2−2:翡翠の煌めき
ビルマ北部カチン州。
冷涼な山岳が広がるこの辺りは翡翠の一大産地である。
そして、少数民族による反政府組織が一部地域を支配しており、言うまでもなく、彼等の財源は翡翠やその他鉱物資源であった。
渡航許可が降りることはあり得ない世情だったにも関わらず、私が此処に行商に来たのはやむおえない事情があってのことであった。
即ち、金のためでありそれ以上のそれ以下でもない。
上海の違法賭博で擦った分を取り戻すべく、中国経由で密入国したのである、
日本製の三輪トラックに日本製の手回しラジオを満載し、崖ぎわの山道を肝を冷やしながらに集落を売り歩いた。眼下に広がるのは雄大な自然と独自の生態系。その中で育まれた文化と宗教。
終わりの見えない紛争の中でも、その全てが魅力的に映った。
代価は勿論、翡翠である。
その時のビルマ紙幣など凡そ信頼に値するものではない。
通貨制限施策という悪しき前例。
ネ・ウィン大統領政権下では何の保障政策も無いままに紙幣を廃止してしまい、国民の貯蓄が75%が無に帰した。反政府組織の闇市や密輸業を弱体化させるために件の施策を行ったが、それはコラテラルというには余りにも大き過ぎる損害を各方面で出す結果となったわけである。
住民の方もそれを良く肝に銘じているようで、取引は専ら物々交換かドルか元で行われていた。結局、人が居る限り経済というのは回り続けるものである。
取引を重ねているうちに、私はある老人にこう問い掛けられた。
「君は日本人か?」
大戦中は日本の植民地であったこの場所は未だ禍根を残している。日本の前には英国。その前は別の民族。常に支配と抵抗の狭間に彼等はいた。
私が肯定すると、老人は翡翠色の瞳で私を見据えた。
「やっぱりそうだ。目で分かる。あの時見た自転車に乗った兵隊と同じ、ギラギラと光っておる」
自転車というのは恐らく銀輪部隊の事を言っているのだろう。タイヤゴムの枯渇によりフレームだけで走行したそうだが、こんな山岳まで侵攻したのだろうか。
「そんなにギラついていますかね?」
私がそう聞くと、老人は流暢な英語で私に言った。
「そうとも。だから、アンタらは英国の連中を追い出せたのさ」
当時の苦労を知らぬ私は肩を竦める他ない。
「結局、負けましたがね」
老人はゆっくりと首を振る。
「いいや、負けちゃいない。アンタが今こうして此処にいるのがその証左だ。見たところ、三十にも差し掛かっちゃいない様だ。つまり、こんな所まで商売に来れるぐらいには持ち直してるって事だ」
「26です。今年で」
「若いな。なら、儲け話にも敏感だろう。翡翠がもっと欲しくないか?」
「まあ、それはそうですね」
「だろう?良い話があるんだが聞いてくれないか?」
「無料なら」
「そうケチるもんじゃない。お前さんが持ってるラジオの受信機だけで良い。どうせ、スペアパーツも持ってるんだろ?」
「何に使うんです?受信機だけなんて」
「爆弾さ。ネ・ウィンの軍隊を吹き飛ばす為のな」
私はその言葉をを頭から拭いさりながら、ラジオを丸々一つ渡した。受信機だけ渡すより足が付きにくい気がしたからだ。
老人には二度と近づくまいと思ったのだが、二つばかり気になっている事があった。
一つは老人の肌。
彼の肌は酷く黒ずんでいた。それもシミやメラニン色素などというものでは説明しがたい色と光沢。それは研ぎ澄まされた黒曜石を思わせた。
もう一つは彼が座り込んでいた絨毯。
奇妙な図柄が刺繍されている。
まばゆく輝く虹色の球体の集合体。仏教の曼荼羅とはまた違った幾重にも円が連なり重なり合ってい、名状し難き雰囲気が漂っている。
とはいえ、その時の私に深入りする余裕は無く、翡翠とそれが齎す現金についてのみ唯ひたすらに考えていた。
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