わたしは教師で、あなたが生徒。

 エルヴァは男子生徒に教えてもらった通りに廊下を進み、無事に職員室と書かれた札のある扉の前についた。

 廊下を急ぐエルヴァを見て、通りがかった生徒達は何事かと振り向いていた。

 扉の前につき、エルヴァは男子生徒のことを思い出す。

 急いでいたとはいえ、案内をした男子生徒にしっかりとお礼を伝えていなかったことを。

 少し失礼だったかもしれない、とエルヴァは考えていると、不意に扉が開いた。

「あれ? 君は?」

 扉を開けたのは、眼鏡をかけた綺麗な女性だった。

 歳は若くみえ、短い銀髪は絹のようにきめ細かく、廊下に差し込む日差しに反射し、とても美しく輝いていた。

 長いローブを羽織り、着用している服も生徒達の制服とは違い、魔装と呼ばれる礼服に身を包んでいた。

 その女性の姿に、エルヴァは一瞬だが目を奪われていた。

 女は驚いた様子でエルヴァを見ていたが、何かに気がつきハッとした表情で頷いた。


「黒髪でボサボサ頭……。それに学年章を着けてないところからすると――」

「きみがエルヴァ君ね?」


 優しく落ち着いた声で女はエルヴァの名前を言い当てた。

 そんな不意の状況で、呆気に取られていたエルヴァは小さい声で軽く挨拶をしてしまう。

「あ……、ども」

 エルヴァの軽い挨拶を聞き、先程までにこやかに笑っていた女の表情がムッとしたものに変わった。

「あ、どもじゃないでしょ?」

「あなた、転校生のエルヴァ君でしょ? いくら転校生とはいえ挨拶はちゃんとしなさい」

 先程の優しい声とは違い低い声で、女はエルヴァの言葉遣いを指摘する。

「うす」

 だがエルヴァは無意識に、またも軽い返事をしてしまう。

「うすじゃない」

 女が小脇に抱えていたボードでコツンと頭を叩かれた。

 そんなだらしないエルヴァに対し、女は腰に手を当て、ため息をついていた。

 そしてひと呼吸おいて話し始める。

「私はあなたが転入するクラスの担任のソフィア・サリアよ。よろしくねエルヴァ君」

 担任と名乗るとサリアは手を差し出す。

 差し出された手を見てエルヴァは思いとどまった。

 自分自身の中でまだ転校を受け入れられていない。

 むしろ釈明をして、転校を取り消したいほどだ。

 複雑な心境のエルヴァは、その手を取ることなく先に口を開いた。

「いや待ってください」

「ん? どうしたの?」

 手を差し出したまま、首をかしげるサリア。

 不思議そうに見つめるサリアに、エルヴァはあまりにも短すぎる言葉を放った。

「俺は手違いです」

 手違いと主張するには声は落ち着いていた。

「????」

 短すぎる言葉に、サリアは何を言っているのか理解ができないでいた。

 おかしなことをいうエルヴァにサリアはキョトンとした表情でみている。

 そんな言葉の少なさに気付たのか、エルヴァは訂正するように続けた。

「あ、いや言葉足らずでした。俺には魔力適性が無いんです。皆無なんです!」

 今度は強く主張していた。

 これが漫画であればドンッ!という効果音が書かれていたほどに。

 だが誰が聞いても、それは自信満々で言うようなことではなかった。

 先程よりも言葉を加えて説明したエルヴァだったが、重要な転校の話はしていない。

 そのためか相変わらず変わらない表情のサリアだったが、一瞬間をおいて言葉を切り出した。

「妙に自信満々なのは置いておくとして」

「どういうこと? 私が受け取った書類には適正ありって書いてあるけど……」

 持っていたボードから『内申書』と書かれた書類を取り出し、エルヴァにみせた。

  そこにはエルヴァの顔写真や経歴、素行なども書かれており、魔力適正の項目に『適正あり』と印字されている

 見るとその書類は、エルヴァの在籍していた学園が発行したものであると証明の判も押されている。

 間違いようのない公正な書類だった。

 だがその書類には事実とは異なる誤った情報が書かれていた。

 なぜそう書かれているのかはわからないが、実際にこれが通ってエルヴァは転校ということになっている。それだけが事実だった。

 そんな間違った事実にエルヴァは強く否定する。

「そんなはずないです! 俺は今まで魔法なんて触れたこともなくて」

「今日初めて、学園の校門で魔法を経験したというか……」

 エルヴァは初めて経験した魔法をどこか照れくさそうに話し、改めてそのことを思い出していた。

 光の円の上で自分の意思とは関係なく発動したあの感覚を。

 そんなエルヴァに対し、疑うようにサリアは口を開いた。

「君が嘘をついているようには見えないし……」

「そもそも嘘をつく理由もないわよね……」

 サリアは驚きよりも疑問が頭に浮かんでいた。

 この学園は魔法使い達の学園だ。

 そのため、魔法適性の低い生徒が入学することがあっても、適性が全く無いという生徒には今まで出会ったことがなかったのだ。

 それも当然で、この学園は世界でも随一のエリート魔法学園とも呼ばれている。

 その呼び名が示す通り、厳正な筆記試験や実技試験などをくぐり抜けて生徒達は入学している。

 だからこそこの学園の厳格さは、ここ数十年も長く保たれてきた。

 疑うサリアにエルヴァは冗談めいた口調で返す。

「どうせ嘘をつくなら、魔法が使えるって嘘をついたほうが面白いですよ。俺は」

 そんなことを自嘲気味にいうエルヴァに、サリアは苦笑いを浮かべていた。

 この世界で魔法適性が全く無いというのは非常に珍しかった。

「ごめんなさい、別に疑っているわけじゃないのよ」

 エルヴァを気遣うようにサリアは答えた。

 そんな気遣いにエルヴァも、手を前に出して大丈夫だと示していた。

「へーき、へーき。慣れっこですよ」

 軽くそう答えるエルヴァだったが実際は、昔からその体質を奇異の目で見られていた。

 それで大きく酷い扱いを受けたことはなかったが、何人からもそういった目で見られることに、内心うんざりしていた。

 出会った人の多くから「適正無いの?」と純粋に質問されるのはうっとうしいものだろう。

 そんな姿にサリアは「そう……」小さく答え、言葉を続けた。

「でもあなたは〝転校〟してきたのよね?」

「それならもしかすると――」

 何かに気がついたサリアは、転校について話し始めた。

「転校なら、多くの試験をスルーして、手続きだけで学園に入ることもできるの」

 サリアの話にエルヴァもなにか気がついたのか反応する。

「確かに……。俺、試験受けてないですよ」

「そうでしょう?」

 エルヴァの疑問にサリアは答えた。

「〝入学〟と違って〝転校〟は、転校前の学園と転校先の学園で生徒の成績を考慮して判断されるのよ」

「言ってしまえば、この学園に転校手続きを行えた時点で〝転校〟は、ほぼ確定しているといってもいいわね」

 この学園の転校は、学園間の信頼関係による裁量がすべてだった。

 特殊な基準ではあったが、その理由はこの学園の体制にある。

 学園の理念として、世界のために、正しい魔法の扱いを学ぶ学園という部分がある。

 そのため、エリートじゃないと入学ができないというわけではない。

 多くの魔法使いが正しい扱い方を学ぶために、学園は広く募集をかけていた。

 だが魔法を扱うには当然のリスクが付きまとう。

 そのリスクを背負い、扱いこなすためにも、入学試験においては一般的に見ても厳しいものとなっていた。

 実際それに合格した者たちは、エリートと呼ばれるにふさわしいほど優秀な成績を収め、才覚に目覚めている。

 そういった理念との矛盾を少しでも解消しているのが〝転校〟という制度だ。

 学園長の人望と人脈によるものではあるが、学園間の信頼関係で生徒の転校を決めるという特殊な採用方法が取られている。

 これならば試験という手段を講じずとも人の才覚を見抜くこともできるという考えだ。

「つまりこの〝内申書〟は、その試験に相当するとても大事なものなの」

 サリアはそう伝え、その書類をもう一度見せる。

「だからこれが虚偽であることは絶対にあってはならないの……」

「でも今回はそれに誤りがあって、あなたが転校してきてしまった」

 一度、考えるように間を置いてサリアは続けた。

「そうなれば、あなたがこの学園に来た原因は……」

「私達にあるのかもしれないわね……」

 申し訳無さそうに話すサリア。

 気まずい空気が流れたが、続けてサリアは口を開いた。

「ごめんなさい」

 原因はわからなかったが、サリアは今起きている事実に対して謝罪をした。

 突然謝られたことで、エルヴァはどう答えるべきか考えていた。

 気まずい空気のまま、沈黙が訪れた。

 サリアも考え事をしているのか口に指をあてながら俯いている。

 だがそんな沈黙を先に破ったのはエルヴァだった。

「でも、この学園に転校するって決めたのは、俺の親ですよね?」

 エルヴァはサリアに問いかけた。

「そうね……、私はその話を直接聞いていないから、勝手なことは言えないけれど……」

「あなたのご両親か、もしくはあなた自身が、この学園を希望しなければ私達に話が来ることはないわね」

 サリアは問いに答える。

 それを聞くとエルヴァは表情を変え、ケロッとした顔で答えた。

「じゃあ、俺の親の手違いってことですね」

 あっけらかんと答えたエルヴァにサリアは目を丸くしていた。

「そんな手違いって……。あなたのご両親もあなたのことを考えて、転校を希望したわけじゃないの?」

 サリアはごもっともな問いをエルヴァに投げかけた。

 だがその問いはすぐに否定された。

「いーや、無いね」

 その否定はタメ口だった。

「絶対ないね」

 そして断言していた。

「絶対ないってそんな……、ってあなたタメ口――」

 そう伝えるエルヴァだったが、サラッとタメ口を聞いていたことにサリアは指摘しようとしていた。

 だがすぐにエルヴァの言葉で遮られた。

「だって俺の両親も魔力適性が無いんですよ?」

「え?」

 サリアはエルヴァの言うことに驚き、声を出す。

「そもそもこの国に移り住んで来た事自体がびっくりしているんですよ」

 エルヴァは両親のことを話し始めた。

「魔学の先進国でやりたいことがあるーって言っていたけど……」

「多分、魔科学とかそういう事に応用したかったんだろうな」

「まあとにかく、そういうこと考えているのに、ここが魔法を扱う学園だって、気が付かないんですよ」

 サリアはポカンとしていた。

 急なことに頭の理解が追いついていなかったが、続くエルヴァの言葉がより混乱を生んだ。

「つまり何が言いたいかっていうと」

「俺の親、〝天然〟なんですよ。それも〝ド〟がつくほどの」

 言い切っていた。

 〝天然〟

 言葉にすると簡単だが、説明がないと理解し難いそれは、まさにエルヴァの両親にピッタリの言葉だった。

「そ、そうなの?」

 やはり理解が追いつかなかった様子のサリアは、当然のごとく戸惑っていた。

 エルヴァは続けて話をする。

「この間も仕事で客に対して魔力酔いさせていたし……」

「抜けているっていうか、頼りないっていうか、非常識っていうか……」

 呆れを通り越して悟ったような声でエルヴァは話していた。

 そんなエルヴァの話にサリアは驚きながらも言葉を返した。

「そ、それは大変ね」

 サリアなりに精一杯、気を遣った言葉だった。

「慣れましたよ」

 だがエルヴァにとって、それは日常だった。

「だから今回の件も一週間前に知らされて、なんやかんやで今日みたいな……」

 サリアはあまりのことに若干引いていたが、それ以上にエルヴァのことが可哀想にも思えてしまっていた。

「あなた、色々と苦労しているのね」

 そんな気苦労の絶えないエルヴァに、サリアも同情する。

「そうなんですよ先生。わかってくれます?」

 同情してくれたサリアにエルヴァはまた軽口を叩いていた。

「こら! 馴れ馴れしいわよ」

 そんなエルヴァの軽口も今度はしっかりと注意を受け、頭をポカっと叩かれていた。

 概ねの話を聞きサリアは納得したのか改めて口を開いた。

「大体事情はわかったわ。とりあえず学園長に掛け合ってみましょう」

 そう話すサリアに対し、エルヴァは「お願いします」と言い一緒に学園長室まで歩き始めた。



 学園長室まで向かう途中、エルヴァ達は登校したばかりの生徒達とすれ違った。

 そのほとんどはサリアを慕う生徒ばかりで、サリアも生徒も元気の良い挨拶を交わしていた。

 たまに廊下を走る者も居たがすぐに注意される。

 注意された者も素直に従い教室に入っていく。

 そんな様子を後ろから見ていたエルヴァは、サリアに話しかけた。

「先生って結構慕われているんだね」

 サリアは振り向くことなく答えた。

「意外かしら?」

「別にそういうわけじゃないけど」

 否定するエルヴァに間髪を入れずにサリアは言葉を続けた。

「本当、手のかからない子たちで助かるのよ」

 歩きながらだが、チラッとエルヴァをみて答えた。

 そのサリアの表情は悪戯そうに笑っていた。

 声も少し嫌味ぽく聞こえた。

 それに対して、エルヴァはつい反応してしまった。

「まるで俺は手のかかる子だって言いたげですね」

 不服そうなエルヴァにサリアは答えた。

「いーえ、そんなこと言ってないわよ?」

 その答え方は明らかに含みを込めていた。

 だがサリアは付け加えるように続けた。

「でも私は手のかかる子のほうが、教えがいがあって好きよ?」

 その言葉にエルヴァは弄ばれているような気がしていた。

 だからエルヴァはつい言い返した。

「先生ってなんだか教師っぽくないですね」

 エルヴァは思ったことをそのまま口にした。

 本人も意外な感想が頭をよぎったことに、どこか違和感を覚えていたがつい言ってしまった。

 だがサリアからも意外な返しが返ってきた。

「そうねぇ。よく言われるわ」

 エルヴァは「失礼よ」と怒られると思っていた。

 だが実際には同感されてしまい戸惑っていた。

 そんなエルヴァを気にすることなくサリアは話しを続ける。

「どうしても歳の近いあなた達と距離が近くなってしまうのよね」

 むしろサリアは悩ましそうだった。

 どうやらその性格からか、生徒との距離感に苦慮していた。

 実際、距離感が近いというのは教師と生徒という間柄では、良いことよりも悪いことの方が多かった。

 その距離感に生徒は教師のことを友人のように錯覚してしまう。

 もしそうなれば、友人と錯覚してしまうような教師に教えを請う生徒は少ないだろう。

 それでは教師としての務めは果たせない。そうサリアは考えていた。

 だが礼装に身を包み、教壇に立つ姿はきっと様になっているだろう。

 そう感じるほどに、サリアは〝教師〟らしさを感じる見た目をしていた。

 そのためか教師のように感じないことを、エルヴァも不思議に思っていた。

 だがエルヴァは先程のように、素直な気持ちでサリアに言葉をかける。

「距離が近くて何がだめなのか俺にはよくわからないんですが」

「俺は先生が担任なら学園が楽しそうだなって思いましたよ」

 エルヴァは純粋にそう感じていた。

 二人はまだ数分しか話していなかったが、サリアにはどこかそう感じさせるものがあった。

 エルヴァは素直に言葉を伝えたが、もし他の人ならもっと気の利いたことを言っていたのかもしれない。

 だがサリアにとって、その言葉で充分だった。

 むしろ一番だった。

「ふふ、ありがとう」

 エルヴァの言葉に、前を歩いていたサリアは確かに笑っていた。

 先程の意地悪そうな笑顔とは違う。嬉しさからの笑顔で。

「でもタメ口は許しませんからね?」

「あ」

 振り返ったサリアは笑顔のままエルヴァに言うのだった。

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