第3話 未来永劫

 今、バウとチュウスケがいるのは、火の国の首都から北にある大平原。スラムにあるアジトから「北の空」のある異変を観測し、この地へ急いで飛んできたのである。     


「何だ、あれは……」


 バウが見ている視線の先には「穴」があった。空にぽっかりと開いた黒い「穴」は吸い込まれそうになりそうなほど、どこまでも黒く、どこまでも広く、どこまでも深い。その「穴」の大きさは、バウ達が暮らしている火の国の首都と同程度だと、目測だが思える。バウの超人的な視力を持って、その穴を観察すると、その穴は謎の「黒玉」の集合体だと見て取れた。タッパが180ある俺より少し小さいくらい——大体の目測で150センチほどの大きさの、この世のものとは思えないくらいの「黒色」をした無数の球体。それが北の空の、遥か空中にフヨフヨと浮いている。

 

「ありゃ——魔族じゃねえな……生き物なのか?」

「わ、分かりませんけど、マズくないですっか? これ、俺っちの勘ですけど、逃げた方がいいと思えるんすんが……」


 チュウスケは怯えのせいで、ビビビと小刻みに震えており、今にも小便を漏らしそうだった。んな、子分の面白姿にバウは構えない。あの、どうしようもないほどの「脅威」を放っている空の穴から、彼は目が離せないでいた。


「チュウスケ。お前は仲間全員と一緒に、スラムのガキ共を連れて国を出ろ。南へ進め——勇者の故国「ソルフーレン」へ行け」

「——えっ!? ば、バウの兄貴はどうするんすかっ!?」


 慌てふためくチュウスケを安心させるように、何とか作り笑いを浮かべたバウは言う。

 

「俺のことは気にすんな。俺の脚なら、あんな遅そうな球なんかにやられねえよ」

「ぅ——わ、分かりました……ぜ、絶対にソルフーレンで落ち合いましょうね!」

「ああ……」


 バウの次に足の速いチュウスケはバウの言うことを聞き、南へ——俺達のアジトがある方へ駆け出す。それを見ることなく、バウは空を睨んだ。ゆっくりと南へ移動している「黒玉」から感じる最悪の「予感」がバウの全身を支配していた……。


 それから街へと戻ったバウは、五月蝿いほどに騒然としている人波に揉まれながら、何とかアジトに帰還。もぬけの殻になっていたアジトを見て安堵の息を吐く。そして、律儀にもバウの荷物がまとめられていたバックを背負い、ある場所を目指して走り出した。超人的な脚力で屋根を飛んで移動する。いくつもの城壁を、大門を、整えられた庭園を飛び越え、『火天城』——フィアンナが住む宮へと侵入した。そして昔みたいに壁をよじ登り、五階の窓際を目指す。そして——


「バウ!」

「フィアンナ!」

 

 いつもの窓際に、彼女はいた。フィアンナは窓の外から顔を出したバウに、気配に気付いていたと言わんばかりに窓を開け、手を差し伸べる。その、繊細でありながらバウよりも強い力を持つ彼女の手を取り、部屋に入った。中は小ぢんまりとした何もない部屋だった。少しの本と、桜の枝の入った花瓶。あと、メチャクチャヘッタクソな、フィアンナの父親の似顔絵。あの時から何も変わっていない、まるで——ここだけ時間が止まってるような、錯覚を味わってしまう。緊迫とした状況だというのに、何故か安心してしまった。

 

「バカっ! あの黒球が来る前に、早く逃げて!」

「なっ! お、お前だって逃げてねえじゃねえか!」

「わ、私は……」

 

 言い淀むフィアンナに、バウは嫌な予感を感じる。胸をドンドンと叩く鼓動が痛い。まるで、最悪の予感に怯える肉体に急かされているように、バウは口を開いた。

 

「ど、どうしたんだよ。お前、何で逃げないんだよ……」


 バウの問いに、フィアンナは俯いたまま答えない。


「な、何なんだよ! お前が何も言わないなら——」


 そう言ってバウはフィアンナの、握れば折れてしまいそうな細い腕を掴んだ。

 目を見開いたフィアンナは、顔を赤くし狐耳をピンと立てる。

 しばらく顔を赤くして固まっていたフィアンナは……バウの手を振り解いた。      


「ご、ごめんなさい……私……あなたと行けないの」

「何でだよ……逃げなきゃ、死ぬかもしれないんだぞっっ!!」


 フィアンナは涙目でバウから顔を逸らし、言葉を続ける。

 

「私は『火神の巫女』だから。あの黒球から国を守らなきゃいけないの……だから」


 ——そう。フィアンナは「火神の寵愛」を受けた、世界でも極少数の稀有な能力を持っている人間なのだ。火の加護と巷で呼ばれているそれは、彼の『最悪の魔神に一撃を与えた』と名高い「風の勇者」と呼ばれている人間と同等の力なのである。言ってしまえばフィアンナは「火の勇者」ということになるのだろう。そんな特別な「強さ」を持つ彼女だからこそ、今この状況に直面してしまっている。どうしても国から逃げられない、クソみたいな現状に。


 ——でも、俺にはそんなこと関係ない。俺は国が滅ぼうと、世界が滅ぼうと、心底どうでもいい。 俺はただ、お前がいれば、それでいい。だから——お前が死んでしまうかもしれない現状を、俺は拒絶する。


「そんなの……関係ない。俺は、お前が……その」

「……」


 顔を上げたフィアンナは、顔を真っ赤にして言い淀むバウを見つめる。

 

「その、だなっ……俺は……えっと……」

「ふふっ……」

「な、何で笑うんだよ!」

「だって……ううん。ありがとう、バウ。私決めたわ」


 一転して吹っ切れたような笑顔をするフィアンナに、バウは顔を一瞬明るくし、いかんいかん! という風に頭をを振って、態とらしく咳払いをした。


「バウ……」

「なっ、何だよ……」

「明日の朝、城の庭園にある「大桜樹」の下に来て。そこで私の気持ちを伝えたい」


 バウは、衝撃的なフィアンナの発言に硬直し、彼女に「また明日ね」と言われて窓から返されてしまった……。 

   

 バウは、もぬけの殻になったアジトに戻り、ボロボロのソファに寝そべる。謎に獣耳をピーンとするバウは、側から見たら気持ち悪いと思われるくらいニヤけていた。

 

 ヤベエ……何だ? 何なんだ、気持ちを伝えたいって。えっと……つまりその、アレだよな、アレ。そ、そういうことで良いんだよな? 合ってるよな? フィ、フィアンナは俺に……——って、いやいや、まだそう決まったわけじゃねえ。だからニヤけるな、俺! 明日、大桜樹……明日、大桜樹……明日——桜樹……

 

 あれ——なんだこれ。まるで雲の上に乗っかってるみたいにフワフワする……。

 

『それでよー』


 聞き覚えのある誰かの声だ。楽しさを隠せていない弾んだ声で——喋っている。


『ふふっ。剣なら私も負けないわよ。私こう見えても、城の兵士全員より強いからね!』

『嘘臭えーー』

『う、嘘じゃないもん!』


 これは覚えがある。ずっと——昔の記憶。フィアンナが、城をよじ登ってきた俺と話をしていて。頬を膨らませて拗ねてしまった時の……やっぱ、かわいいな。


『昨日ね、自分で卵を茹でて食べたのよ! 美味しかったわ! バウにも食べさせたあげたかった』

『姫様なのに煮卵なんか食うのかよ。質素だなぁ』

『姫とかそんなの関係ありません! ふふっ——また食べたいなぁ……』


 楽しげに、料理を作ったことを話す——彼女の声が。


『バウ、聞いて! 庭園に住み着いた変な白い鳥がね、いくつも卵を産んでるのよ! いつ生まれるのかしら!』

『ああ? 白い鳥ぃ……? どんな鳥だよ』

『白くてフワフワで大きいのよ! 毎日、白い卵を産んでね、頭に赤い髪みたいなのが生えてて——』

『赤い髪……?』 

『それで、鳥なのに飛べなくて——』

『飛べない……?』

『コケコッコー! って鳴くのよ!』

『バッ、それ『鶏』じゃねえか! さっさと食っちまえよ!』

『なっ、何でそんなヒドイこと言うのよ!』

『まさか……お前が食った卵って——』

『え、え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?』


 衝撃の真実を告げられて仰天する——彼女の反応が。


『バウは、どんな季節が好き?』

『秋だな。美味え米ができて、腹一杯に食えるからな』

『ふーん。食いしん坊ね。まあ、私も好きだけど』

『あっそ』

『でも——私は『春』が一番好き』

『ああ? 何でだよ』   

『バウと初めて会ったのが春だからかな……』

『——はあ!?』 

『な、なななっ、なんちゃってぇーーっ!』

『は、はあ……?』


 突然そんなことを言って、赤面する彼女の顔が——俺は好きだ。


 場面が切り替わると蒼穹が広がっているはずの空は真っ黒な闇に包まれていた。

 そこは今日の昼に見た、北の平原。そこに立っているのは大人の姿のフィアンナ。 


『ごめんね……バウ——」

 

 フィアンナは涙を流しながら俺にそう言って——空から降る闇に飲まれた。


「——ッッッ!? はっ……はっ……夢……か?」  


 飛び起きたバウは息を切らしながら胸に手を当てる。

 凄まじい量の寝汗を掻く彼の鼓動は、バクバクと激しく跳ね動いていた。


「まさか——フィアンナっっっ!?」


 バウは「嫌な予感」を感じて飛び起きる。そして人間離れした凄まじい速さで、スラムを越えた。 昼以上の速さで駆けるバウは、街の様子を見て一瞬だけ唖然とする。凄まじい人波が大荷物を引きながら南下している。現在の時刻は——バウの体内時計で午前三時。北の空を覆う「黒球」の話が市井に広がり渡り、皆が大慌てで避難しているのだろうことは察せた。その人並みの中には、余裕綽々と都市に残ろうとする奴も見掛けられる。その余裕ありげな鼻につく顔をバウは知っている。全員が火の国の「華族」の連中だ。アイツらは北の空を覆っている「黒球」の所へ、火の国で最強の姫君である「フィアンナ」が向かうことを知っているのだろう。

 

 でも……でもっ! この嫌な予感は——! 


 バウは全速力で城壁を、大門を、庭園を飛び越えて——城の外壁を「走って」登る。そして五階の、フィアンナの部屋がある窓を叩き、叫ぶ。

 

「フィアンナ! フィアンナっ! 起きろバカっ!」

 

 必死の叫びに反応を示さないフィアンナに、痺れを切らしたバウは窓に拳を向け、盛大に叩き割った——!


「フィア——」


「…………君か」

「——アンタは!」   

 

 部屋に居たのは「フィアンナ」ではなく、一人の窶れた男だった。その男はフィアンナと同じ「狐の獣人」であり、その匂いも彼女と近しく——話に聞いていた、彼女の「父親」だと言う確信をバウは得た。


「アンタ——フィアンナはどこだ!!」

「君の話は聞いていたよ。バウ君だろ? いつも娘が楽しそうに話すからね。初めましての気がしない」


 上の空のフィアンナの父親——火の国の現皇帝は虚ろな目で的外れな話をし出す。

 それに苛立つバウは、再度問い詰めた。


「アンタの話は聞いてねえッ! フィアンナはどこへ行ったッッッ!!」

「私は……」

「アンタの話じゃねえって言ってんだろッッッ!!」


 問いを返さない父親に、バウの苛立ちは頂点に達する。彼の胸ぐらを掴み上げ、壁に叩きつける。「うぐっ」と呻き声を上げた皇帝は、尚も空な目をしながら、口をパクパクと開閉するだけ——


「〜〜〜っ!! もういい! フィアンナは北の平原に居るんだろ!?」


 心ここに在らずと言える皇帝を手放し、バウは突き破った窓の方へ向かい——虚ろだった皇帝に足を掴まれた。


「ッ! 邪魔を——」

「娘を、フィアンナを——助けてやってくれ……!」

「……!」


 蹲りながら涙を流す皇帝は、言葉を続ける。

 

「このままでは私の宝が、何よりも大切な娘が——フィアンナが死んでしまう……! 空を覆っている「『虚空」』はそれほどまでに……! だから、頼む! 君が、フィアンナが好いた君がっ! あの娘を助けてやってくれ……っっっ!」


    

 フィアンナは二時間前に馬で北の平原へ向かった。それを皇帝から聞いたバウは、今までにないほどの速さで北へと駆けていく。遥か前方、北の平原の空には昨日の昼間より近くに夜の暗幕よりも真っ黒な闇が広がっていた。そして、今バウが走っている道には、目新しい馬の蹄跡がある。


 間に合ってくれ——っ!


 火の国の首都「桜花町」を出て、道を走ること十数分。

 北の平原の空が目前に迫る場所で、馬に乗るフィアンナの背中を確認した。 

  

「——っ! フィアンナっ!!」

「——っ! …………バ、ウ」


 無事追いつくことができたバウは「ぜえ、ぜえ」と息を切らしながら、涙目でフィアンナを見る。彼と同じく、小刻みに肩を揺らすフィアンナも目尻に涙を溜めて——バウから顔を逸らした。「グスッ」と嗚咽を漏らすフィアンナは、感情を押し殺してバウに言い放つ。


「帰って。私はやるべきことがあるの」 

「嫌だ」

「帰って! ここは危ないのっ!」 

「嫌だ!」

「な、なんで……っ!」


 とうとう泣き崩れたフィアンナは、そのまま泣き言を連ねる。


「私——覚悟を決めたのよ……っ! ソルフーレンを守り通した『勇者』の様に、最悪な神に立ち向かうって……っ!」

「——っ!! お前は『勇者』なんかじゃない!」

「わ、私は火神の加護を持った……っ!」

「違うっ! お前は『加護』なんざ——持ってない」

「何を言って——きゃっ……!?」


 バウは有無を言わさずに、フィアンナの馬に乗る。

 フィアンナの背中に密着する形で手綱を奪い、馬を南の方へ向かせた。


「わ、私は帰れない……」

「駄目だ。お前は俺が攫う。それで——この国から出る」

「——っ! ……でもっ、私は」


 涙ながらに死地へ向かおうとするフィアンナを、バルは抱き締めた。


「俺はこの国よりも! こんな世界よりもっ! フィアンナの方が大切だっ!!」


「うっ……うぅっ……でもっ、私は……っ!」


「お前は伝説の『勇者』じゃない。だから化け物なんかと戦えない! この国は、お前が守る国は——すでに俺が滅ぼした。だから、お前が国を守る責任は、もう無い」


「で、でも……っ」


「この国を滅ぼした責任は俺が、俺だけが——未来永劫、幾百と生まれ変わろうとも俺が背負う。だから、お前は何一つ背負わなくていいんだよッッ!!」


「バウ……私はっ!」


「俺はフィアンナが好きだ!! 大好きだっ!! だから、だからァッ! お前を死なせることなんて、俺には絶対にできないんだよ——ッッッ!!」


 遠ざかる北の黒天を振り返ることなく、涙で顔を濡らすフィアンナをの背を抱きしめながら——バウローガは馬を走らせた。涙で顔を濡らし、嗚咽を漏らすフィアンナは、彼の強行に抵抗しなかった——いや、できなかった。

 

 彼女はもう、国を守る責任がある「姫」ではなく——

 何者にも負けない、神に刃向かえるほどに力強き「勇者」ですらなく——

 一人の男に攫われてしまうくらいの、ただの女の子だったのだから——

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火巫女の伝説 東 村長 @azuma_sonntyou

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