2−3:チャンネルはそのままで…
老人の話は随分とオカルトじみていた。
日没の間際、ある周波数へ無線のチャンネルを合わせると、翡翠が存在する位置座標が流れてくるらしい。
それも地に埋まったものではなく、山肌に剥き出しで存在しているというのだ。
何でも、この辺りの民兵へ出資している富豪の一人がその生き商人で、彼の元手は件の周波数で知った人頭サイズの紅玉だったらしい。
眉唾であると知りながら、私はその妄言を実践に移した。
元手となるラジオは私の手元にダース単位で存在していたわけだし、労力も大して掛からない為である。
駄目で元々。そういう世界で我々は生きている。
その日の夕方ごろ。
私は高原の草地に天幕を張り、ラジオの前に座り込みながら夕飯の干し肉を齧っていた。
藍色の草原は夕陽によって斑らに染まっていた。吹き渡る風は辺りを席巻し、草と岩の海を波打たせている。時折、野生の山羊の嗎と風音だけが聞こえる。
幻想的だが、何処か不穏な光景だった。
ラジオからは絶え間なくノイズが響いている。いまだ未開のこの地において、余りにか細い文明の囁きであり、何ら変わり映えしない雑音の乱流である。
だが、夕日が地平線によって二分されたその時であった。
ノイズの中に奇妙なクリック音が混じり始めた。
それは一定の数を打ったのち、区切りを挟み、また打たれる。
それは緯度と経度を、海抜何メートルあるいは何フィートであるかを指しているように思われた。
座標が放送されると予め知らなければ、それは唯の雑音としか聞こえないだろう。
しかし、高山病による幻聴という線を除けば、今の所、老人の言葉に嘘はない。
メモを片手に地図を開く。
座標の指し示す場所を指でなぞる様に探し出す。
緯度から経度へ等高線を辿り、全てが交差する地点へ目線を走らせた。
私は二度、三度。その間違いようもない作業を繰り返した。信じたくも無い真実が其処に浮かびつつあったからだ。自身が間違いを犯したと信じ込もうとしたのである。
だが、現実は変わらないからこそ現実である。
その座標の指し示す地点は、紛れもなくテントを張った此の場所だった。
唯一の差異は、その海抜。ヒマラヤよりうず高い位置を指し示している。
ラジオからはまだクリック音が鳴り響いている。
同じ音の繰り返しであった筈のそれは、少しずつその円観を変えていた。
海抜を示す筈の数値だけが少しずつ下がっている。ゆっくりと、だが着実に近づいて来ている。
私は許しをこう様に頭上を見上げた。
夕焼けに染まっていた筈の空は、いつの間にか玉虫色に変わっていた。
水溜まりに浮かぶ金属バクテリアの虹彩の如く、七色の光を発しながら、空は揺蕩っている。オーロラですらない。この世から隔絶した何かに満たされている。
その天頂に浮かぶのは、更に常軌を逸した存在だ。
海葡萄の如く集う巨大な光球の群れ。ある球は砕け、ある球は分裂し、流動するように集合する。その体積は常に変動し、原形質の硝子じみた肉塊を泡立たせている。
光は明滅し、正常な色という概念は失われつつあった。全てが玉虫色に染まり始めていた。
私はその手に握った干し肉を取り落とし、ただ天を見据えた。
正気などとうに失われている。脳の奥は二日酔いの様にがんがんと疼き、目の奥は沸る様に熱かった。
頭の奥に声が響いて来る。
「道を開け」
それはラジオのノイズよりも遥かに耳障りだ。
「道を開け、全ての可能性を網羅せよ」
骨髄を直接振るわされる感覚。
「道を開け、全ての可能性を網羅せよ、解放はその先にある」
失せる事の無い嘔吐感。
時間の感覚は消え去り、瞬きをすれば永遠の暗闇に沈み、二の腕を握れば瞬時に青痣へと変わる。
全てが虹彩に染まった。
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