2−4:実存と回転式拳銃
重い瞼を開けた時、辺りに広がっていたのは何の変哲も無い草原だった。
空には満天の星空が広がり、北斗七星が澄み切った空に輝いている。足元には取り落とした干し肉がそのまま転がり、立ち尽くしたままの足は酷く痛んでいた。
火照った頬を夜風が撫ですさる。白昼夢から覚めたことを実感し、痛む首筋を元に労わる様に視線を下げた。
それを嘲笑うかのように、其奴は座っていた。
絨毯の上に胡座をかく、一人の老人。
其奴はあの時の老人に風体は酷似している。黒檀の肌。袈裟じみた一枚布の服。玉虫色の幾何学的紋様の絨毯。
だが、彼が同一人物だとは到底思えなかった。夢はまだ覚めていないのである。
その老人は無貌だった。
元来、目鼻口があるべき空間は抜け落ち、顔と呼べる要素は何一つない。ただ只管にどす黒い虚空のみが存在している。老人の顔には深淵が覗いていた。推し量ることも出来ず、またそれを望む気にもならない本当の深淵である。
私は老人へ問い掛けた。
「翡翠は?」
何処までも俗物的にあろうとしたが故の問い掛け。
この倒錯した悪夢の中にあって。少しでも人間性を保とうとしたのだ。それは言わば、強がりに過ぎず、子供の癇癪と何ら変わらない。
皮肉な事に、私は怒る事によって理性を取り戻そうと試みたのである。
老人は黙したまま、その虚空によって私を覗いている。
それがどれだけ無駄な事であるか知りながら、私はコートの下から一丁の回転式拳銃を引き抜いた。
ウェブリー Mk VI。
1887年に英国軍に正式採用された回転式拳銃の最終形。トップブレイクの6連発ダブルアクション。最終生産は1963年。20年以上前の骨董品であるが、重厚で堅牢な造りは時の流れを感じさせず、今なお必殺の威力を秘めている。
頭の中に銃の意味のない能書きを並べたて、勇気を奮い起こす。或いは、現状から目を逸らす。
老人は黙したままだ。銃口よりも暗く深い虚空を揺らめかせ、私の胸元を指さす。
その瞬間、私は感じ取った。心臓の上に浮かぶ、異様な存在を。
ソレは『我思う故に我あり』という実存の証明が霞むような存在感である。
何一つない海溝、或いは外宇宙にただ一つ漂流する荒漠の衛星。それに類する何かしらが私の胸の谷間に存在している。
私は服を剥ぎ取った。
コートを、シャツを。ボタンが引き千切れることも構わずに。回転式拳銃を握り締めたまま、銃が暴発することも考えにいれず、
視線を自身の胸元に向けた。
其処には玉虫色の翡翠が埋まっていた.
一片の狂いも無い真球。内部では無数の肉塊が泡立ち、揺らめいている。瞬く星雲にも唾棄すべき蠢くバクテリアの集合体にも見える。我々には目視し得ない時間という名の座標が捻くれているのが分かる。
それを毟り取ろうとしたが、途中で手を止めた。
触れてはならない。そう確信した。所以もなく、ただ唐突に。
【どうした、触れないのかね?】
老人の虚空から音が響く。それは声と評するにはあまりにも無機質である。
私は押し黙って、頷き、虚空を見据えた。拳銃をさらに強く握り締め、その暗い銃口を突き付けた、
「何が起こってるか説明願おうか。この翡翠の正体も、アンタの名も、そして私が目にしたあの宇宙海葡萄についても」
私の精一杯の真摯な冗句に呼応するように、老人は嫌に人間臭く肩を竦めた。
【モノを問うなら、先に自らを差し出さねばならない】
慇懃で冷酷な物言い。
一発、その虚空に打ち込んでやろうと、私は照準を覗き込んだ。会話の主導権を握らせてなるものかと、私は躍起になっていた。
そして、あと数グラム力を加えるだけというところで、私は一つの懸念に行き当たる。
『私の名前はなんだ?』
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