第56話 謳歌は続く……

 四組目のグループが演奏している中、恭一はそそくさと体育館の端を通っていた。観客の人たちからしてみたら、もう有名人みたいなもので、みんなからの視線を感じていた。

 恭一は仕方なく手を上げて頭を下げて、体育館を後にした。

「鳴尾!」

 後ろから葵が付いていく。その後ろは泉の姿だ。

「ちょっと待ってよ。今から兄貴がいる保健室に行くんでしょ」葵たちは走って来たらしく息を切らしていた。

「まあな。心配でたまらないからな」恭一は後ろを振り返った。そこにはステージの時のような真剣さとは別で、いつもの恭一だった。

「どうして? どうして、アメリカに留学をしようと思ったの?」

「そこ聞く? ……まあ、母さんがアメリカで仕事をしてるから、そのツテで音楽レコード会社の担当者に会って、そこでドラムを披露したんだ。正直腕前はまだまだだけど、留学をして、アメリカでドラムの勉強をしたらチャンスは大いにあるって言ったからな」

「そんなあ、そんなことがあったんだったら言ってくださいよ」と、泉は両手を力強く握った。

 恭一は頬を掻いた。「まあ、言いづらいもんだよ。ゴメンな。でも、正直オレはお前が言ったようにどうしようか考えていたんだ。渡米しようか悩んでいた。でも、今日先輩が一生懸命歌ってる後ろで、ようやく絡まっていた意図がほどけたように分かったんだ。オレはこんな一生懸命になってドラムを叩いていたかと。

 全てを込めて歌っている先輩は……確かに力みすぎて倒れてしまったけど、オレはその姿は眩しかったよ。そして、オレはこんな姿を見せたいと思ったわけだ」

「ふーん、まあ、あんたらしくないけど、あんたらしいね」と、葵は腕を組んで言った。

「おい、どっちなんだよ」

「まあ、自分で決めたことなんだったら行ってきたらいいじゃない。その代わり、滅茶苦茶打ちのめされて帰って欲しいけど……」

「相変わらず嫌味なことを言うな」

「違うわよ。打ちのめされたあんたを見てみたいのよ」葵は目を背けた。

「どういう意味だよ……」恭一は両手を上げて首を傾げた。

 そこにようやく泰三の姿が見えた。恭一は軽く頭を下げた。「おい、お前。さっきの話聞いたぞ。わしは感動した」と、泰三は涙目で言った。

「まあ、事実を言っただけっすよ」

「でも、まさか、お前がアメリカに留学するために、聡たちを誘ったのは流石だなと思った」

 ……いや、違う。アメリカに留学とブラボーのメンバーと関係ないんだが……。

「流石、詐欺師だね」と、葵。

 恭一は弁解するのも面倒くさくなって、「フフフ、ようやく分かったかい」と、照れながら後頭部を掻いた。

「体育館前が騒然としている中、多恵と柏野も飛び出すように外へ出て、恭一を発見すると、すぐさま「恭一!」と、声を張り上げて、多恵がこちらに向かってきた。恭一は思わず身を隠れたくなった。

「あんた、アメリカに行くって本当?」と、多恵は彼に向かって素っ頓狂な声を上げた。

「ああ、来年の春先に留学しようと思ってる。まだ、留学先も分からないし、その辺は見学も行かないといけないからな」

「それがいい。早速、向こうに帰ったら音楽専門のスクールを当たってみるよ。今日の演奏の君ならきっとプロのドラマーになれる」と、柏野は顎髭をさすりながら言った。

 泉は手を腰に当てて、しかめっ面のままだった。「アメリカなんて、折角ようやくバンドが形になって来たのに、それはあんまりですよ」

 すると、葵は泉の肩を叩いた。「泉、鳴尾は今日決断する前に、渡米のことをずっと考えてたんだし、バンドは泉が引き続きやったらいいじゃない」

「うーん、そりゃあ、そうだけど……」そう口をとがらせていた。

「でもさ、まだ高二が終わるまで、バンドも楽しもうぜ。付き合ってくれよ」と、恭一は葵の左胸を右人差し指で押し当てた。

葵は恥ずかしくて咄嗟に胸を両腕で隠す。「あー、この野郎」多恵の方を見る。「お母さん見ました? これがこの前言った性犯罪ですよ」

「これはやっちゃいけないでしょ。こらぁ、あんたって奴は」

「へへ」

 と、一目散に恭一は保健室まで走るのであった。

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――せめて、高校時代に謳歌を―― つよし @tora0328TORA

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