第5話 ことの始まり 中編

「あ? 祟り?」

 言われた言葉にそれを言った当人のほうを見る。

「知る人ぞ知る言い伝えらしいです、どうですか目貫先生!」

 興味ありますよねとこちらの答えを決め付けている顔に呆れながら息を吐いた。

「知る人ぞ知るならなんでお前が知ってるんだ」

「ネットで見つけました」

「……それの何処が知る人ぞ知るなんだ」

「あれ? ほんとですね、はは」

 間の抜けた返事をしてその返事にふさわしいような顔で笑う男は、自称自分の助手だった。

 そんなものを持つ身分でもないし、ひとりで行動したほうが気楽なのだが若いのに酔狂の極みのようなこの男はこうして頼んでもいない胡散臭い情報を持ち込んだり、フィールドワークに同行することもある。

 なのでこれは、不本意ではあるが自分にとってこの大学での日常だった。

「お前、腐っても学生だろ。こんなことしてて他の単位は大丈夫なのか」

「そこはちゃんとしてますよ。じゃないと先生、助手をクビだって言ってますし」

 そもそも助手にした覚えはない、というのはまったく聞かないのでそう言っただけなんだが。

 だいたい、なにがそんなにこいつの興味をひいているのか理解ができない。

 自分が研究している、呪いになど。

 過去になにかあった、そういうものを必要としているというのなら多少はわからなくもない。

 だが、こいつの場合は見るからに浮ついてるいかにもな今風の学生で、呪いについても純粋に好奇心だけなのだ。

 家族との仲も良好らしいと聞いたことがあるので、余計にこんなものに首を突っ込むのは趣味が悪いぞと言ったことはあるがまったく気にしていない。

 向いているものが呪いというだけで、世間でよくいる未知のものに興味が湧くありふれた若者、なのだろう、たぶん。

 正直なところ、自分には理解が難しい人種ではある。

「その歳で呪いになんぞのめり込むと人生詰むぞ」

「先生、それ思い切りブーメランですよ?」

「俺はライフワークになってるから今更だ」

 そう言いながらパソコン嫌いの自分に見せるために持ってきたプリント用紙に軽く目を通す。

 目を通した限り、古い村ならないほうが不自然なありふれた伝承の類に読める。

 曰く、その村にある山にはなにかがあり、それに出逢うと呪われる。

 ざっくり言えば本当にありふれたそんな内容だった。

「なにかってなんだ」

「それがさっぱりで」

「リサーチ不足だな」

 そう言うと少しへこんだ顔になったが、それで素直に反省するなら世話はない。

「で。これを選んだ理由はなんだ?」

「え?」

「え、じゃない。ネットの噂に俺が興味ないことは知ってるだろ、それをわざわざ持ってくるときはお前なりの理由がいつもある。今回はなんだ」

 そう言うと待ってましたといわんばかりの顔で相手は答えた。

「行ってみたという報告や、実況系がほとんどなかったからです」

「人気がなければそれは普通なんじゃないのか?」

「こういう情報があったら誰かしらは行ってみて投稿すると思うんですけど、それがほとんどないんですよ。見つかった数少ない投稿もなにもなかったというのばかりで、噂が広がるような要素がないんです」

「なにもなけりゃ当たり前だろ」

「でも、それならその噂自体興味を持たれなくなって消えるんじゃないですか? なのに残ってるのが不自然だなと」

 ひと通りの話を聞いて、こちらの考えを述べる。

「誰かが熱心に投稿し続けてるってことか?」

「なんのためですか?」

「俺が知るか」

 そう切り捨ててはみたが不自然な行動を取っているものがいるのは確かなのだろうとは思う。

 ネットに関しては疎いが、なにか理由があってその場所に興味をもたせようというのが目的だろう。

「うーん、例えば村興しにっていうのはどうですか?」

「お前が見てるようなところで宣伝しても意味がないだろ」

「でも、投稿し続けてるってことは来てほしい誰かがいるってことですよね」

「それを局地的な場所でする理由が見えん」

 そう、投稿しているものの意図が聞く限りまったく見えてこない。

 こうなると気になるのは性分だ。

「しかたない。他の予定もないから行くだけ行ってみるか」

「やった!」

 だからどうしてお前が付いてくることを勝手に決めるんだ。

 言うだけ無駄なので心の中でだけそう言った。



「先生、そろそろ着きますよ」

 その言葉に風景がだいぶ変わっていることに気付く。

 自分は免許を持たないので、運転しているのは勝手についてきているほうだ。

 勝手についてくる以上そのくらいはしてもらうと言ったらあっさり了承して以来そのままだ。

 車は駅付近で借りたレンタカーで、運転を押し付けてつらつら考え事をしていたら目的地に着いたらしい。

 遠目から見るとありふれた田舎のように見える。

 古き良きといえば聞こえはいいが、こういう土地は過疎化と高齢化が進んでいるだろうし暮らすにはなにかと不便だろう。

 仕事を辞めたら田舎に、ということを気軽に言う連中はそういうところを知ってから言うべきだと思う。

 しかし、自分にとってはこういう田舎に残っている伝承というものに対してだけは興味がある。

 それが残っているうちに記録しておくという意味では、例え対象が極端でも何処かでは意味があるのかもしれないが、自分で言っておきながらそういうことにはさして関心がなかった。

 研究はあくまで自分のためにしていることだ。その成果を何処かで発表する気もない。

 ついでに出世にも興味がないし権力なんてものは煩わしいだけだ。

 だから講師といういまの位置がちょうどいいのだ。

 駐車場に車を止めて、目的地についたところで話を聞けそうな相手を探す。

 寒村というほど寂れてはいないのでそれなりに人影はあり、シャッターが降りている店も多いが商店街らしい名残もある。

 休日ではあるが目につく人間はそれなりに歳がいったものが多く、若いものの姿はほとんど見かけない。

 若者が遊べそうな娯楽施設があるとは思えないから、そういうものは近場の街に行くのだろう。

 自分は持っていないが携帯の電波は通じますよと極めて当たり前のことを言われたときは呆れを通り越しそうになった。

 田舎だからといって携帯が使えない場所などいまの日本では限られてるだろうに。

「先生、とりあえずなんか食べませんか?」

 その呆れ果てたやつの主張は、それなりの時間運転していたのだから正しい。

 手頃な定食屋に入って自分はそばを、相手はオムライスをうまそうに頬張った。

「お客さん、遠くから来たのかい?」

 混み合う時間は過ぎていて、客が自分たちだけだからか店の女性がそう聞いてきた。

 見慣れない客がいればそれは余所者、というくらいの人口なのがそれだけ知れる。

「大学のフィールドワークです」

 お前が答えるなと言いたかったが、放っておく。

「大学の? こんなところでなにかあるのかい?」

「えーと、なんか古い言い伝えがあるって」

 そう言うと、特に不快そうな顔をするでもなく「ああ」といった。

「たまーに来たねえ、そういう人。でも、お客さんたちが期待するような話、あたしはよく知らないんだよねえ」

「え、ないんですか?」

 露骨に失望したのが伝わったのだろう、気の良さそうな女性は慌てて手を振った。

「ないとは言ってないよ。うちの母が祖母に聞いたとかそういう古い話でね。あたしたちはその話を聞いたこともあまりないんだよ」

 ありえる話だと会話を聞きながら分析する。

 こうやって消えていく伝承というのは少なくない。

 だが、それではネットでの噂というのと矛盾する点は引っかかった。

「横から失礼。その言い伝えについて熱心に調べている若者などはいないのか?」

「いたら知ってると思いますけどねえ、そもそもここには若いのもだいぶ減っちまったし」

「じゃあ、昔ここに住んでいたものの中には」

「いたかもしれませんけどねえ。あたしは知りませんねえ」

 ネットの発信源についての情報は得られないと判断してその話は切り上げる。

「その噂を聞いてたまに来るという連中はあなたに話を聞いたりすることはあったんですか?」

「まあ、あったけどねえ……あんまり真面目そうじゃない冷やかしみたいなのは好きじゃなくてね。そんなものはないですよで帰ってもらうのがほとんどでねえ。でも、大学からわざわざ研究で来たんならそれは失礼だし」

 さっきの不用意な発言が逆に効果的だったわけか。

「では、その言い伝えについて話を聞ける人に心当たりは」

「それならうちの母でいいなら紹介しますよ。歳の割にはまだまだ元気でねえ。たまにはそういう古い話を思い出すのもボケ防止になっていいと思うし」

 ということは、いまはそういう心配もなく記憶もはっきりしているわけか。

「そのお母様というのはこのお店に?」

「隣に家があってそこにいるから案内しますよ」

 店のほうはいいのかと聞くのはたぶん野暮なのだろう。ひとまず好意に甘えることにした。

 年季の入ったしっかりした造りの日本家屋に向かい、少し待ってねと言われたので玄関で待つ。

「おかあちゃん、よそから来た人たちがね。昔の村の話を聞きたいんだって」

 ことさら大声を張り上げるでなくそう言ったのが聞こえたので耳のほうはどうやら問題ないらしい。

「いいそうですから上がってくださいよ。そこまっすぐの部屋にいますから」

 言われた先は居間らしい。そこに、女性の母親という老婆がいた。

 しゃんとした姿勢で正座している姿から、年齢がどれほどかはわからないがしっかりした雰囲気が伺える。

「聞かずの森のことを聞きに来たっていうのはあんたらかい?」

「……聞かずの森?」

 そう問い返すと老婆は少し首を傾げてこちらを見た。

「なんだい。なにも知らずに来たのかい? 酔狂な人たちだね」

 そう言いはしたが気分を害したわけではなさそうだ。

「すいません。この村に古い言い伝えがあるということは調べてあるんですが、その内容についての情報が見つからず。なので、実際にお邪魔して話を伺うのが良いと思ったもので」

「あんた、学者さんかなんかかい」

「そんなものです」

「大学で呪いの研究をしてるんですよ」

 余計なことを言うなというのは完全に手遅れだ。

「呪いの。へえ……変わったものを研究するものだね」

「まあ、世の中にはいろいろな人間がいますので」

 言いながらお前は黙れと目で伝えておいて話を続ける。

「それならまあ、こういう話は役に立つのかねえ。でも、お山に行くのは勧めないよ」

 この辺りは舞台も忠告もオーソドックスなものだ。

「山ですか」

「窓から見えるだろう、あのお山にね、聞かずの森って言われてたらしい森があるらしいんだよ」

「ある、らしい?」

 奇妙な言い方に聞き返すと老婆は頷いた。

「森があるのは確かだけどね、何処がその聞かずの森なのかはさっぱりなんだよ」

「そこに踏み込んだらなにかあるというわけですか」

 行き方がわからないのならお手上げだが、ひとまず先を促す。

「その森に入ると、自分を呼ぶ声がするっていうんだよ。で、それに返事をしちまったら、戻れなくなる」

「神隠し、という意味ですか?」

「さあねえ。わたしが聞いたのはただ『戻れない』っていうだけでね。ばあさまもその辺りは知らないのか教えたくなかったのかぼかしててね」

 どうも、かなり信憑性の低い話のように感じる。

「ちなみに、そういうことをしそうな神の言い伝えなどはあるんですか?」

「まさか。神様っていうのは村を守ってくれるものだろう? そりゃあよっぽど悪いことをして怒らせたなら別だろうけど」

「ということはあの山には神が祀られているんですね?」

「祀るなんてきちんとしたのはもうやってないけれどねえ。お山には神様がいて見守ってくださるとは教わったものだよ」

 それはどうだろうと内心でだけ考える。

 古今東西、神と呼ばれるものは理不尽なことをするものだ。

 気まぐれで人を隠すような話はいくらでもある。

 まして、忘れられかけている神の逸話にはろくでもない話があるのは事実だ。

 そちらを掘り下げて不興を買うつもりはないので森の話に戻そうとした時だった。

「戻れないっていうのは行方不明になったってことですよね? じゃあ、なんで声に応えたせいだっていうことがわかってるんですか?」

 黙ってろと言ったのに横から口を挟んできたやつを睨みつけようかとも思ったが、適切な問いだったので黙る。

「ばあさまから聞いた話だけどねえ、あるとき森に二人連れが入ったんだと。で、片割れだけが帰ってきた」

「ふむ」

「で、帰ってきたほうが言うには森の中でなにかが呼んでいた、それに相方が返事をしたら消えちまったんだと」

 こういう『証言』というのは疑ってかかるべきだなと判断し、それによって『森』そのものの存在が一気に疑わしくなる。

 なにかが自分を呼ぶ声が聞こえる、という噂は最初からあったのかもしれないし、そんなものは錯覚などで簡単に説明がつく。

 しかし、それを知っていたものが森の中でなにかがあって同行者を殺害、それを隠蔽するために森の仕業だという話を作り出したものが広まったという可能性は高い。

「その二人連れ以外にも同じようなことがあったんですか?」

「さあてねえ、聞いた話だとその話を聞いた村の連中は森の中になにかがあると思って、以来森でなにを聞いても聞かずにいろと伝えたって話だけど」

 もしかすると類似する事件が他にもあったかもしれないが、いまはもう残っていないようだ。

 残ったのは、森の中で聞こえたものに応えてはいけない。これだけというわけか。

「その森に近付いたという兆しというんですかね、なにかを見たらそこはその森の中だから逃げろとか、そういう警告のようなものは伝わってないんですか」

 こういうものは警告と同時に対策もセットで引き継がれていることが多いので聞いてみる。

「どうだったかね。ちょっと待ってねえ……わたしも森はこわいところだくらいしか聞かなかったから」

 しばらく考えてから「ああ」と老婆が口を開いた。

「聞こえなくなったら、逃げろだったかねえ」

「聞こえなくなったら? なにがですか」

「さあ、そこまでは。しかし、あんたらが調べてるのは呪いなんだろう? あのお山が呪われてるっていうことかい?」

「気分を害したのなら謝ります。呪いという言い方には確かにいい響きがありませんからね」

「いやいいよ。よくわからないものに呼ばれて消えちまう森っていうのは、まあそう言われてもしかたがないかもしれないからねえ。けれど、わたしたちには大切なお山だから、あまりそういうことを広められるのはねえ」

「その点は大丈夫ですよ。先生の研究は極めて個人的なもので、それを誰かに言いふらすなんてことはしませんから」

 何故か隣りにいるやつが勝手に代弁しているし、いろいろと間違っている気がするが放っておく。

「それはまあ……ほんとに酔狂なんだねえ」

 呆れたような老婆のその言葉に否定するのも面倒だったのでそういうことにした。



「これからどうするんですか、先生」

「聞くまでもないだろ、山に行く」

「ですよね」

 曰くの森の場所も不明では得るものはない可能性が高いが、現地に行くのは基本中の基本だ。

 そこで隠されたなにかを発見できるなんて妄想じみたことは欠片も考えていない。

 ただその場に立つだけでも伝わる由来を感じられることはある。

 伝承を生み出すどんな要因が山にあるのか、それを確かめるあたりが今回は関の山だろう。

 他にも何人かにあたってみたが、そもそも言い伝えを知ってるもの自体がほぼ残っておらず、最初の老婆以上の話を得ることはなかった。

 車で山の麓まで移動し、そこからは徒歩になる。

 普段はほとんど誰も訪れないのだろう、かろうじて道らしいものが半ば草に覆われている中を進んでいく。

「昔は山の神様を祀ってたって話はありましたけど、関係あるんですかね」

「ないと考えるほうが無理があるだろ。どう関係があったかはいまじゃわからんが」

 歩く途中で少ないが放置されたゴミを見た時は顔をしかめた。

 おおかた噂を確かめに来た連中の仕業なのだろうが、マナーを知らないやつらは虫が好かない。

「こういうのって、ここから先立ち入り禁止みたいなのがあるのがお約束ですよね」

「忘れられた場所にそんなものがあるとは思えんがな」

 無駄話をする趣味はないが、話しかけられて無視するのもめんどくさい。

 鬱蒼とした森の中で声がやたら響いて聞こえる。その隙間を縫って枝の揺れる音やなにかしらの鳥の声もする。

「ところで何処まで進むんですか? 下手に深いところに行って遭難とかそれこそシャレにならないですよ」

「とりあえずゴミが捨てられてないところまでは進んでみる。ゴミがあるってことはお前の言うなにもなかったと書いてた連中が踏み込んだところと考えられるからな」

「その先になにかあると?」

「そうは思わん。何故、そこで見切りをつけたのかが知りたい」

 なるほどなあと言いながらザクザクと歩くのはやめず山の中を進んでいく。

 進んでいっても森の様子が明確に変わるような様子はない。

 時折見かけるゴミも変わらない。

 ああいう連中は随分無茶をするもんだなと他人事のように思いながら進んでいると「あれ」と声がした。

「先生、なんか変です」

「なにがだ」

「すごく静かです」

 瞬間、気付く。

 枝のこすれる音、鳥の鳴き声、動物の気配。

 森の中であれば聞こえるもの、感じるものがなにひとつ感じられない。

 なんだ、これは。

 そのときに老婆の言葉が脳裏をよぎった。

 聞こえなくなったら、逃げろ。

 まさか、そんなことがあるはずがない。

 だが、実際いま自分たちの周囲は不自然になんの音も聞こえない。

 なんだ、これは。

 引き返すほうがいいのか迷う暇もなく、それは起こった。

「え? はい、なんですか?」

 突然、そんな声がした。

 同行してたやつの声だが、その問いかけは明らかに自分に向けてではなかった。

 おい、そう呼びかけたいのに声が出せない。

「ああそうですね、確かに赤と青と黒だと迷いますけどやっぱり黒ですかね黒なら見えなくなりますし隠すにはもってこいだと思います」

 なにを話をしているのかもなんの話をしているのかもわからない。

 わかるのは、明らかに目の前にいるやつの状態が異常だということだけだ。

 目の焦点が合っていない。話し続けているのに感情が乗ってない。

 人間としてあまりに不自然な状態のまま、そいつは延々と意味不明のことを空に向かって話し続けていた。

「それは埋めないといけませんね漏れ出すのは問題だと僕も思います。それなら確かにうってつけですね」

 話しながらふらふらとではなく明確な行き先があるように歩き出したあとを慌てて追う。

 やめろと手を掴んで引きずってでもここを出たいのに、何故か相手との距離が縮まらないどころかどんどん離されていく。

 自分だけ逃げるなんて考えは毛頭なかった。自分が連れてきたのだ、連れ帰るのは自分の責任だ。

 勝手についてくるといつも言っていたが、それを許していたのは自分なのだ。

 だから必死に後を追ううちに、それが見えた。

 鳥居だった。

 完全に朽ちて倒れている無数の鳥居が目の前に現れる。

 その中を当たり前のように入って進んでいく姿がかろうじて見えたのでその後を追う。

 鳥居の中を進むうちにぐらぐらと頭が揺れてくる。

 無限に続きそうなそれが終わりを迎えたとき、そこにあったのは巨大な木だった。

 葉はひとつもなく、不気味なほど空に向かって枝を伸ばし、根本近くに大きな虚がある木だった。

「ああこれは大きいですねこんなになるまで放っておいたのはよくないとてもよくないですでもきっとまだ間に合います数は必要でしょうけど埋められます」

 そう言いながら、なんの躊躇いもなく、虚の中に入っていこうとする姿に手を伸ばす。

 やめろ、やめろ、その先に行くな。

「常凪(ときなし)!」

 叫ぶように名を呼んだ瞬間、そいつは……常凪がこっちを見た。

 その目は虚と同様のものになっていた。

「ほら、一緒に行きましょう? 目貫先生」

 そう言われた途端、今更のように脳が逃げろといったがもう手遅れだった。

 視界が、暗闇に包まれた。



 ――暗い。

 なにも見えない。

 そしてなにより、動くことができない。

 暗い何処かに閉じ込められている。それはわかる。

 だが、何処なのかがわからない。

 意識を失う前のことを薄っすらと思い出す。

 ならばここは木の洞の中ということになるが、それにしてはありえないほどに広すぎる気がする。

 目だけが動いてなにかを探ろうと忙しなく動く。

 ここが何処なのかがわかれば出られるかもしれない。

 ……本当に?

 その疑問は封殺する。

 暗いが完全な闇ではないらしい、徐々に目が慣れてくるとうっすらとだが近くのものが見えてきた。

「――!」

 途端、声を上げようとしたが声が出ない。

 見えたのは、人間だった。

 それもひとりではない。

 見える範囲でも複数の人間が無造作に積み重なって詰め込まれている。

 詰め込まれているというのが適切なほど、人間がそこに折り重なっている。その中のひとりなのだと理解すると一気に恐怖が増した。

 恐ろしいのはその光景だけではない。この場所を恐れているのに心地良いと感じるのがなによりも恐ろしい。

 見える範囲の人間は、生きているのかもわからないが少なくとも恐怖していない。意識がないのならするはずもない。

 何故、気付いた。何故、状況を理解しようとした。何故――理解した。

 嫌だ。

 爆発するように自分の中でその感情が溢れ出た。

 こんなところにいるのは嫌だ、死ぬまで、いや死んでからもここにいるなんて嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ……!

「出たいか?」

 声が聞こえたのはそのときだった。

 耳から聞こえたというより、どろりとなにかが入り込むようななにかだった。

「此処から出たいか?」

 こちらの返事を待たずになにかに誘導するように声は続ける。

 罠だ、そう感じた。

 これに応えてはいけない応えたらきっと後悔する。

 理性はそう言うが、それ以上にここから逃げられる誘惑のほうが強かった。

「アンタがここに連れてこられたのは俺にもついている。アイツの声に応えてないやつを入れるなんて、そんなへまをするなんてこれまで一度もなかったってのに」

 クツクツクツクツとなにかが嗤う。

「出たいか?」

 また、そう問われる。

 罠だとわかっている、応えたらきっとなにかを失う。

 それでも、答えはひとつしかなった。

 出たい。逃げたい。元の場所に戻してくれ。

 それしか頭に出てこない。

「わかった。じゃあ、出してやる。まあ、正確に言えばアンタを出すんじゃない。アンタを使って俺が出る。ついでにアンタを出してやる」

 そう言ってまた嗤う。

「もちろんタダじゃない。ひとつ約束をしてもらう。もちろん断らないよな?」

 断る選択など初めから用意されてないことを言われていることに気付いて、こんな状況なのに笑いたくなった。

 それに気付いたように向こうも嗤う。

「長いことここに閉じ込められてたんでな。腹が減ってるんだ。アンタには、俺の腹を満たす手伝いをしてもらう」

 言っていることの意味を理解する前に、スルリと自分の身体からなにかが取り出された。

 なにも見えないのに、それを嚥下されたのがわかる。

「これでアンタは逃げられない。じゃあ、よろしくな……目貫センセイ?」

 その声が聞こえたのが記憶に残っている最後だった。

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