ファーストペンギン

TYPE33

果てしなく広がる青い空と純白の大地

 これは夢だ。


 純白の大地。果てしなく続くその平原の向こうには海がある。視界には入らないのに、海があると、そう確信できるのだ……。


「白原病だね」


 医師はあっさりとそう言った。


 フォルスは露骨に不愉快そうな顔をしてみせた。その診断だけなら僕でもできる。


「原因は過労、ストレス等々。何?お前さんここのところそんなに仕事してたの?」


 医師が職業上の仮面を放り投げて聞く。フォルスと医師はいわゆる竹馬の友だ。お互いの性格も生活もよく知っている。


「いや、そんなには……。これまでは全然なかったんだけどな、これ」


 白原病は誰でもかかる可能性のある疾患だ。多くの者は、真っ白い平原にポツンと立つ夢を見る。ただそれだけだ。しかしそれが不眠や精神の不安定につながることもある。


「言っておくけど、つける薬はないぞ。仕事を休めとか、義務から解放されろとか、それっぽいことを言うだけだ」


医師は、なんとも身も蓋もない忠告をする。


「普段はそれで儲けてるんだろう?この悪徳医師が」


 もちろん、フォルスのこれは冗談だったが、その返事は割とシリアスだった。


「その「それっぽい」がそれなりに効果があるんだよ。特に医師に権威を認める患者にはね。お前さんはどうせ俺に権威なんか感じないから何言ったって無駄だろう?」


 二人揃って半端な苦笑いをした。まったくもってそのとおり。


「ただ、医師としてではなく友人として助言するなら、今年こそ彼女とちゃんとしたらどうかね。これを言うようになってからもう三シーズン目だ。正直、それが原因でないとは言えないんだが?」


 痛いところだ。痛いところだがそれを親身になってくれる友は本当にありがたい。


「しっかり準備はしてるつもりなんだが…家も整えたよ。だけど、アステリがその気になってくれない。そもそも肝心の時期に街に居ないんだよ。仕事柄とは言えさ」


 医師は軽いため息をついた。


「それならもういっそのことさ……」




 診察という名の雑談を終えて、フォルスは街を歩いていた。雑談であるから、有効な治療も解決策もないが、一つだけアドバイスを受けた。


「いっそのことさ、一緒に出かけたらどうだい。そうすることで開ける展望もあるかもしれないぞ」


 そんなことできるかい。超インドア派のフォルスはふてくされた。そもそも、家以外のところで子育てができるかって。


 街の中央にある像が目に入る。


 奇妙な像だ。全体が胴を占めているような体に申し訳程度の足とヒレ。そして意図して流線で描いたかのような頭。これがなんと言う生き物なのか今の所わかってはいない。ただ、水かきらしきもののついた足とヒレの構造から、海獣であろうとは言われている。不可思議な姿ではあるが、街の人々はこの像に愛嬌を感じていた。


 この像の正体を解き明かす。それもフォルスの研究材料の一つだった。


 彼の仕事は、強いて言えば自然考古学者と考古学者を合わせたものというくらいであろうか。特に古代文字の判読や遺物の鑑別などに強みがあり、収入源になっていた。ただ、彼は自他ともに認めるインドア派なので、フィールドワーク的なものはからっきしだったが。


 一方、医師との会話で話題になった『彼女』アステリは昔から快活なアウトドア派で、その活発さにフォルスは幼少期から振り回された。スタンスの違いは大きかったが、それでも彼はいつか彼女との子を自分が育てることになるのだと漠然と思っていたし、然るべき年齢になってからは彼女にその意思も伝えていた。彼女は別にそれを拒絶はしなかったが、いかんせん、彼女は街に居着かなかった。冒険家とでも言うべき活動をするようになった彼女は、愛を育むべき季節にはいつも出かけていて、たまに戻ってきては遺跡で発見してきた遺物をフォルスのところに持ち込んで鑑別させたり研究させたりした。そういう意味では二人の仕事は相性が良かったが、「進展」には乏しかった。


 フォルスはため息をつきながら像の横に差し掛かり、そこで違和感のある光景を目撃した。誰かが、かの像の足元を掘り返している。そんな馬鹿なと思い目を凝らすと、掘っているのは今、想いを巡らせていたアステリではないか?いや、そんな馬鹿な。彼女が帰ってきたとは聞いていないし、像を掘り返しているわけもない。早くも白原病が悪化して幻覚を見るようになったか。それとも、彼女のことを想いすぎたのか。


「あれ?フォルス―!」


 穴掘り人は唖然とするフォルスを見つけて呼びかけてくる。どうやら幻覚ではない。間違いなくアステリだ。


「珍しいじゃん。こんな時間に外出なんて。どうしたの?」


 アステリは、その手を休めてフォルスに寄ってくる。作業をして暑いのだろう、手を振って風に当て、口を半ばほど開け喉に冷気を通している。その仕草と、久しぶりに見るアステリの姿にフォルスは少し平静を失う。

 どうしたのって言いたいのはこっちだよと言うべきフォルスだったが、昔からアステリになにか聞かれると、自分の言いたいことよりそちらが優先になってしまう。


「いや、ちょっと診察に…」


「何?!病気?ちょっと、大丈夫なの?!ねえ?!」


 アステリが彼の顔を両の手で挟んで引き寄せる。その手に彼女のエネルギッシュな体温を感じる。


「い、いや。ちょっと白原病が……」


「なあんだ、びっくりした。そんなので医者行く?」


 心配してくれたところからの落差がひどい。


「私なんか子供の頃からずっとだよ。別に困ったこと無いけどなぁ」


 そうなのか。初めて知る事実だ。やっぱり、自分が思っているほど彼女のことを知っているわけではないらしい。さっきの落差より、その事実のほうがフォルスを落ち込ませた。


「それよりさ、ねぇちょうど良かったの。これ見て!」


「見てって何を?そもそも何してるの、こんな街の真ん中で」


 アステリに引っ張られながらフォルスが聞く。そもそも問題はそこからだ。


「発掘よ発掘。大丈夫、ちゃんと許可取ったから。終わったら埋め戻すし。ほらあれ見て」


 彼女の指差す先は像の台座の横を掘り下げた穴だった。今掘り起こしたばかりの土がまだ生々しい。どうやら、台座は思ったよりも深く埋まっているらしく、穴の底まで台座の壁は続いている。


「こんなに埋まっていたとは知らなかったな…。それが見せたかったの?」


「違う!もう!」


 せっかちなアステリは穴の縁に腹ばいとなって台座をこすった。そこから金属か鉱石かわからないプレートが現れる。フォルスは目を見張った。なにか書いてある。なんだアレは?


 フォルスも穴に首を突っ込む。確かに文字だ。いつから地中にあったものだ?こんなに鮮明に残るものなのか?


「これは…古数字だ」


「でしょ。フォルスならすぐわかると思った」


 プレートには、二行の極めて古い字体の数字が刻まれていた。




 アステリは他にも資料があるといってフォルス宅に押しかけて来た。こういうときは全く気兼ねなく部屋を訪ねてくれるのだけど。


 取り急ぎ写し取った像のプレート。二行の数字、間に挟まった古文字が2つ。文字の読解は難しくなかったが、意味はまったくわからなかった。


「これだけ見てもね…」


 フォルスはちょっと困った顔をしてみせたが、アステリは全くひるまない。


「私は、これは古代文明の暗号だと思うの。絶対、意味がわかるように出来てるはず」


 古代文明!そのようなものがあったことは各地の遺跡や出土品から間違いの無いことだと考えられているが、この像がその文明由来だという証拠は無い。この古数字だってフォルス達の文明が使用しているものとそう変わらず、異なる文明が使っていたものとは考えづらかった。


「なんでそう思うの?」

 そう聞くフォルスを、彼女は意に介さない。

「地図あるでしょ。地図出して!」


 彼女の目はキラキラ輝いている。こういう時の彼女に逆らっても無意味だと、フォルスは長年の経験から学んでいる。彼はアステリが要求する地図を取り出した。今彼らが立っている大陸の地図だ。


 アステリがメモの束を取り出し、中身を見ては地図にピン止めしていく。フォルスは情けない顔をしながら『穴あけなくても』と思っていたが、先程の理由によりそれを押し殺した。


 最終的に、地図には七本のピンが立った。


「これは私が実際に見てきた、あの像と同じものがある場所。その像の全てに、あれと同じ形式の数字が書いてあった。そして、二行のうち上の行はどれも同じ数字で、下の行はバラバラ。でも形式は同じ」


 彼女の言う通り、メモには先ほどの像と同じ形式の数列が書かれている。


「うーん。なにか法則性はありそうだけど……」フォルスはそう言って定規を地図にあててみる。一番単純に考えられるのは座標だ。しかし、それを割り出すには基準も単位も必要だ。また二行ある意味も解らない。


「考えてよ。フォルスの研究してるあの像の由来がわかるよ。それで各地のあの像を訪ね歩いたんだから」


 フォルスは丸い目をしてアステリを見た。僕の研究のためか?そんなことを彼女が考えてくれているのなら、それは嬉しい。いや、彼女自身の興味の方が大きいのではないか。僕の研究が都合がいいってだけで。でも、それでも嬉しい。


「考えるよ。なんとかする」

「うん、頑張って!」


 こう言われてやる気を出す自分の単純さにもあきれるが、確かにこれは自分の問題でもある。なによりも、彼女にとっても大きな節目となるかもしれない。


「この件が解明できたらさ……」


 フォルスはそこまで言って口をつぐんだ。この件を担保にしようというなら、解明に失敗したらその先は無いかもしれない。そんなことを考えてしまった。


「すぐ声をかけるから、街を出ないでくれよ」


 声に出したのは、始めの意図とは全く違うことであった。我ながら、こんなことだけ器用でどうする。


「急いでね」


 アステリの返事は期待に満ちていた。




 その数字の正体を解き明かすには数日を要した。それは、この星を360という不自然な数字で分割して刻んだ座標のようだった。二行のうち下の行は現在地を示し、固定されていた上の行はここより南の大陸の、ある一点を指し示していた。

 すぐにでもそこに向かおうとするアステリに、フォルスは非常な努力をして決断を伝えた。


「アステリがそこに行くなら、僕も行く」




 初めて見る南の極地は、思ったほど雪に閉ざされているわけではなく、黒い地面も丘も意外なほど視界に入ってきた。一番の脅威である寒さも、それほど激烈なものとは感じなかった。

 この土地には漁業を専らとする、自然に近い生活を営む部族がいる。アステリは何度もここを訪れており、友人もいた。そのため、探索に彼らの協力を得ることができた。


「そこに行ったことのあるものは誰も居ない。他の部族でもそうだろう。行くことを止めはしないが、なにも無いのではないか」


 地図に記された地点について、彼らの見解はそのようなものだった。




 移動中、現在地を割り出すためにアステリは何度となく測量を行った。なにせこの大陸の地図はいいかげんで、本当に目立つ山岳と部族のコロニーの位置が描いてある以外にはほぼ真っ白であったのだ。


 目標点と思われる地点は氷原の先に壁のように切り立つ崖が立ちはだかる場所だった。果たして、どれくらいの誤差があるのかはわからないが。


 同行者達とキャンプを貼る。同行してくれた現地民は「このくらいの気候なら立ったままだって寝られるよ」と笑い飛ばしていた。


 せっかちなアステリはすぐ崖を見たがり、一応の装備を持ってフォルスと二人、そこに向かった。




 ところどころ雪に覆われた壁に、特筆すべきところは見当たらない。


 アステリは、スコップ片手に壁沿いを闊歩していく。フォルスは不安を感じながらも黙ってそれについていったが、それが良くなかった。フォルスが空気に異変を感じた直後、穏やかだった気候は一変し、周囲の視界は地吹雪によって閉ざされた。


 二人は壁沿いに歩いてキャンプに戻ろうとしたが、吹き付ける風がその歩を阻んだ。特に、体力に劣るフォルスの歩みは緩慢なものだった。ついには壁に向かって倒れ、雪の崩壊に巻き込まれた。


 アステリからは、彼が雪とともに壁に吸い込まれたように見えた。豪胆なアステリでも流石にこれには血相を変えた。


「ちょっと、フォルス!」


 アステリはスコップを雪に突き立てフォルスを救出にかかったが、雪は予想外にふわっとしていて、スコップは簡単に向こう側に抜けてしまった。


「アステリ、危ない、危ないよ」


 雪煙の中からフォルスの声がする。アステリの視界が開けると、壁に空いた穴に転げ込んだフォルスの姿が見えた。




 その穴は、風をしのぐには実に都合の良い場所だった。


「さっきはこんなの見なかった」


 アステリはバッグから燃料ランタンを取り出しながら不思議そうに言った。


「雪のせいだね。入口の形のせいでふさがるんじゃないかな」


 その返事を聞きながら、アステリは手慣れたしぐさでランタンに火を入れようとしていた。


 ここはアステリに任せればいい。そう思ってフォルスは座り込み、地面に手をついた。その感触は、この場にはふさわしくないものだった。思わず彼は自分の手のひらを返して見た。いや、手の問題じゃない…。


 アステリの作業が実を結び、薄ぼんやりとしていた世界に光が現れる。直ちに手元に目をやったフォルスは息を呑んだ。彼が手をついて居た場所は、鏡面を作るかのごとく磨き上げられていた。氷かと疑ったが、それは鉱石か金属のように見えた。そして、それはこの穴……いや、洞窟の奥に向かって通路のようにつながっていた。




 二人は洞窟の奥に向かった。アステリに『チームと合流してから』などという説得は無意味だったし、フォルスもこの先への好奇心を抑えることはできなかった。


 洞窟は広く、平滑になった通路は歩きやすい。元はどうであったかわからないが、この形が自然の産物ではないことは明らかだった。


「ねえ、何があると思う?」


 アステリの問いかけはまるで少女のようだ。フォルスは子供の頃、彼女の探検ごっこや魚とりにつきあわされた日々を思い出していた。アステリは危ないところも平気で歩いたし、魚とりも上手だった。フォルスはどちらにも全然ついていけなかったのに、いつもアステリの遊び相手の指名は彼だった。いつもいつも「ダメねぇ」と笑顔で言われながら……。


 だから、せめて彼女より博識であろうと努力した。彼女の役に立てるように。果たして、それは功を奏しているだろうか。


「どうだろう?集合墓地っていう可能性はあるかな」


 そう言ってアステリをちらっと見る。わかってはいたが、そんなことで動じる彼女ではない。


「それは文化史的には意味があるの?あんまり面白くないかな」


 いやいや、意味大有りだよ。フォルスはアステリの山っ気に苦笑いした。彼女はもっと派手な発見をお望みのようだ。だが、確かにただの墳墓をあんな方法で位置を示すだろうか?もしそうなら、よほど墓参りに来て欲しい奴が埋葬されているんだろう。




「何?ここ?」


 アステリの声は、これまでの洞窟内とは明らかに違う反響をしていた。大きな空間が完全に平面に加工された床と壁に囲われている。ランタンの僅かな光が壁を照らし、そこに刻まれた模様が不自然にキラキラと反射していた。


 二人は部屋の真ん中に進み出た。そこには壁や床と同じ材質で出来た石碑があった。これも、完全に加工された形と平面を持っており、その表面はやはり光を反射する模様で覆われていた。


 自分の身長ほどもある石碑の前に立ち、模様を眺める。アステリは彼の隣に寄り添うようにしていた。


「古文字だ……。これは」


「読める?!読んで!」


 アステリの要求は当然の事だろう。そうでなければ、みんなにおんぶにだっこでここまで連れてきてもらった意味がない。


「読める…というか、そんなに難しくない」


 その事実に不思議さを感じながら、フォルスは石板の文字を目で追い、アステリに聞かせ始めた。


『こんにちは。ようこそ、私達の最期の部屋へ』


『幸運にも、この場所を訪れてくれた君がこの文章を読めるのであれば、君たちの正体は次のいずれかであると推察される。一つは私達の種族が奇跡的にも生き残り、再度文明を築くに至った。つまり私達の子孫である。残念ながら、この可能性は極めて低い』


『それよりも可能性が高いと思われるもう一つ。それは私達が最後の願いを託して世界に送り出した、彼女らの子孫であるということだ』




「この文字と単語は私でもかなりわかるよ。どういうこと?」


 フォルスは、そのアステリの問いに石板から目を離すことなく答えた。


「そうだね。これは古語の中でもかなり端正だ。それを考えるとそんなに古いものではないのかもしれないと考えるべきなんだけど……」


 彼の直感は完全にそれを否定していた。この文章を書いた者達とは、なにか巨大な断絶を感じる。この大陸にいた現地民たちの先祖が書いたものとはまったく考えられない。第一、この美しい石板と完全にそろえて刻印された文字。これをどうやって作るというのだ。




『初めに、私達が何者で、どういう状況にあるのかを書き残したい。私達は自分たちの事を「人類」と呼んでいる。サルの近縁種だが、サルに連なる生物がはたして君たちの世界に生き残っているだろうか。まあ、直立二足歩行ができる哺乳類だと理解してほしい』


 この時点で、フォルスの直感は正しいと証明された。彼らは我々ではない。




『君たちの文明が今どのレベルにあるのか予測は困難だ。もしかしたら私達を凌駕する水準にある可能性もあるが、私達も相当に高度な文明を持っていると自負している。だが、これを記している現在、私達は滅亡の淵に立っている』


『私達、そして君たちが住んでいるこの星、地球には一定の気候サイクルが存在する。そして、今私達は本格的な氷期に見舞われている』


『私達ヒト属は、高度文明を手にする前にも氷期にみまわれ、その時は生き残り、その後繁栄を手にするに至った。高い技術を手にすることができた私達は科学の力でこの氷期も乗り切るつもりでいたが、残念ながら前の時のようにこれを乗り越えることができないことが明らかになってきた。赤道近辺では一定数生き残れるのではと考えていたが、なまじ文明化され繁栄を誇っていた私達は、生存のため多数を諦め少数を生かす選択もできず、野生に戻って生き延びることもできなさそうだ。生存に必要なものを得る手段を失った私達はあと数十年程で絶滅すると思われる。これが、この文書を残した者の正体と現状だ』


『私達が滅亡するのは地球の歴史の上で何度も起きたことで仕方のないことだ。だが、長い時間(といっても数千年程度だが)をかけて培った文明をすべて失うのは惜しく、これが後世に伝わらないのは無念だと考えた』


『私達は今、この時点でも多くの情報の保管手段を持っているが、数千年、あるいは数万年という単位でこれを維持し、再生して見せることは極めて難しい。そこで、私達がその文明の初期に発明し、結局一番長持ちした方法で情報を残すことにした。ご覧の通り、石版に文字を刻んだのだ』


 二人はここまで読んで改めて部屋を見渡してみた。ランタンの灯りが届かぬほどの大きな部屋。その壁のうち、光が届くところはすべて壁の模様がチラチラと輝いている。これはすべて文字か記号。すなわち、彼らの遺産なのだ。


『君たちがこの文書を理解できているのならば、この壁に書かれていることは今理解できなくても、いつか役に立つものだと信じている。君たちがすでに私達を凌駕する文明を築いているのでなければ』


 フォルスは浮かされたように壁に歩み寄り、流し見ていった。おそらくは数式、おそらくは歴史、地学、工学……。それが果てしなく続いていく。彼は目眩を覚えた。


「ねえ、フォルス。続きを読んで!」


 絵本の続きを求めるかのような声が彼を現世に呼び戻した。アステリの声はフォルスと現実とをつなぎとめる重要な鍵のようだ。


 フォルスは戻って判読を再開しようとした。この行だったか…と目を走らせた先、彼はあるフレーズを目に入れてしまった。


『…そしてもう一つ。これは恐らくはこれを読んでいる君たちのルーツに関わる重大な情報となる。君たちの文化水準、宗教観によっては、これを知ることは君たちのアイデンティティに大きな打撃を与える可能性がある。なのでこれはここには記さない。もし、君たちにその準備があるのであればこの先にあるもう一つの部屋に進んで欲しい』


 フォルスは硬直した。アステリに三度要求されるまで、その文を読み聞かせることができなかった。アステリはそれを聞かされてこれまでになく神妙な顔となった。


「帰るの?」


 フォルスはアステリの方に向き、頭を振った。


「僕は行こうと思う。でも、それを見ても僕は生涯秘密として抱えていくことになるかもしれない。アステリはどうする?もし、僕がそれを発表できないと思ったら、生涯二人だけの秘密にしてくれる?」


 アステリは微笑んだ。「二人だけの秘密、沢山あるじゃない」


 会話はそれだけで、二人は先へと歩き出した。




 通路の先は、何故かぼんやりと明るくなっていた。


 そして、通路をふさぐように新たな石板が見えた。


『ここへ来たら、まずこの石板を最後まで読んで欲しい。次の行動は、その後に決めてくれればと思う』


『私達は絶滅を覚悟した。技術や知識は先に見せた方法で残すことにしたが、それを見る者がいなければ意味はない。そこで、後継者を指名することにした』


『様々な可能性があったが、最終的に私達はある鳥類を選んだ。その鳥類は直立とまでは言えないが二足歩行ができ、先の氷期も生き延びた身体を持っていた。私達がペンギンと呼ぶ種である』


『私達には少し生物の発達をコントロールする技術があった。この技術により、注意深く、いくつかの進化を促すトリガーを引いた。どうしても必要なのは手の発達と、脳容量の拡大だった』


『もちろん、進化と言うのは一気には起こらない。だが、私達と一緒にいたペンギンたちは目に見えて知能を向上させていった。そして、彼女が生まれた』


『彼女ははじめから高い知能を示した。発声がうまくいかないので会話はできなかったが、私達には色々な情報伝達手段があったので、意思の疎通が可能だった』


『私達は彼女に種族の礎になってほしいと頼んだ。彼女は大いにやる気になり、コロニーを統率し、自分の子らに多くの事を教えた』


『私達は、彼女とその子孫が私達の言語の一部を未来に持って行ってくれることを祈った。この時点で彼女らの発声は十分ではなかったので、おそらく君たちと私達の音声言語はかなり異なるだろうが』


『彼女の子孫が将来それを目にするように、私達は世界に私達の文字を刻んだものをばらまいた。言語を発達させる過程でそれと何度も遭遇するように。君たちが見たかもしれない像もその一つだ』


『また、私達は彼女の子孫が将来手を発達させたときに使い得る道具を作り、これも世界にばらまいた。氷期が終わった時、他種族との生存競争に有利になるように』


『そして、彼女は多くの後継者を育て、私達が絶滅する前に寿命を迎えた。彼女には願いがあった。私達は本当にそれでいいのかと何度も聞いたが、それは彼女の強い希望だった』


『君たちはこの話を信じないかもしれない。信じたら、冒涜だと怒るかもしれない。私達は多分もうこの地上にはいなくて、許しを請うこともできない。ただ、もしこの後に書かれたことに納得してくれるなら、私達の願いを聞いてくれた彼女の希望をかなえてあげて欲しい』




 二人は顔を見合わせ、手をつないでゆっくりと石板の裏側へと歩みだした。そこには、洞窟の上から青い柔らかい光が差し込んでいた。


 石板の先にはこう書かれていた。


『彼女は自分の遠い子らに会うことを願った。自分自身はもう亡くなっていても。だから、私達はその願いが叶うようにここを作った。この石板の裏に彼女がいる。もしかしたら彼女を見ても、そうは納得できないかもしれない。だけど、もし君たちの手が三本指なのだとしたら、きっと彼女は君たちのとても遠い祖母なのだ』




 石板の向こう、そこには透き通る氷床があった。そして、その中に一羽のペンギンが眠っていた。


『彼女の名はソピア。ファーストペンギンだ』




 二人が互いの手を握ったまま洞窟から出ると、青空が広がっていた。

 そして、純白の大地が果てしなく続いていた。

  

「ねえ、キャンプまであれやって帰らない?」


 アステリは手でその動作の真似をして見せた。


「そんな、子供みたいだよ」

「いいじゃない。子供ができる前に子供っぽいことしておこう」

「え?」


 アステリは満面の笑みを浮かべて、氷の上を腹ばいに滑って行った。フォルスも同じ姿勢でそれを追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファーストペンギン TYPE33 @TYPE33

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ