March groom
あさひこ
March groom
「海に流すのがいい」
そう言って颯介は、帰路と反対方向のバスへ僕の手を引いた。
大学の合格発表があったのは一昨日だった。彼は電話の先で誰よりも僕の第一志望合格を喜んでくれた。地元で家業を手伝う彼と離れてしまう複雑さが置いてけぼりをくらうほどに。
そして彼はその時、次の登校日に婚姻届を書こうと言ったのだった。
高校の前から二十分ほどで、海水浴場に程近いバス停に到着した。
バスを降りたのは僕たち二人だけだった。
「うぅ〜っ、クソさみぃ」
「風つよ……。今日じゃなくてもよかったんじゃない?」
「駄目。今日だろ間違いなく」
バスが出発するなり再び僕の手を引いて、砂浜に降りる階段へと向かった。
町から少し離れていることもあり、人の気配はほとんどなかった。雪でも降り出しそうな灰色の空と海だけが、世界の果てのようにただそこにあった。
颯介、と声をかけても、彼が歩調を遅くすることはなかった。
「本気で流すの?」
「流すよ」
「不法投棄にならん?」
「悠人。ちょっと黙ってて」
少しぶっきらぼうに、颯介は言葉を遮る。
波が足を濡らさない距離を保って、砂の上に足を止めた。
颯介は小さめの酒瓶を鞄から取り出す。ついさっき教室から誰も居なくなるのを待ってから書いた婚姻届が小さく折り畳まれて入れてある。妻になる人の欄は「夫」に書き直した。
「飲酒怪しまれなかった?」
「酒屋の息子が酒瓶持ってたって怪しまれねぇよ」
「なんか、青春だな」
「そんなすぐ手放すみたいな名前付けるなって」
いくつか軽口を叩いても、妙に張り詰めた空気が解けることはなかった。
無言のまま暫く海を見た。遠くの雲の隙間から僅かに光が差していた。
家族が欲しいとは、僕が言ったのだった。
祖父との二人暮らしで寂しさを感じたことはなかったが、颯介の兄が結婚したとき、つい羨ましいと思ってしまった。一度だけそれを彼に溢した日があったことを、今になって思い出した。
悠人、と名を呼ばれ、目が合うと溶け合うように口付けを交わした。
「……ただの単身赴任だからな」
ぜんぶ、颯介にはお見通しなのだった。
声も出せずに頷くと、颯介は空と海の真ん中に力いっぱい瓶を放った。
もしこれが誰かの元に届いたとして、その人はこの結婚を祝福してくれるだろうか。
振り返った颯介の笑顔を見ていたらどっちでも良いような気がした。
March groom あさひこ @sleepless_3sheeps
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