ハードボイルドにはなれない

403μぐらむ

ハードボイルド

 俺、永善賢人えいぜんけんとには恋人がいる。いた、といったほうがいいのか? まぁどちらでも構わない。

 深山奏星みやまかなせという女だ。


 丁度前の恋人と別れたばかりでフリーだった俺に奏星の方から声を掛けてきて付き合うようになった。

 俺も大概冷めている方だとは自覚があるが、恋人にまで冷淡な態度を取るほどイカれちゃいないので、まあ普通レベルには付き合っていたと思う。


 奏星のことも可愛がったし、行きたいところにはだいたい何処にでも連れて行ってやった。プレゼントだって人並みには渡していたと思っている。

 そういうときの奏星はとても喜んでいたし、嬉しそうにしていたと記憶していたので恋人として満足してもらえているものと考えていたがどうもそれは俺の勘違いだったらしい。



 ある日奏星はある指輪を嵌めていた。俺の見たことのない小さな石のついた洒落たやつを。

 あまりそういったものに干渉すべきではないし、たぶん自分で買ったものだろうと想像し特に何も言わなかった。左手の薬指にそれが嵌めてあったとしても。


 しかし、昼食を食べ終わり奏星がパウダールームから戻ってくると俺の考えも少し変わる。

 さっきまでしていた指輪が跡形もなく消えていたのだ。わざわざパウダールームで指輪だけ外す用事もないだろいから故意に外したのは確かだろう。


 特に俺は今回も指摘はしなかったが、奏星の普段にないような饒舌ぶりや意図的に左手を見せないようにするような素振りに彼女の疚しさを隠したい思惑が見え隠れする。

 その日の別れ際、彼女のホッとしたような表情は忘れたくても忘れられない。ベッドで抱き合っているときでさえやや上の空だったのだからこれも間違いなさそうだ。


 あの指輪は俺に言えないようなルートで手に入れたものに違いないだろう。




「調べてみるか」


 仕事で調査員的なこともやったことがあるので興信所の真似事ぐらいならそこそこできると自負したが、実際にやってみるとなかなか難しいものだった。


 先ずは簡単なところで奏星の行動調査から。朝彼女が自宅を出るところから勤務中、退勤後の足取りまで丸一日じゅう行動を監視してみることにする。


 映画で見たハードボイルドな探偵を気取ってみたものの――

「2日やって何も出なければやめよう。思いの外これはきつい」


 一日一人の人間の行動を監視することの大変さを身にしみて知った一日だった。半日ほどで心が折れそうになる。

 ところが翌日、運がいいのか悪いのかはさて置いて、彼女は早々に尻尾を出してくることになった。


 奏星はその日の退勤後はいつも向かうであろう駅とは反対側に向かって歩いていく。もちろん俺は後をつける。

 暫く歩くと彼女は一軒のバーに入る。さすがに狭いであろうバー内にまで追いかけていくのは出来なかったので外で出てくるのを待つしか無かった。


 長時間待機も覚悟したが、さして時間もあかずに彼女はバーを後にする。但し、今の彼女の横には男が並んで歩いている。しかも仲良く腕を組んで。


「なるほど……」


 だいたい想像はついていたので男の存在には俺も動揺はしない。どちらかと言うと予想が的中したことにニヤけてしまいそうになっている。


 俺は何処かのホテルにシケこまれる前に二人の前に回り込んで正面からの写真を撮ることにした。このためだけに友人から仕事用だという総額100万円超えとか言うカメラの望遠レンズセットまで借りていたのだ。


 写真を数枚撮ったところで彼女らは案の定ホテルに入っていった。行動が想定通りすぎて面白みに欠けてきたが今はイベント発生の只中なので我慢する。


 きっちり2時間後ホテルから出てそのまま二人はタクシーに乗り込んでしまう。徒歩の俺はこれ以上の追跡は無理なので諦めた。


「では、電話でもしてみるかな」


 なかなか出なかったがしつこくコールしてみたらやっと出る。


『もしもし、何?』


 やや苛ついたような声音だったが俺は諸々無視する。


「や、奏星。もう仕事終わっただろ。飲みいかないか?」

『ダメなんだよ。まだ仕事中だよ』


 仕事中。もう少しマシなウソはないのかね。


「ウソつけ。今タクシーだろ? 無線の声聞こえているぞ」

『あっ……。えと、接待で今移動中なんだ。だから切るね。ガチャ』


 後が続かなくなったのか無理矢理にガチャ切りされてしまう。


「仕事で接待中ね。あれが性接待だったらそれはそれでアウトだと思うけどね」


 そもそも『あっ』とか言っちゃダメだろ。嘘つくなら徹頭徹尾ガチガチにしておかないとほころびが見えてくるからな。


「あとはあの男が誰なのか調べりゃもっと盛り上がるのだろうけど、こんな調査はもう懲り懲りだから本職に頼もう。料金がそれなりに高いのも納得したし」


 久しぶりの面白い遊びに俺もついつい本気になってしまう。バカにされたお礼ぐらいはきっちりとやり返さないといけないと思うからな。





 3日後興信所から男の素性が割れたとの連絡が入った。


 あの男は奏星の勤めている会社の課長で名は安田隆夫という。歳は42歳、既婚。妻は他の会社で働くごく普通の会社員、子は二人で共に小学生。


 少なくとも性接待が必要な取引先ではないようだ。


 俺があの日撮った写真や動画はカメラの持ち主である友人に預けていいように加工して編集までやってもらう。あいつもこういうスキャンダルには目が無いようでとても楽しそうにデータを弄っていた。


「とりあえずはこの安田から攻めることにするかな。間違っても責めることはしないけど」


 俺はやつの会社に電話を入れて、直接安田某と話をすることにする。


『もしもし。安田ですが、どのようなご要件でしょうか?』


 いかにも外向きな声音で話してくる安田。俺は今回もハードボイルド決めるつもりで声を出す。


「やぁ安田さん。はじめまして。深山奏星の関係者って言えば話はわかるかい?」


『……ど、どのような要件だ』


「いやいやそんなに身構えないでくださいよ。ちょっとした写真集を買ってほしいなって思っているだけで、これで強請ろうとかまったく考えていないですから」


 写真集っていっても奏星と安田が仲良くラブホに入っていくだけの面白くもない写真集だけどね。友人が張り切っちゃって、ただのスナップが写真集になってしまっただけのもの。


『何処かで会えないか?』

「じゃぁ、今夜――」


 話が早くて助かる。安田とは奏星とやつが待ち合わせに使ったバーで今夜俺も待ち合わせすることにした。





「キミは誰なんだね?」

「ん。奏星の恋人……だった人。まだ別れの挨拶はしていないから、正式にはまだ恋人かもしれないが」

「そ、そうか。それは済まないことをした」

「なぜ謝るのですか? なにか悪いことでもなさったのでしょうか。俺にはさっぱりですね。さて時間も勿体ないので早速ですがこちらが例の写真集になります。生データ付きですよ」


 俺はA5サイズほどの薄い小冊子とSDカードを安田に掲げる。写真集は俺が手に持ちパラパラと彼に奏星との逢瀬を見せてやる。


「……」

「どうですか。ドキドキしてしまうでしょ?」


 バーボンを舐めながら安田の表情を伺う。顔面蒼白っていうのが薄暗い店内でもよく分かるほど。


「いくら出せばこれを私に渡してくれるのだね?」

「んー。あなたの言い値で構いませんよ。その額で俺がどう思うかなんてあなたには関係ないでしょうから。本当に言い値で構いません」


「脅すのかね?」

「脅すなんて酷い! これは単なる売買取引でしかないですよ。安田さんが要らないと言うなら、次の買い手。例えば安田さんの奥様とか安田さんの会社のライバルの方とか需要ありそうじゃありませんか?」



 けっきょく安田はこの写真集を100万で買ってくれた。俺的には原価の12000円ほどでも全然問題なかったのにな。まぁ価値は人それぞれだからな。





 残るは奏星の方だけど俺としてはこれと言って何かしたいとは思っていない。俺という恋人がいながらも他の男と寝ていたと言っても今更何も思うところはない。

 そんな女なんか切り捨てればそれでお仕舞い、それだけでいい。



 安田に写真集を売ってから一月ほど経った日、奏星から久しぶりに連絡があった。あの日以来俺からは、当然だが、連絡はしていないが向こうからも何も言ってこなかったからだ。


「なんで連絡くれなかったの?」

「別に。忙しかったから余裕が無かっただけだが」


 実際に尾行などしていたのでその分余計に仕事を休んでしまいやらなければならないことが山積みだったのは確かなので嘘は吐いていない。

 カメラを貸してくれた友人からも筋が良いなどと言われ面倒なアシスタントをやらされて一緒に取材で飛び回っていたのもある。


「淋しかったんだから」


 どの口が淋しいなどと言えるのだろうか。ああ、この口だなとスマートフォン越しの奏星の口元をまじまじと見てしまう。

 久しぶりだと言うのにいきなりビデオ通話をしてくるところがこの女らしいと言えばらしい。何がしたいのか知らないが際どい服を着て無い胸元もチラチラ見せてきている。


「特に用事がないなら切るぞ」

「えつ、なんで!?」


「何でもなにもないよ。今仕事中なんだ、忙しいの。わかる?」

「ごめんなさい。じゃ、一つだけお願い!」 


 だいたい予想はついているが、一応確かめてみる必要はあるだろう。


「なんだ?」

「お金貸して! 100万でいいんだけ――」

 ブチッ。

「予想通りすぎてつまんねーんだよ」


 俺と安田はあのとき何故か連絡先を交換しており、奏星とは別れた旨の連絡を既に受けていた。

 その中で安田は不倫のことが俺とは別ルートで奥さんにバレていたらしく離婚をちらつかせながら脅されているってことを聞かされている。

 とは言え安田も自分の蒔いた種とのことで潔くしようとはしているみたいだ。離婚自体は子供が高校を卒業するまでは保留中とのことなのでそれまでに信頼回復に務めるそうな。


 一方の奏星には奥さんから慰謝料の請求が行っているそうで、その額が100万円ってことらしい。また、支払わなければ勤め先とも情報を共有し給与を差し押さえするなんて言われていることも発覚。


「俺が何することなくても勝手に自滅していくんだから放っておくのがベストなんだろう」


 俺にはバレていないと思っているだろうけど昨日内容証明郵便で件の写真のプリントを数枚送りつけてやったから今日あたり気づくのではないだろうか。郵便局に浮気写真が記録されているのってどういう気分なのだろうか。


「ねえ賢人。まだ終わんないの?」

「ああ、今終わったところ」


「あの女?」

「そ、あいつ。もう切ったし無関係」


「なら早くして! 次は一緒に裸で写そう」

「嫌だけど?」


 今の俺の恋人は例のカメラを貸してくれた友人。彼女と一緒に仕事をしている間に互いにちょっと惹かれ合ったりして付き合うことになった。


「いまが一番キレイなんだから一緒にヌード写真撮らないって手はないでしょ?」

「だからー、嫌だって」


 カメラマンってやっぱり芸術家なのか突然突拍子もないこといい出すよな。たしかに彼女は美人でグラマラス。だけどそれとこれとは大違い。


「じゃあ仕方ない。ハメ撮りでもいいからしようよっ」

「カメラがあるんじゃ嫌だって言ってんだろ?」




 最終的には彼女の言う通りにしてしまう俺はハードボイルドには程遠いんだろうな。

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