「いただきます」とあらゆる方面に感謝を込めて、口に肉を運ぶ。

 口内で広がる肉の汁。

 牛と豚と鶏。この三つの中で一番近いのを選ぶのなら豚になるのかなぁ。決して不味くはない。食えたもんじゃないと吐き捨てる程じゃない。まぁ調味料で誤魔化されてるだけと言われればそうなのかもしれないけど。ただ率先して食べるかと言われると頷けない。

 とか考えていると脳内に情報が流れ込んでくる。膨大な量でパンクしそうになる。

 入間のスキル情報だ。

 十メートル以内であれば瞬時に移動することができるスキル。使い勝手が良いのか、悪いのか。わからんね。

 でも入間が残してくれたものだから。私にくれたプレゼントだから。大事にしようと思う。

 ちなみに入間は家の庭に埋葬した。家族関係もなにも知らないから遺骨を家族に返すことはできないし、かといって捨てるわけにもいかない。だから妥協案で庭に埋めた。入間的にはそれで良いのかな。文句言われたとしても困るけど。

 入間へ。

 どうか安らかにお眠り下さい。しっかりと役目を受け継いで一ヶ月後にはそちらへ私も向かいますから。

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