第一話:矛盾

1−1:防弾盾

 その村は、見渡す限りの荒野によって完璧に包囲されていた。

 辺りでは、乾いた風が黄土色の砂埃を撒き立たせ、村を荒野の一部にしてやろうと躍起になっている。


 それは、何でもない唯の小さな寒村だ。

 円を描くように二十余りの茅葺き屋根が立ち並び、中央には踏み固められた赤土だけの広場がある。その真ん中では先祖返りした狗が往来し、至る所に小便を垂れている。


 此処は湖北省の農村。名は武村。

 貧相な村で、生み出せるものといえば小便塗れの大根の天日干しと、止むことを知らぬ戦争へ送り出す農民兵ぐらいなもの。


 とはいえ、この頃の集落といえば何処も似たりよったである。


 何処ぞの王都でふんぞりかえる皇帝陛下からすれば、ものの数ではない。人を数値として捉えるには、インターネットも統計調査も必要はない。

 ただ、絶対的な権力と現実との乖離だけが、その惨状を顕現せしめるのである。


 かの様な貧相な村に、武器商人がやってきていた。


 村人に奇異の目で見られながら、錆色の馬と馬車を連れて広場の真ん中に陣取った。


 実に目新しい事に、そいつは女であった。


 良く言えば人当たりが良く、悪く言えば胡散臭い人相をしている。

 奇妙に歪んだ細長の目と描いた眉。ツンと立った鼻だち。商人然とした薄ら笑いを描く銅色の唇。無造作に切り揃えられた短髪は、燻り終えた焚き木の様に白と黒、灰色が入り混じっていた。


 服装は、薄手の麻の胴衣。その上に翡翠色の上着を羽織っている。

 上着は砂塵よけを目的としたもので、かなりゆったりとしている。吹き荒ぶ乾風を受けて時折り翻るその様は、女の長躯痩身もあいまり、廃戦場に打ち立てられそのまま忘れ去られた一枚の戦旗のように見える。


 この女が曰く言い難い魅力を持っているのは違いない。


 だが、何より先に万人が抱く共通の印象は、彼女の表情から立ち振る舞いに至る全てが作り物じみているという事だ。抽象的な現代絵画が時に便所の落書きと見分けがつかないように、その女の容姿も甲乙付け難い訳である。

 

 かくも胡散臭い武器商人は広場のど真ん中に停めた自前の馬車の傍に立ち、弁舌を振るった。


 周囲には人だかりが生まれ、彼女の一挙一動に注目していた。


 彼女の左手には大仰な盾が握られている。そして、これを褒めて曰く。


「此の盾の硬いところ、此れを貫くもの無きなり」


 馬車の荷台から、飾り房のついた矛を右手で引き抜いて曰く。


「此の矛の鋭い所、塞ぐものなきなり」


 当然の様に聴衆から野次が飛んで来る。


「その盾を矛で突いたらどうなるんだ⁉︎武器商人のネェちゃん!」


 他の聴衆達もそれに同調し、意味もなくまくし立てた。

 それを受け、武器商人は和かに笑う。サクラでも仕込んでいたかの様な素晴らしい質問を彼がしてくれたからだ。


 彼女は軽々と矛と盾を捧げた。


「いい質問ですね。この後、特典をプレゼント致しましょう。それと、私の名前は武器商人のネェちゃんでは御座いません。此処らへんでは、翡翠と名乗っております。お見知り置きを」


「自己紹介はいいから、さっさとヤレぇ!」


 同じ男が叫んだ。


 そして、その声の残響を遮る様に金属音が響き渡る。戦場で絶え間を知らず鳴り響くあの音だ。


 聴衆の視線が翡翠の手元へと注がれる。


 そこには、盾を和紙のように容易く貫いた矛の姿があった。大仰な金属の装甲板も意味を為さず、裏張りの樫板が無惨に砕け散っている。


 聴衆から嘲笑と歓声が上がった。余りに単純で、それでいて意外性のある有様であった。


 盾は確かに最硬であると言われても遜色ない見た目であったし、それを最小限の力で和紙のように貫徹する矛は最強に違いないと興奮してしまった訳である。


 そのパフォーマンスに、一部の見物人は武器商人の嘘など、どうでも良くなってすらいた。


 とはいえ、最初に質問した男は武器商人の発言を忘れてはいない。


「ほらな、アンタは嘘をついた。そいつは間違いない。全く謝って欲しいぜ、お客さんを馬鹿にして申し訳ありませんってな」


 武器商人はあいも変わらず、落書きの様な笑みを浮かべる。


「嘘は申しておりませんとも、多少、ややこしい言い回しをしたのは事実ですがね」


「ややこしいも、クソもあるか。アンタは盾が全てを弾くと、矛は全てを貫くと言いやがった。だが、結果は矛が盾を貫いた。少なくとも、アンタは盾に関して嘘を吐いた。そうだろう?」


「いいえ、嘘じゃございません。少なくとも、は最硬でありましたよ。しかしながら、この、そうではなくなった。つまりは、そういうコトです」


 男はどうしようもない正論を吐いた。


「詭弁だ!」


「いいえ、詭弁じゃございません。この世の真理です。今、それをお見せしましょう」


 そう言って、翡翠は矛を男の方へ放った。


 唐突のことだったが、男はそれを辛うじて受け止めた。よろけながら、女である武器商人がこれを軽々と片手で扱って事実に困惑しながら。


 翡翠は馬車の荷台の覆いの下から、新たなる盾を取り出した。

 

 それは村民達が見たこともない透明の材質で作られた盾であった。


「これはA&R社製、暴徒鎮圧用防楯ライオットシールド。材質はポリガーネート。厚さ20mm。50口径APC弾でも単発での貫通は不可能。暴徒鎮圧、スト破り、爆発物除去のオトモに。なんでもござれの逸品でございます」


 武器商人は実に武器商人らしく口上を述べた。


 村民達はその盾を見て、これまた信じられないという様な表情を浮かべる。見たことのないのも当然の話で、凡そ二十世紀先の技術の産物を見せつけられている訳なのだが、そんなことを当人達が知る由もない。

 

 対して、翡翠は意気揚々といった様子で盾を構えて、矛を持つ男に宣った。


「さあさあ実践のお時間です。その素晴らしい矛によって私を穿って見て下さい。それをこの最硬の盾で防いでご覧入れましょう」

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