魔法少女は卒業できない

柴田彼女

魔法少女は卒業できない

 チッチは、

「ああ、君こそ魔法少女に相応しい。その秘められた力で、世界を救うんだ」

 私の部屋の窓際、ゆらゆらと蜃気楼のように揺れるカーテンに見え隠れしながら、そう言って、ひょい、と私の肩に乗ってきた。二つに割れた尻尾の片方で私の頬を撫で、

「君は、きょうから魔法少女になるんだよ」

 尻尾の先をマッチ棒のように光らせると、一つの指輪を私の前に出現させてみた。ぽう、と淡い紫の光と共に私の掌の中に指輪が納まる。それは私の薬指にぴったりのサイズで、

「これは【契約】だからね。契約とは、永遠の約束。だからこれは、君の薬指のサイズなんだよ」

 あのとき、契約を断っていたなら。

 私の一生の後悔への猶予は、いよいよアニメーションの世界に迷い込めたのだと確信した幼い高揚心に掻き消されてしまった。

「……私が、魔法少女になるの?」

 指輪を嵌める。嘘のようにぴったりと薬指に馴染んだそれは、今はもうただの枷でしかない。



 *



「桃。きょうのターゲットは福永重富という老人だ。ちょうど二十年前の夏、下校中の小学生女児三人を同時に誘拐し、自身の持つ監禁し、乱暴してから殺している。女児は今も失踪届が出されているけれど、勿論福永の所有する土地に埋まっているとは考えられてもおらず、警察にも見つかっていない。ああ、極悪人がのうのうと生きているんだから、まだまだこの世界は救われちゃいないんだね」

『へえー、そうなんだあ。知らなかった。それはどこで知ったの?』

「今回の情報もドゥーと、その相棒の紫雨からだよ。審議の結果、魔法界でも最大処罰の対象だと判断された。やってくれるね? 桃」

『まあねえ……だってそういう契約内容だし』

 ワイヤレスイヤホンで通話している振りをしながら、真正面、テーブルの上に座るチッチと会話する。高層ビル四階の喫茶店、窓際の席、もうすぐここから見える交差点に福永重富がやってくるらしい。私は左手の薬指の、玩具みたいな指輪をそっと撫でる。

 小学生四年生の時、チッチに渡された、成長した今でもなぜかしっくりと嵌まる指輪。ピンクの魔法少女、モモの一番の武器、スイートリング。

 情報元の時雨はパープルの魔法少女で、相棒のドゥーと共に行動し、ターゲットを見つけてくるのが魔法少女としての主な役目だ。

 彼女の武器は一冊の本、【余地の書】。紫雨がその本に魔法の力を込めると、魔法界の怒りに抵触した人間の名前とその所業がまるで小説のように描かれている。紫雨はその文章を最後まで読んで、もう一つの武器、【天秤の万年筆】でその人物がどの程度の処分に値するかをそこに紫雨自身の判断で書き足すのだ。今回紫雨が書いた結末は最大処罰。つまり、本人と本人にまつわる全てを魔法界送りにすることだ。魔法界送りにされた人間は、文字通りこの世界に“存在しなかった”ことになる。魔法界もその罰で許可を下し、そして実際に処分を下す役を私に回してきた。

『でも、それなら黄鳴ちゃんでもよかったんじゃない? 私、アルバイト無理矢理休みとったんだよ? めっちゃ大変だったんだから。黄鳴ちゃんだったらフレックスでの出勤なんだしさ、出社前にパパっとできたんじゃないの? いっつもいっつも突然に、こっちの都合も少しは考えてほしいんだけどなあ』

「黄鳴はまだ育ち切ってないからね、フィムは仕事が遅いんだよ。まだあの子はレベル十六程度にしかなっていない。遠隔での操作魔法は不安要素のほうが大きいんだよ。あの子では仕留め逃す可能性が高いと判断された」

『ふうん……だから私、後任は早く育てろって常々言ってきたのにさ』

 黄鳴はイエローの魔法少女で、私よりもずっと遅く、十五歳の時に魔法界に目をつけられた。そこから魔法少女として相棒のフィムと戦いに励んでいるが、いまいち覚えが悪いらしい。そもそも魔法少女は母数が足りないんだよな。とはいえ、使い手としての素質がなければそもそも使い魔に出会うことすら叶わない。

 そうして結局大抵の戦いは一番魔法少女としてのレベルの高い私に回ってくる、という寸法だ。伊達に九歳から魔法の訓練と実践を繰り返しているわけではない。私には明確な魔法の才能と、堅実な実績があった。


 左手薬指のファンシーな指輪を二回右手の爪先で叩く。すると、周りには見えない桃色の光が閃光弾のように一瞬だけ光り、そうして私の眼球に武器の一つ、サーチライトコンタクトが貼りつく。これをつけると、視界に入った人間の中からターゲットだけが明確に判断できるようになる。サーチライトコンタクトに映るターゲットは、真っ黒いどろどろとした油のようなものを被ったように見える。

 窓の外をじっと睨み続ける。数分が経ったころ、左端のほうから明らかに真っ黒な人間が、どす黒い油染みを大量に溢しながらてくてくと呑気に歩いて現れた。

 ああ“アレ”が、福永か。

『あー、もしかして、あの人のこと?』

「そう、アイツが福永。福永重富だ」

『わかったわかった。なるほどねえ』

 現れた福永は、気の弱そうなどこにでもいる老人だった。複数人の女生徒を誘拐し、乱暴し、あまつさえ殺してしまえるような、狂気性や凶暴さは全く見て取れない。

 いつもそうだ。

 チッチが「倒せ」という人間は、私から見て、決まって、至って普通の人間にしか見えなかった。


 私はもう一度指輪を爪で弾く。またピンクの光が溢れて、両手にブレスレット、両足にアンクレット型の武器が装着される。喫茶店で一人窓の外を眺めている一人の女に突然部分的な変化ができても、気がつく人間なんていやしない。現実世界で画像変化のようなアハ体験があるなんて誰も思うはずないのだ。私は誰にも気づかれず、白昼堂々と、任務を遂行していく。

 指輪に右手人差し指の腹を置き、小さな声で「ターゲットにハグブローチをマーク」と呟く。一瞬、窓の外、路上を歩く福永の動きが止まる。ブローチが固定された合図だ。これで福永は私の思った通りに動く、ただのマリオネットだ。

 指輪の上を左から右に滑らせる。私の首にサイレントチョーカーが巻かれる。声帯をコントロールされた福永はもう声も出せない。私の魔法がターゲットから解かれるのは、私が意図的に魔法を切ったときか、私が死んだとき、このツーパターンだけだ。だがどうやったって福永に私が倒せるわけがない。ただの、人間の、老人ごときには。

 ホールドブレスレットとコントロールアンクレットに意識を集中させる。福永を文字通り自らの手足のように動かし、着々と支配していく。人気のない路地へと歩かせ、抗おうとする福永の心臓をハグブローチでランダムに動かし不整脈のようにして体力を奪っていく。と同時、福永に連結されているサイレントチョーカーに魔法の力を込める。福永の頸動脈がグッと締まる。福永が悶えているのがチョーカー越しに伝わってくる。

 ハグブローチとサーチライトコンタクトの相乗効果で、視界から福永が消えても私は福永の姿が目蓋の裏に見えている。ああ、なんて苦しそうな。

 福永は自身の意味不明な状況に、それでも必死に抵抗している。そしてそれ以上に、彼は混乱している。それはそうだろう。自分が魔法で操作され、今から殺される以上の行いに処されるなんて、思ってもいないことだろう。


 数キロほど歩かせ、誰もいない細い路地の奥に福永を追い込む。息も絶え絶えの福永に、私は本当に微かな声で、

「次こそは、確かで豊かな人生を」

 そう告げて、左手の薬指に魔法の力を込めた。スイートリングから福永まで一直線に光の矢が繋がり、彼は巨大な桃色の光に包まれ、その光が小さくなると共に、この世界から消え去ってしまった。

 行き先は魔法界だ。魔法界で、福永はたくさんの魔女たちに裁かれる。魔法界、魔女たちは悪に容赦しない。この世界をより善いものにしていくために、彼女たちは絶対に、裁きの手を緩めない。

「ああ、完璧だよ、桃。やはり君は完全無欠の魔法少女だ」

『……もう少女って年でもないけどね。まあいいや。じゃ、きょうはもういい? またねー』

 通話を切るふりをして、イヤホンを外す。同時、全ての魔法を解き、アクセサリーは指輪一つだけになる。私はそれを指から外して、ポケットにしまい込む。

 立ち上がり、空になったアイスコーヒーをごみ箱に捨て、店を出る。魔法少女の時間はおしまいだ。魔法少女にも、人生があり、生活があるのだから。

 さあ、家に帰ろう。あしたは朝からバイトだ。



 *



 チッチと最初に倒したのは黒いコウモリのような悪魔だった。スイートリングからホールドブレスレットを一つ出し、それを指先に引っ掛けて、輪投げのように投げ敵をそのリングで拘束する。たったそれだけの仕事だった。チッチは、

「わあ! こんなに才能のある魔法少女は初めてだ!」

 と大袈裟に喜んだし、けれど実際それは本当の話のようだった。私はチッチや魔法界の魔女たちが驚くほどのスピードで魔法を習得し、魔法少女としての才能をどんどん開花させていった。


 ある日、チッチが敵だと言って私に教えてきたのは黒いコウモリでもなく、顔つきの歪んだ鬼でもなく、融解したゾンビのような化け物でもなく、一人の、普通の人間だった。

「チッチ、その人、人間でしょ? どうして魔法で倒さなきゃならないの? 私が戦うのは魔でしょ?」

 チッチはニッと笑って、

「ああ、桃。僕は君のその純粋さが好きなんだ。だから君はここまで強くなれた」

 そう言ってゆっくりと二又の尻尾を揺らすと、

「今までの敵は、魔法界で支度した【練習用の魔】だよ。君はもう立派に魔法少女として仕事ができるまでに成長した。君の本当の敵は、魔法少女が本当に救うべき世界の魔は、人間の中にのみいるんだよ」

 私が薄々勘づいていた真実を真正面からぶつけてきた。

 その日、私は魔法で人間を倒した。

 十二歳の春だった。



 *



 あれから八年が経ち、私は魔法少女になって十一年が経過した。少女と呼ぶには年を取った私は、未だにチッチから魔法少女として仕事を与えられてはそれを淡々とこなしている。私以外にも魔法少女はいて、私が把握しているのはパープルの紫雨、イエローの黄鳴、その他レッドやグリーン、ホワイト、グレー、ブルーなどがいる。

 その中で実践に耐えられるのは今のところパープルとホワイトとグレーくらいで、あとはまだ見習いか、見習い卒業試験間際といった具合だ。パープルの紫雨とブルーは戦い向きではなく情報収集のほうを得意とするので、結局前線に駆り出されるのは私とホワイトとグレーばかりだ。

 ホワイトの魔法少女、真白は自身の使い魔に洗脳され、

「魔になった人間なんていないほうがいい。いいえ、そもそも、この世界に人間なんていなければよかったのよ」

 なんて極論を言うようになってしまった。

 真白はいつか私の敵となってしまうかもしれないとチッチは言うけれど、真白程度なら私が一瞬で倒せることは明白だ。きっと真白は一生口先で文句を垂れるだけで、魔法少女を続けてくれるだろう。

 グレーの灰音は私と似たように、けれど私以上に顕著に諦めが見える。

「私は言われた通りにするだけですよ。どうせ、魔法少女として契約してしまった、幼いころの自分が悪いんだから」

 灰音の言葉は私が喉の奥にずっと押し込めているそれだ。

 契約した過去の私たちが悪い。契約を破るのならば、そこに待つのは自らが裁いてきた人間たちと同じ道筋、魔女からの痛烈な裁判だ。どうにもならない難癖をつけられて有罪になり、地獄よりもひどい場所へ突き堕とされるくらいなら、一生、馬鹿みたいに、どれだけ年を重ねたとしても魔法少女として人を一方的に裁き続けるほうがまだましだった。



 道往く女の子が、流行りの魔法少女アニメーションのグッズや小物を持って楽しそうに笑っている。必殺技の名前を叫ぶ。ああ、かわいいな、幼いころの私みたいだ。

 なんて微笑ましい、それと同時に思う。

 どんな甘い言葉で囁かれたとしても、どんな魅力的な魔法道具を渡されたとしても、あなたはその使い魔と契約してはいけないよ、と。

 本当の魔法少女は、卒業できないのだから。

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魔法少女は卒業できない 柴田彼女 @shibatakanojo

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