第三話:セルビアの歌

3−1:コーヒー・トーク

 1914年6月28日。

 共同統治国ボスニア・ヘルツェゴビナ首府。サラエヴォ市。8年ほど前にオーストリアに併合されて以来、路面電車といった新たな都市開発の実地試験場として大いに発展していた。


 本日はオーストリア皇太子の視察もあるという事で街は大いに賑わっている。


 そんな東欧の最新気鋭の街の一角。小さなカフェのテラス席には、その場に似つかわしくない東洋人が二人座っていた。

 一人は翡翠色のトレンチコートを羽織った三十路の女で奇妙な旅行鞄を傍らに置いている。彼女の目の前にはエスプレッソ入りのカップとミルク入りの小瓶が置かれている。


 彼女は長い長い自分語りを終え、話を締め括っている最中であった。


「そういう訳で私は武器を売る事になったの。ほら、戦争論の著書も言ってるでしょう、政治の最終的帰結こそが戦争であるって。世界を突き動かしてきた原動力が武力なら、神の思し召しを叶えるにはソコを弄るしか他に無い」


 そう言って、女はエスプレッソにミルクを加えるという暴挙にでる。何の為に抽出したのか分からない。本末転倒とはまさにこの事だ。


「それで、成果は?」


 もう一人の少年が問うた。


 サスペンダー付きのスラックスにノリの効いたシャツという文句の付けようが無い格好。頭には翡翠色の鳥撃ち帽が畏まって乗っている。

 線は細かったが、栄養失調というほどではない華奢で可憐な出立ちをしている。


 彼は紅茶に蜂蜜を流し込み、ゆっくりとかき混ぜた。


「大したものは何も無し。世は事もなく、憎み争いあっている。この牛乳とエスプレッソみたいなものよ。かき混ぜるか否かに関わらず、いずれ粒子は分散する。大した差はない」


 そう言って、彼女はミルクを匙で調節し、漆黒の液面にスマイリーマークを描き出した。会心の出来に思われたが、やがてそれも崩れ去り、後に残ったのはカフェラテモドキだけとなる。


「でも、貴女の干渉によって僕は此処にいる。余りにも大きな変化だ」


「貴方にとっては、ね。時空の狭間にいる私の上司にとってはそうじゃないのよ」


 「その上司も分からないですね。どうしてそんなくだらないことに興味を惹かれたのか。蟻の巣の行く末なんて誰も気にしやしないのに」


「私たちがコーヒーや紅茶なんていう苦い汁をわざわざ喜んで啜るのと一緒よ。癖になってるのね。知識にはカフェインかそれ以上の中毒症状がある」


「僕のいた時代と文明の差があり過ぎて、話に少しばかりついていけませんよ。地球が丸いという話だけでも理解し難いのに」


「いずれ、嫌でも分かるわ。永遠の中では新しい物事や体験、知識というのはかけがえの無い価値を持つ様になる。生きているという実感はそこからしか得られなくなる」


 独り言の様に彼女は言い、カフェラテもどきを全て飲み込んだ。


 しかし、彼女の視線はカップの中ではなく、向かいの席に座った一人の男へと向けられていた。

 

 20代に入り掛けという年若い青年だが、その顔は無精髭と据わった眼付きによってかなり老けて見えた。目の奥では使命感と怒りの炎が燻り、その一方で表情には失意の色が見て取れる。


 彼の上着には不自然な膨らみが浮かんでいる。丁度、拳銃サイズの胡乱な膨らみである。

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