第6話 ことの始まり 後編

「そして気付いたらここにいた。そういうことですね?」

 話を聞き終えてから青柳がそう質問してきたので億劫そうに頷いた。

 思い出したことがあまりにも信じられず、しかしあれは真実なのだとわかっているからか身体が小刻みに震えていることに気付く。

 あれが臨死体験というのなら、まだいい。

 こちらに戻ってきたのならそれで話は終わりだ。

 だが、違う。

 戻ってきても、話は終わらない。

「聞いた話から考えられるのはその森にはなにかがいたのは確かです。人を誘い目貫さんが見たというところに入れるために。正確にはその虚を埋めるために」

 その言葉にゾッとする。

 あの中を埋めるのにいったいどれだけの人間が必要なのか、考えただけでも震えが走る。

「書き込みが少なかった、というのも説明はつきますね。昔からある話ですが生還できなかったものは生還できませんでしたと書き込むことはできません。その村に住んでいる人が知らないだけで、実際は長い年月をかけて想定より多くの若者が被害にあっている可能性があります」

「じゃあ、これからもあの森は」

「いえ、それはいったん止まると思います」

 自分の言葉に青柳はそう言ったのでそちらを見る。

「何故だ」

「埋める必要がなくなったからですよ。埋めて、出さないようにしていたものはもう出てしまっていますから」

 そちらにと指さした先にいるのがなにかはわからなくてもわかる。

 つまり、こいつは。

「こちらでも例の伝承というのを調べてみたんですが、こっちには専門のがいるのでもう少し深いところまで探れたんですよね」

「……警察っていうのは嘘か?」

「いえ、警察ですよ? こういう毛色が変わったもの専門の部署ってだけです」

 フィクションでしか登場しないことをしれっと言うが、いまの自分にはそれを疑うこともまして馬鹿にすることもできない。

 実際、こうして自分はおそらくなんらかの組織が動いてるだろう病室に収容されているのだから。

「目貫さんが調査したことは概ね間違ってません。民間に伝わっているのはそこまでが限界のようです。で、詳しいのが掘り下げてみると、昔そこには人でないものがふたついたみたいですね」

「ふたつ」

 薄っすらとなにかはわかる。

「ひとつは明確に人に害をなして好き放題していたようです。それを封じたのがその老婆の言っていた神、ということのようです」

 ただ、と青柳は言葉を続ける。

「神というのはあくまで人間の都合から考えたものです。そちらはたぶん、人間に興味がなかったから害がなかった、それだけの存在でしょう」

 その意見に口を挟む気もそんな余裕も自分にはなかった。

「とにかく、それは害していたものを外に出られないよう封じた。それも人間のためではなくそちらのほうで対立でもあったんでしょう。けれどそれに綻びが生じた。その結果、その綻びを埋めるために」

「その先はいい」

 思わずそう遮ったのはあの光景を思い出したくなかったからだ。

 いや、あんなもの忘れられるわけがないがとにかくいまは考えたくはない。

「わかりました。とにかく、たぶんなにか条件があったのでしょうがそれを満たした相手を誘い込んでいたと考えられます。目貫さんの場合は話を聞く限りそれに直接応えていない。だから心が残っていたのでしょう」

 それが幸運だったと言えるのかはいまはわからない。

「ちなみに同行者の常凪航(ときなし・わたる)くんについてですが、こちらはまだ発見されていません」

 わかっていたことだが改めて言われると胸の中に鉛を飲み込んだような感覚がする。

 いないことはわかりきっていた。

 だってあいつの顔をしているやつがここにいるんだから。

「先生の大学にも行ってある程度調査したんですが、ひとつ気になることがありました。先生は常凪くんからの情報で村に行ったんですよね」

「ああ」

「ネットで発見した記事を見て、ということでしたね」

「そうだが」

 そこで少し間があったのが嫌な予感を増した。

「目貫先生の所持品から渡されたというプリントは入手できました。そちらに投稿を書き込んだIPが記載されていたので調べたんですが」

 また、嫌な間。

「常凪くん本人のものでした」

「……は?」

 なにを言われたのか理解できない。

 自分で書いたものを自分で見つけたと見せに来たというのか?

 そんなこと、なんのために?

「難しいのはこれが本人の意志なのかは不明ということです。他にも書き込みがあったというのが事実なのは確認済みです。もしかするとですが、釣り糸を掴んでしまったのではないかと」

「どういう意味だ」

 声が低くなるのを抑えられない。こいつがなにを言いたいのか知りたくない。

「虚を埋めるためには大勢の人間が必要だった。それを呼び寄せるためにいろいろなところに糸を張っていたのではないかと。そして、それにかかったものは本人に自覚がないままそこに向かってしまう」

「なら、ならどうして俺を誘う必要がある」

「あなたが興味を持つだろうから連れていきたかったからでしょう。彼はあなたを慕っていたんですから」

 見せに来たときの顔を思い出す。

 なんの邪気もない、俺が興味を持つものを見つけた喜びが感じられる顔。

 それは間違いなくあいつの意思だった。それだけはそう信じる。

 青柳はこちらのそんな考えは気にしていないように話を続けた。

「そして、ここからが肝心なんですが。目貫さんはおそらくそこから出るためにそこにいるものとなんらかの契約をした。その証拠が見つからない心臓なのだと思います。なら」

 青柳はストレートに聞いた。

「いったい、どんな契約をしたんですか?」

 そこで初めて、自分ばそれをまともに見た。

 あいつの顔をした、それを。

「……なにが望みだ」

 そう問うと、愉快そうにそいつは嗤った。

「いまそれを言うことか? 言っただろ、腹が減ってるんだ。それを満たす手伝いをアンタにはしてもらう」

「人を食わせろと?」

「そんなことを言う気はない。ただアンタ、相当恨みを買ってるだろう?」

 唐突にそんなことを言われる理由がわからない。

「寝てる間にも少し食わせてもらったが、あんたの周囲には嫉妬やら妬みやら憎悪やら、そういう感情がずいぶん多い。いったいなにをやったらそんなに恨まれるんだよ」

 愉快そうに嗤いながらそう聞いてくる内容の理由には心当たりがあった。

 祖父のそれなりに莫大な遺産を親を飛び越えて譲られたのは随分と昔の話だ。

 以来、親含めて親戚筋からは非常に恨まれている。

 金の無心などしてきても冷淡にすべて切り捨ててついでに絶縁したので会うことはなくなったが、いまだに連中は恨んでいるらしい。

 知ったことかと言いたいが、そういう感情をこいつは食ったという。

「そういう人間はな、いい土壌になるんだよ。負のものに巻き込まれてるやつを引き付けるのにな」

「……つまり、どういうことだ」

 段々と苛立ちが増してくる。あいつの顔をしたやつがあいつは絶対しない表情で人でない言葉を放っているのが我慢ならなくなっている。

「アンタにはひとつ、仕事をしてもらう。そうだな、呪いに興味があるんだろう? それへの縁を深めてやるよ。それを解決してアンタは感謝され、俺はそれを食う、そういうのはどうだ?」

「ふざけるな!」

 耐えきれなくなって叫んだ瞬間、ぐらっと身体が揺れた。

「目貫さん、落ち着いて。まだそんなに身体は回復してないんですよ」

 いままで気配を消していた青柳がそう言って身体を横にするよう促してくる。

「あんた……見えてるのか?」

「はっきりは見えませんけどね。その代わり、声はきちんと聞こえます」

「じゃあ、いまのも」

「はい」

 そう答えてから青柳はこちらを見た。

「話を聞く限り拒否権はないようですね。なら、引き受けるしかないと思います」

「こんなふざけた話をか? 呪いを解決する? 感謝される? そんなもの望んだことは一度もない!」

「落ち着いて。感情を爆発させてもそれが愉しむだけですよ」

 言われてから睨むようにそっちを見れば、愉快でたまらないという顔でこちらを見下ろしている。

「諦めてください。どうせ拒否権はないんです。それを破ったところできっと目貫さんに良いことはないと思います。死んだほうがマシだと言いたいかもしれませんが、たぶんそれは無理です」

「ああ、アンタには生きててもらないと困るからな。だから心臓を預かってるんだ。アイツは自分の中に取り込んだものへの執着は俺よりひどい。それが逃げたとなったら追いかけてくるぜ? 俺がこれを手放せば、アンタはあの中に逆戻りだ」

 青柳の言葉に被せるように嗤いながらそれが言う。

「……その代わり、お前もまたあの中に戻るんだろう」

 精一杯の皮肉を込めて言ってやると、そいつは初めておもしろくないという顔をした。

「知られて困ることじゃないが、そこに気付くあたりやっぱり馬鹿じゃないな」

「わかった。せいぜい言うことを聞いてやろうじゃないか。ただし、俺からも条件はある」

「へえ」

「生きてる人間は食うな。関係のないやつに手を出すな……お前が出した条件以外で俺の生き方に指図するな」

 途端、それはゲラゲラゲラと嗤った。

「いいな、いいよアンタ。目覚めてすぐの上さっきので頭がぐしゃぐしゃだろうにそこまで取り引きしようなんていい度胸してるよアンタ」

「じゃあ、話は決まりってことでいいですね」

 青柳がパンと手を打って、区切りをつけるようにそう言った。

 会話が聞こえていると言いながら、この男は不快感を表すどころか眉ひとつ動かしていない。

 まるでこちらの気持ちなど一切理解していないように、そう思ったのはすぐに証明される。

「なら、あとは目貫さんが退院できるまではそちらもおとなしくしておいてもらいます。今後なにか警察沙汰に巻き込まれそうになったときはこの名刺に連絡するかやってきた警官に渡してください。目貫さん担当は引き続き自分がさせてもらいます」

 そう言ってから、こいつは――笑った。

 絵から出てきたような爽やかな笑い顔。その顔を見て理解した。

 ああ、こいつもまともなやつじゃないんだと。

 当たり前か、こんなもの、まともな人間が関わることじゃない。

 そして自分も、もうまともではない側なのだ。

「では、回復するまではそちらにもおとなしくしておくように言っておいてくださいね。ああ、だいたいのものはこの部屋から出られないようになっているので下手に暴れないように指導しておいてください。トラブルを起こすとここに長居する時間が伸びるだけだぞってね。じゃあ、お大事に」

 それだけ言って青柳は出ていき、自分はそれと残された。

「おもしろくないな、あいつ」

 初めて愉快以外の感情を見せたそれを見る。

「お前にもそういうのがあるのか」

「遊んでも楽しくない人間なんておもしろいはずないだろう」

 そうか、じゃあせいぜいそのおもしろくない人間になれるよう努力してやろうじゃないか。

 こいつの大抵のことに動じないような、いまは到底無理だが、意地でもそんな人間になってやろうじゃないか。

 その心を見透かしたようにそれは嗤った。

「なれるといいな、目貫センセイ」

「……さっきの条件に、ひとつ追加だ」

「ああ、なんだ?」

 言いたいことはとうにわかっているくせにそれをあえて自分の口から言わせたいのだろう、つくづく苛立たしい。

「その顔を使う以上、言葉遣いには気を付けろ」

 哄笑、そして。

「ええ、わかりましたよ。先生」

 そう言った。



「それで、今日の目的はなんだ」

 まだ昔というほど古くない記憶を思い出しながら、青柳に今日の用向きを尋ねる。

「警察絡みのことには関わってないはずだが」

「近くで事件があったのでついでの様子伺いです。あ、これつまらないものですが」

 つまらないものなら持ってくるなと言っても無駄なので紙袋を受け取ると、ごちゃごちゃと缶コーヒーが入っている。

「いつも思うが、なんでお前こういうものを持ってくるんだ」

「手ぶらは失礼だと思うんですけど、先生は味にうるさいほうじゃないですか。それならそういうことを考える必要もないものがいいかと」

「手ぶらで構わんぞ俺は」

 適当な場所に紙袋を置いたのを確認してから青柳は話を続けた。

「そういえば先日こちらに相談に来ていた女性に執着していたストーカーは無事逮捕されました」

「どうせ別件逮捕だろ」

「いいじゃないですかそんなこと」

 笑いながらそういう青柳にもらった缶コーヒーにさっそく口をつける。

「様子を見たならそれでいいだろう。別に忙しい身じゃないが、正直お前の顔は必要以外では見たいとは思えん」

「わかってます。でも一応仕事なのですみませんね」

 そう言って出ていく前に、会いたくない理由を口にするあたりこいつには間違いなく人の心はない。

「常凪くんの行方については捜索は終わっていません。問題の場所さえ見つかれば他の行方不明者とともに発見されるでしょう」

 望み薄なのはわかっていて毎回口にするやつの神経がわからないがわかるつもりも最初からない。

 一度死んだような経験をしたあとしばらくは荒れたが、こいつはこういうやつだと割り切ったらそれなりに楽になった。

 割り切るしかないものがあまりにも多すぎたせいでもある。

「用が済んだのならさっさと帰れよ人間」

 不機嫌そうなこんなときしか聞かないような声を聞くことにいい気味だと思うようになったのもいつからだったか。

「相変わらず嫌われてますねえ。じゃあ先生、よければたまには飲みに行きましょう、いい店知ってるんで」

「気が向いたらな」

「はは、またフラれましたね。それではお元気で」

 去り際の言葉が『お元気で』なのに悪意が一切ないことにももう慣れた。

 あの日から自分のあらゆるものが変わった。

 大学を辞めて金に不自由はないから安アパートに引っ越して、半ば世捨て人のように暮らしている。

 そして、時折やってくる呪いにまつわる相談を受ける。

 望んでやっていることが何処まであるのかは考えるのをやめている。

 いつまで続くかもわからないこの生活を続けるしか自分には残っていなかった。

「先生、お客の気配がしますよ」

 そう言って、声が『日常』にまた連れて行く。

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