4 眼前の肉体
真田が研究所に来なくなってから一週間が経過した。谷本と斎藤の精神は徐々に摩耗していった。あの事件のことを知っているのは二人だけだから、外部の企業との取引などは絶え間なく研究所に押し寄せてくる。二人の回復を世界は待ってくれない。
研究所の自動ドアがスタイリッシュな音と共に開いた。谷本と斎藤は期待の眼差しでそちらを向いた。
「お久しぶりです」
「……真田君」
一週間ぶりに姿を現した真田の目元は赤くなっていたが、あの日よりは幾分か精神も安定しているようだ。目に光が戻りつつある。
「真田さん、大丈夫ですか?」
「ご心配なく。俺だって、一週間ずっと寝込んでいたわけじゃないんです」
真田は持っていた茶封筒からB5用紙を取り出した。谷本は差し出されたそれを受け取る。「……待ってくれ、つまり、あのバグを一年以内に改良できなければ即席彼女の企画は没になるってことか?」
谷本は用紙に書かれた内容を読むと、驚いた。彼と斎藤は顔を見合わせる。
「真田さん、もしかして」
「交渉してきたんです。あんな残酷な商品、できれば世に出したくない。ただ、向こうもそれは厳しいということで、一年以内に改良を果たせなかったらという条件付きで承諾してくれました」
真田は寂しげに笑った。
「それと、もしかしたらと思ってもう一つ調べたことがあるんです。パソコンをお借りしても?」
谷本は椅子ごと後退し、真田がパソコンを操作しやすいようスペースを作った。斎藤も二人の間に割り込むようにして画面に見入る。
谷本のパソコンには父親の代から今までの全てのデータが残っている。真田はメールを遡る。二十年前のメールを見つけると、マウスホイールを止め、クリックする。画面に表示されたのは三田開発と研究所の連絡の記録だった。
「『即席スタッフの調子はいかがですか?』『順調です。おかげさまで、研究もはかどっています』。真田君、これって……」
言いながら、谷本はガラス窓の向こう側にいる研究員を眺めた。
「これが、この研究所の違和感の正体です」
「で、でも、即席スタッフは世に出回っていないだろう?」
当惑する谷本とは対照的に、斎藤は冷静に考えて結論を出したようだった。「何らかの理由で販売できなくなったんですね?」
真田は頷く。
「当時の即席スタッフは接客業ができるほど器用な個体ではありませんでした。そのため、本格的な開発は見送ったんです。その後、即席彼女が会議で出たため、更に見送ることになりました」
「でも、あそこにいるのは即席スタッフなんだろう? どうして返却しなかったんだ?」
谷本は他の研究員を指さした。
真田はパソコンの画面を少しスクロールさせた。「これを見てください」
「『開発は見送ります。しかし、そちらで正常に動いているなら、商品は置いたままで結構です』」
谷本は三田開発から研究所宛てのメールの文面を読み上げた。読み終わると同時に、父親が研究熱心な人だったことを思い出す。彼はだんだん笑いたくなった。
赤色の重量超過 筆入優 @i_sunnyman
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