魔法の契約、託す思い。

 職員室から歩いてきた二人は、数分で目的の場所に到着した。

 同じ階ではあったが廊下の長さもあり、意外と時間がかかっていた。

 それもこの学園が学園と呼ぶには広すぎるのが原因だった。

 外から校舎を見ても、言うに及ばない広さを誇っている。

 そのため、いざ校内を歩くとなると、体力も時間もかかる。

 廊下だけをみても、二、三人程度が横に並んで歩いていても、その端を何人かが並んで歩けるほど広いのだ。

 他の学園でもここまでの広さを誇る学園はない。

 それだけ広いこの学園に、エルヴァは改めて圧倒されていた。

「この学園、やっぱり広いな……」

 二人が歩いてきた廊下を見てエルヴァは言った。

 職員室から一直線で歩いてきたが、先程までエルヴァ達がいた場所は遠くに見えていた。

 普通の学園であればこの広さに困っていたところだが、魔法が当たり前のこの学園では、この広さでも生徒や教師にとって特に困ることはなかった。

 なぜならば、魔法で宙に浮き、歩くことなく移動することもできるからだ。

 校門で見た魔法を使えば、瞬間移動することだって可能だ。

 むしろこの広さだからこそ、魔法を安全にかつ、自由に扱える要因の一つにもなっている。

 だが魔力適性のないエルヴァにとって、それは無縁の話だった。

 その事をサリアが察したのか、エルヴァに言葉を返す。

「そうよね。わたし達は魔法でどうにかなるけれど……」

「エルヴァ君からすると移動も大変かもしれないわね」

 不憫に思ったのかエルヴァを気遣うように話すサリアだったが、当の本人は特に気にしていない様子だった。

 何か思うように苦笑いを浮かべ、エルヴァは答える。

「まあこれぐらいは……」

「親父の〝しごき〟に比べたらこれぐらいどうってことないですね」

 エルヴァはあっけらかんと答えた。

 魔法が扱えない代わりに、エルヴァは父親の影響で武術や戦うための技術に心得があった。

 そのため、普通の人よりも体力には自信があったのだ。

 エルヴァの話を聞き、サリアも書類に目を落とし答える。

「確かお父様は冒険家だったわね?」

 サリアの言うように、エルヴァの両親はかつて、この広大な世界を旅する冒険家だった。

 しかし長い冒険の途中で父親が大怪我を負い、それをきっかけに両親達は身を引くことになったのだ。

 とはいえ、今では夫婦仲良く薬屋を営むほど、怪我は回復し、その一件は過去のものとなっていた。

「昔の話ですけどね。身体を壊してからは両親ともに街の薬屋です」

「それでも元気にやっていますよ。でもそれが質悪い……」

 エルヴァはそう言うと、何か嫌な記憶を思い出し、バツが悪そうに答えた。

 父親は引退したとはいえ、その実力は未だ衰えてはいない。

 むしろ、冒険の中で発散していたフラストレーションが、今では息子に対する〝しごき〟として発散されていた。

 この〝しごき〟とエルヴァは呼んでいるが、いわゆるトレーニングというやつで、その内容は想像を絶するものがほとんどであり、それに毎日のように付き合わされていた。

 それだけしごかれれば、当然力もつくというもので、体つきも服を着ているとわかりにくいが、とても引き締まっており、普通の人よりも圧倒的についていた。

 そんなエルヴァがグッと腕を見せて話を続ける。

「まあお陰で体力は付きました。それには感謝するべきなのかな……」

 そう話すエルヴァは、以前の学園でも戦闘実技の成績がトップクラスだったのだ。

「それは良いことじゃない。ちゃんとご両親に感謝しないとね」

 そんな話を聞き、感心したサリアがそう答えたが、当のエルヴァはうんざりした様子のままだった。



 少し古めかしく、学園長室と書かれた札がその目的の場所を示していた。

 他の扉とは違い、ひときわ目立つ装飾で人が通るためだけに使用するには大きすぎる扉が、二人の目の前に立ち塞がっている。

 ここが学園長室。

 誰が見てもそうわかるような入口だった。

 この学園の広さもそうだが、エルヴァは要所要所のその壮観さに驚くばかりだった。

 驚き、言葉を失っていると、サリアはエルヴァの方に振り向き腰に手をあてながら口を開いた。

「これから学園長にお会いするわけだけど――」

 少し間をおいて言葉を続ける。

「くれぐれも、失礼のないようにね?」

 サリアは顔を近づけ、指で言い含めるように問いかけた。

 ここにくるまでのエルヴァの態度を気にしてか、サリアが「くれぐれも」と強調して伝えていた。

 そんな心配をしているサリアをよそに、エルヴァはなぜか自信満々だった。

「大丈夫ですよ、先生!」

 どうしてそこまで自信が持てるのか、甚だ理解ができない様子のサリアは「ホントかなぁ?」と首をかしげていた。

 だがそれも一瞬のことで、サリアは気持ちを切り替えて言葉を続ける。

「まあいいわ。そこまで言うなら信じます」

「それじゃあ入りましょう」

 そう言うとサリアは扉を叩いた。

 すると中から「はい」と年配の女性の声で返事がきた。

 その声を聞き、サリアも言葉を返す。

「お忙しいところすいません、サリアです」

 部屋からはもう一度、言葉が返ってくる。

「はい、どうぞ」

 その返事を聞きサリアは「失礼します」と一言伝え、取っ手に手をかけ扉を開けた。

 扉を開けると、サリアはそのまま部屋の中に入っていき、エルヴァもそれに続いた。

 部屋に入ると、中は正面の窓から朝日が射し込み、その強い光で部屋中が包まれていた。

 壁際には棚が並んでおり、無数の本が整然と並べられている。

 他にも、大きな絵画や動物の剥製などが壁に掛けられている。

 部屋は一人のためにしてはとても大きく、応接用と思われるソファーやテーブルがすぐ横に据え付けられていた。

 逆光で見えにくいが正面には、机を隔てて人が座っているのが確認できる。

 その人こそがこの部屋の主にして、学園長と呼ばれる人物であることは容易に想像ができた。

 エルヴァが様子を伺っていると、サリアが先に口を開いた。

「学園長、朝早くに申し訳ございません。お話がありまして……」

 慣れない場所に周りを見渡していたエルヴァだったが、サリアが話し出すとすぐに前を向き直した。

 サリアは後ろで立っていたエルヴァを紹介するように、身体をそらす。

 サリアに学園長と呼ばれるその人物と初めて対面したエルヴァは、少し緊張しながらも軽く会釈をする。

 そんなエルヴァの姿を見て、女は何かに気がつき口を開いた。

「あら? あなたは……」

 ボソッと呟き、視線を下に移す。

 よくみると机の上には書類のようなものが広げられていた。

 逆光でよく見えなかったが、それはサリアが持っていた書類と同じものだった。

 女の視線が書類に向いていたことに気がつきサリアは話を続ける。

「彼が今日からこの学園に転校してきた、エルヴァ・グレン君です」

 エルヴァの隣にずれ、サリアは紹介をした。

 それを聞き、書類に視線を落としていた女は再びこちらを向き、改めて口を開く。

「ええ、お話は聞いておりますよ。ちょうど書類にも目を通していたところです」

 女は机の書類を手に取りこちらに見せてくる。

 逆光でほとんど見えなかったが、話の流れからそれがサリアの持っていた内申書であることは、エルヴァも予想がついた。

 見せた書類を一度机に置くと、女は席を立ち、机の前までやってきて言葉を続けた。


「はじめましてエルヴァ君、私が学園長のリアナです。これからよろしくお願いしますね?」


 リアナと名乗る女はエルヴァの前に立ち、手を差し出してきた。

 これだけ近くに来れば、逆光でもリアナの姿がエルヴァにもしっかりと見えていた。

 髪は綺麗な金色で若干の白髪が交じり、それなりに歳老いているように見える。

 だが肌にはツヤやハリがあり、何より髪のように金色に輝く瞳は、まだ若々しさを感じるほど生を感じられた。

 赤い礼装に身を包み、サリアと同じく学園正式の物と思われるローブを羽織っていた。

 羽織っているローブには金と赤の刺繍が縁に施されており、高級感と威厳を感じるものになっている。

 まさに老練な魔法使いというにふさわしい姿をした女性だった。

 差し出された手を取ることなく、その姿にエルヴァは見惚れていた。

 だがすぐにその手に気がつき、エルヴァは軽く応えてしまう。

「あ、ど――」

 だがすぐにその軽い挨拶にサリア気がつき、ムッとした表情でエルヴァを睨んでいた。

 流石のエルヴァもこれには反応し、すぐに言い直す。

「あ、いや。はじめまして……?」

 なぜか疑問形で返したエルヴァだったが、差し出された手を握ることなく、その視線はサリアの様子を伺っていた。

 サリアは一応納得したのか軽く頷き、まあいいわといった表情をしていた。

 エルヴァもホッとしたのか肩をなでおろしていた。

 リアナは差し出した手を引き、そんな二人の関係にどこか仲の良さを感じていた。

「ふふ、早速仲良くなったみたいですね。サリア先生」

 リアナはにこやかに笑っていた。

「そ、そうでしょうか?」

 どこかバツの悪そうな表情でサリアは答えた。

「ええ、流石はサリア先生ですね」

「恐縮です……」

 恐縮と答えるサリアだったが、それは謙虚から出た言葉ではなかった。

 生徒との距離感に苦慮しているサリアにとって、それを素直に受け止めることが難しかったのだ。

 とはいえ、サリアと生徒との仲の良さは学園でも有名だった。

 当然、学園長であるリアナもそれは把握している。

 だがそれを決して悪いことだとはリアナは考えていなかった。

 むしろ良いことだと考えていたほどだ。

 それでもバツの悪そうな様子のサリアをみて、リアナは二人が思いもよらぬ言葉をかける。

「私としては、生徒と教師がお付き合いなどをしてもいいと思いますけどね……」

 突然の問題発言に二人は驚いた。

 だがそんな二人をおいて、サリアは更に言葉を続けた。

「でも親御さん達は許してくれませんのよね……困りものです」

 両手で指を弄りながら下を向き、小さな声でリアナは言う。

 その様子はまるで、若い学生が規律に縛られて教師に文句を言っているようにもみえた。

 急な発言に驚きを隠せないサリアだったが、すぐにリアナのことを咎める。

「が、学園長! 生徒の前でそのようなお話は……」

 そう咎めるサリアの横でエルヴァも一言、声を漏らす。

「ぶっ飛んだこというばあさんだな……」

 呆気にとられながらエルヴァはタついメ口でものを言ってしまった。

 当然、エルヴァのその言動にサリアがすぐに反応する。

「こら!! エルヴァ君失礼よ! やめなさい!」

 サリアは先程怒っていたときよりも、強い口調でエルヴァを叱った。

 流石にエルヴァもそんなサリアの様子を見てすぐに謝罪をする。

 だがリアナは笑顔で答える。

「まあまあ、私も少し余計なことを言ってしまいましたね。ごめんなさい」

「あ、いえ学園長は別に……」

 逆に謝られてしまいサリアは居た堪れない様子だった。

 そんな空気の中、無遠慮にエルヴァが口を開く。

「ってそんなことはいいんですよ先生! 俺の転校の件!」

 エルヴァは大きな声でサリアに問いかけた。

 だが先程あれだけ注意したにも関わらず言う事を聞かないエルヴァに、サリアも呆れていた。

「そんなことじゃない! まったく……」

「すいません、学園長。朝からお騒がせして」

 サリアがリアナに頭を下げた。

 リアナはそれに笑顔で応え、気にしている様子ではなかった。

 それに気がつくとサリアは頭を上げ、話を続ける。

「それで今日伺った件なのですが――」

 話を始めようとした瞬間、その話を振ったエルヴァ本人がそれを遮った。

「学園長! 俺はこの学園にいるべき人間じゃないんです!」

 エルヴァはリアナに詰め寄り、強く言い放った。

 突然のことにリアナも驚いていた。

「あら……? それは一体どういう……」

 困惑した様子のリアナはサリアに視線を送り、どういうことかと説明を求めていた。

 それに気がついたサリアがすぐにフォローする。

「エルヴァ君! さっきからあなたは言葉足らずよ!」

 次はサリアがエルヴァを遮るように話を続けた。

「学園長、実は――」

 これまでの経緯をサリアが説明する。

 転校自体が間違いであること。内申書にかかれていた内容が虚偽であること。そしてここに至るまでの経緯のすべてを。

 話を聞き、リアナは口に手を当てて「まあ!」と驚きの声を漏らし、悩んだ様子でエルヴァのことを見ていた。

 そして少しの沈黙の後、リアナは口を開く。

「それは大変。ねぇサリア先生」

 サリアに視線を移し、何か同意を求めるように話すリアナ。

 どうやら二人にしかわからない問題があるようだった。

 その問いをサリアも理解していたのか、深く頷きながら答える。

「そうなんです、学園長」

 何かを理解している二人の視線は、エルヴァに集中していた。

「え? いや、なんですか一体」

 当然、何がなんだかわからないエルヴァは、キョロキョロと二人をみて戸惑っていた。

 そんな姿を見て、深刻そうな様子でリアナは口を開く。

「エルヴァ君」

「はい?」

 リアナは言葉を続ける。

「大変言いにくいのだけど……、結論から言わせてもらうと、転校を取り消すことはできないのよ」

「え?」

 リアナから伝えられた言葉にエルヴァは衝撃を受けた。

 すぐさま、「どうして?」と理由を問いただした。

 だがその問いに二人はすぐに答えることなく、一瞬、顔を見合わせてサリアは視線を落としていた。

 気まずい空気が流れる中で、リアナは悩みながらも話を切り出した。

「少し話は複雑なのだけれど、まずは入学について説明をしなくてはならないの」

 全く話が見えないエルヴァは、眉をひそめ首を傾げた。

 それにサリアは「そうよね」と呟きながら言葉を続ける。

「この学園が魔法を教えるための学園であることは、エルヴァ君もご存知よね?」

 エルヴァは頷き、問いかけに答える。

「流石にそれぐらいは……。サリア先生からも聞きましたし、有名ですよね」

「エンシャントアカデミーは世界でも屈指の魔法学園」

「俺は魔法を扱えないけど……、歴史を少しでも勉強していれば必ず聞きますよ」

 魔法云々とは別に、この学園の歴史が世界の歴史とも深い関わりがあるのはエルヴァも知っていた。

 それ故にエンシャントアカデミーが魔法学園というのは周知の事実だった。

 その答え方にリアナは教師としてか、一学園長としてか、笑顔で褒めるように返す。

「そうです。しっかり勉強されていて感心ですね」

 褒められるとは思っていなかったエルヴァが、少し照れくさそうに「どうも」と答えた。

 そんな様子のエルヴァにリアナも笑顔で返したが、すぐに真剣な表情へと戻り話を続ける。

「魔法を扱うということは、どのような扱い方であっても危険が伴います」

「もし魔力の調整を誤れば魔力酔いの危険もありますし、必要以上に魔法を発動してしまう原因にもなります」

「それを戦いに利用するというのであれば、更に危険が伴うのは必定です」

「当然、私達教師はそういった危険が起こらないよう、対策や教えを説くことに全力を尽くしていますが……」

「それでも生徒達の中には、魔法の扱いが未熟でありながら、その力を覚醒しつつある子たちが多いのも事実なの」

「そういった子達を危険から完全に守ることは非常に難しいのです」

「だからこそ入学にあたっては、双方の同意の下、契約を結び入学する決まりになっています」

「今回問題なのはその契約の部分です」

 一往の話を終えたリアナにエルヴァは言葉を返す。

「じゃあもしかして……その契約が解除できないとか……」

 恐る恐る問いかけるが、エルヴァの予想に反してリアナは首を振ってそれを否定した。

「いえ、そうではないのよ? 契約を解除することは可能なのだけれど……」

 少し言い淀むリアナだったが、不安そうな顔のエルヴァを見て、すぐに話を続ける。

「お金がかかるのよ……」

「え」

 エルヴァの口から先程よりも抜けた声が漏れた。

 それもそのはずで、二人が悩んでいたのはお金の問題だった。

 サリアは額に手を当てて溜息をついている。

 リアナも申し訳無さそうな表情で下を向いていた。

 居た堪れない様子の二人をみて、エルヴァは改めて聞き返す。

「お、お金ですか……?」

 エルヴァはそんな状況に、ただ聞き返すことしかできなかった。

 当然ではあるが、ただの学生の身でお金の問題を解決する力は到底ない。

 自分ではどうしようも無い状況にエルヴァも戸惑っていた。

 それに追い打ちをかけるようにリアナは返す。

「そうね……、今のエルヴァ君には想像もつかないぐらいの大金が必要になるの」

 エルヴァが想像していた答えよりも、強い返しがリアナから返ってきた。

 それを聞き、より困惑するエルヴァだったが、考えを巡らせなんとか言葉を切り出した。

「お、お金ならありますよ……! 多分……?」

 それは精一杯の虚勢だった。

 どう考えても、エルヴァがどうにか〝できること〟ではなかった。

 ましてや、エルヴァがどうにか〝するべきこと〟でもないのにだ。

 ここに来るまでの焦りと不安が、エルヴァをより混乱させていた。

 その様子に気が付き、リアナは首を振って答える。

「ごめんなさいね、エルヴァ君」

「本当はこういった話は親御さんと相談すべきことなのだけれど……」

 もはや教師と生徒が話す領域を超えていた。

 これはほとんど、保護者と学園の問題だった。

 だからこそ教師である二人は、ことの問題を説明することに悩んでいたのだ。

 とはいえ、この状況は決して他人事では無いエルヴァにとって、その話こそが重要だった。

 そんな状況に「でも」とエルヴァが喋り始めようとすると、横にいたサリアが先に口を開いた。

「学園長。私からも説明させてください」

 サリアは学園の長であるリアナが、生徒に直接言うには、はばかられることを代わりに説明しようとしていた。

 学園の教師ではなく、生徒の教師として、エルヴァの悩みに向き合っていた。

「エルヴァ君、簡単に説明させてもらうと、今回の契約というのは〝何か〟を〝触媒〟にして〝魔力〟を使って発動するのよ」

「ここでは仕組みとかそういう詳しい話は省かせてもらうけど……」

「今回の件で言えば、〝お金〟を触媒にすることで魔法契約は完了するのよ」

「あ、またお金……、それにまほうけいやく……?」

 急に出てきた魔法契約という聞き慣れない言葉に、エルヴァはより混乱していた。

 それに、話を聞きわかったことは、やはりお金がいるということだった。

 エルヴァはそれに気がつくと、死んだような顔で呆然と遠くを見つめていた。

 窓から指す強い光よりも、その先をみているかのように、ぼーっとただ遠くを見つめていた。

 呆気にとられているエルヴァにサリアは気を遣いながら声をかける。

「は、話を続けるわよ?」

 遠くを見つめたままエルヴァはゆっくりと頷いた。

「それじゃあ話の続きだけど、契約の中身が双方にとって重要なことになるほど、価値の高い触媒を用意しないといけないの」

「だから今回の契約の中身で言えば、生徒の〝命〟またはそれに関係することになるのだけれど……」

「当然〝命〟に関することはとても重要な契約なの」

「つまり、それに相応する触媒〝大金〟が必要になるの」

「それは契約を解除する場合でも同じことが言えるわ」

「だから契約の解除にも大金が必要になるわけなのだけど……」

 ひと通りの話を終え、サリアはわずかに表情が暗くなっていた。

 だがそのまま言葉を続ける。

「学園長も仰っていたように、本当はこんなことを学生であるあなたに話すべきではないの」

「でも今回は事情が事情だから……」

 どこか憂いた表情のサリアに、エルヴァもただただ黙って聞くしかできなかった。

 すると先程から沈黙を守っていたリアナが後ろを向き歩き出した。

 そのまま足を進め、自分の机の書類を手に取り口を開く。

「この内申書についてもこれから原因を究明していく必要があるのだけれど……」

 書類を手に取ったままエルヴァ達の方へと振り返った。

「少なくともこの件に関しては、エルヴァ君やご家族には非がないと思うの……」

 リアナは眉をひそめながらエルヴァのことを見つめていた。

 そしてそのまま言葉を続ける。

「だから……」

「エルヴァ君。学園長として今回の件について、まずは謝らせてください」

「本当にごめんなさい」

 リアナが深々と頭を下げた。

 続くようにサリアも頭を下げる。

 広い部屋の中で、教師である二人がまだ生徒ですらないエルヴァに深い謝罪の意を表していた。

 大の大人二人に頭を下げられ、エルヴァも萎縮し言葉を失っている。

 なんとか言葉を切り出そうとしたエルヴァだったが、続く言葉が見つからない。

 そんなエルヴァよりも先に言葉を発したのはリアナだった。

「その上であなたにお願いがあります」

 頭をあげ、リアナは少し重みのある声で言葉を続けた。

 かける言葉を失っていたエルヴァは、それに戸惑いを見せていた。

「お願いですか?」

 エルヴァは問いかけた。

 リアナもそれに頷くと話を続ける。

「ええ。今回の一件。先程話したように、私達に比があることは確かなのだけれど……」

「この学園を選んだのは、あなたとそのご家族です」

 リアナに痛いところを指摘され、エルヴァは一瞬だがたじろいでいた。

 しかし指摘された通り、この学園を選んだのは勘違いや間違いだったとはいえ、選んだのは紛れもなく自分たちだった。

 それ故に、エルヴァもそれを言い返す言葉は見つからず、変わらず戸惑うばかりだった。

 そんなエルヴァのことを、リアナは真剣な表情でジッと見つめていた。

 その視線を感じ、エルヴァはその紛れもない事実を受け入れていた。

 黙って話を聞くエルヴァをみて、それを肯定と受け取り、リアナもそのまま話を続ける。

「ですからこうしませんか?」

「今年の秋に開催される学園対抗戦で、我が学園を見事優勝させることができれば……」

「この学園に〝通い続けること〟も、〝転校すること〟も、そのすべてを私が保証いたします」

「!」

 提案の中身にハッと驚くエルヴァ。そしてサリアも同じく驚いていた。

 それは決して簡単な提案ではなかった。

「が、学園長…! それはいくらなんでも……!」

 サリアが驚くのも無理はない。

 学園対抗戦とは二年に一度だけ開催される、世界規模の技能大会のことだ。

 この世界には五つの学園が存在し、その各校から数名の代表選手が選ばれ、それぞれが持つ技能を駆使して、しのぎを削る戦いを繰り広げる。

 それが学園対抗戦だ。

 学生といえど、各学園の選りすぐりの代表選手であり、その実力は確かなものだ。

 そのため、非常に高レベルな戦いが繰り広げられ、その開催は世界においても一大イベントとして扱われている。

 当然、その対抗戦で優勝というのは極めて難しく、実際にエンシャントアカデミーは対抗戦の開幕以来、未だに一度も優勝したことがなかったのだ。

 そもそも、個人戦ではなく、チーム戦であり、一人の能力だけで戦いに勝つことは難しいという問題もあり、優勝というのは、エルヴァ一人に託すにはとても無理難題であった。

 エルヴァも武術の才能に秀でているのは確かだ。

 だがそれでも気がかりなことがあった。

「俺は……、魔法を扱えません」

 自分の手のひらを見つめて話すエルヴァ。

 当然だがここは魔法学園でありチーム戦となれば、それを活かした戦いが重要になってくるのは考えるまでもない。

 それに加えて、ここまで来る中で何度も話してきたように魔力適性が皆無だ。

 それはこの学園で優勝を取るということにおいて、何よりも弊害であることはエルヴァも自覚していた。

 だがそんなエルヴァの考えとは裏腹にリアナは告げる。

「ええ、わかっています」

「だからこそ〝魔法に嫌われた〟あなたにこの学園を勝利に導いてほしいのです」

 エルヴァには言っている意味が理解できなかった。

 魔法を扱えないエルヴァにこの学園で何ができるのか。

 エルヴァがその疑問を投げ返す前にリアナは続けた。

「それに魔法が扱えないあなたにも、得意なことがあるのでしょう?」

 何かを察しているかのように話しかけるリアナは、にこやかに笑っていた。

 それを聞き、エルヴァは手を握りしめた。

「それは……、確かにそうですけど……」

 まだピンときていない様子のエルヴァに、リアナは言葉を続ける。

「対抗戦は当然魔法だけじゃありません。あらゆる技能が必要になります」

「だからこそ我が学園にはあなたのような生徒が必要なのです」

「魔法以外の技能を持つあなたの力が」

 エルヴァは複雑だった。

 魔法が扱えない自分に何ができるのか。

 知識はある。だが知識だけでは実践では役に立たない。

 武術の心得は確かにある。

 だがそれがこの学園で、ましてや対抗戦で活かせるのかはわからない。

 とはいえ現実的に、この学園を抜けるには先程話したように問題もある。

 そんな複雑怪奇な状況に、エルヴァの心は乱されていた。

 思い悩んでいるとリアナは続けて口を開く。

「とはいえ、無茶なお願いであることは承知しております」

「これから家に帰り、ご両親と相談されてから決断されても構いません」

「どうしますか? エルヴァ君」

 選択肢を与えたようでどこか事を急かすリアナに、エルヴァは俯きながら頭の中で考えを巡らせていた。

 簡単ではない条件。一人で決める問題でもないこと。そして断りたくないと思っている自分自身の気持ち。

 そういったことが頭を巡ったが、エルヴァはある答えにたどり着いた。

 それはもはや、受ける受けないの話ではなく、〝覚悟を決めるか〟〝決めないか〟の違いであることに。

 エルヴァは髪をぐしゃぐしゃとかき乱してから、吹っ切れたように顔を上げた。

 その顔はどこか覚悟を決めたような様子だった。

「わかりました」

「多分それしか方法がないってことは……、無いのかもしれないけど……」

「漠然とですけど……、ここで応えなかったら後で後悔しそうな気がするんです」

「すごく急なことだし、当然、親父たちにも話さなきゃいかないこととかあるけど……」

「それでも俺は……」

「やってみます……!」

 自分の両手を強く握りしめ、リアナの提案に応えるその姿は、どこか凛々しく声にも力強さを感じた。

 そんなエルヴァが真っ直ぐ見つめる視線の先で二人は笑顔を浮かべていた。

「いきなりこんな無茶をお願いしてごめんなさい」

「でも受けてくれてありがとう」

「頼むわね、エルヴァ君」

 そう言うとリアナが近づき、改めて手を差し出してきた。

 エルヴァはその手を今度はしっかりと握り返した。

「こちらこそ、改めてよろしくお願いします」

 そんな様子をサリアは横でジッと見つめていた。

「サリア先生も。お手間をおかけするけど……」

 リアナは握手していた手を離して、サリアにそう告げた。

 それを聞き、サリアも期待に応えるように口を開いた。

「生徒の挑戦を全力で支えるのも、教師である私の努めです!」

「それに……、私も少しぐらい手のかかる子が居てもいいと思っていたところですよ」

 そう答えるサリアの顔は、廊下で見せたような悪戯めいた笑顔でエルヴァのことを見ていた。

「やっぱ俺のこと手のかかる生徒だって思っているんですね……」

 エルヴァは廊下の出来事を思い出し、冷めた視線をサリアに送っていた。

 しかしサリアも、その視線に気付きながら廊下の時とは違うリアクションで返してきた。

「ええ! 思っているわよ?」

 今度は白々しく答えるのではなく、自信満々にそうだと肯定されてしまった。

 そんな自信満々の笑顔に、エルヴァは驚き声を上げてしまう。

「うわ! 開き直ったよ……!」

 また明らかなタメ口をきくエルヴァだったが、サリアも今回ばかりはと見逃してくれた。

「まったく……。これからよろしくね? エルヴァ君」

 呆れながらもサリアが手を差し出し握手を求めてきた。

 エルヴァは、おそらくこの手を握れば、この学園での壮絶な生活が始まる、とそんな気がしていた。

 だからこそ、これは真剣に覚悟を決めて、その手を握り返した。

「よろしくお願いします。サリア先生」

 しっかりと握られたその二人の両手に、もう一人、手を乗せてきた。

「あら、それじゃあ私からも」

 手を乗せたのはリアナだった。

 それは、リアナからエルヴァにではなく、リアナからサリアに思いを託す握手でもあった。

「よろしくお願いしますね。サリア先生、そしてエルヴァ君」

 そのリアナの思いに、二人は力強い声で応えた。

『はい!』

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