第2話 お嬢様、御起床のお時間でございます



金色の取っ手がつけられた扉をノックもせずに開くと、

シエルは窓にかけられた重すぎるカーテンを一気に開け放った。

太陽はすでに真上を通り越している。

しかし、この部屋はキラキラと陽光を反射してホコリが舞っているではないか。



「おーじょぉおおおおさまぁ?」



大きすぎる窓にかけられたカーテンは他の部屋と違い、日の光を遮るように分厚く、まるで冬の寒さをしのぐかのような重たさだったが、それをものともせず、小柄な少女は二つに結んだ栗色の髪を揺らしながら、一斉に窓を開け放った。



これでよし。


思ったのもつかの間、そよぐ風が薄紫色の天蓋を揺らす程度で、

その主は一向に動く気配がないのだった。


主の好きな色で配色された部屋は、たいして物がない。

花瓶なんてデスクに一つだし、大好きだったぬいぐるみも、

お気に入り以外は数カ月前にすべて処分してしまった。


洗濯メイドからお嬢様付きになったころから、

お嬢様は変わられてしまった。



「お嬢様、もうお昼でございますよ!」



天蓋の中をそっと開けてみると、やっぱり枕に埋もれた藍色の豊かな髪がシーツの上を揺蕩っていた。

光の加減で金色にも見える、少し不思議なお嬢様の長い髪は、今日も今日とて美しい。

しかし、見惚れている場合ではないのだ。

何せ、今日はとてもとてもとても大事なお客様がいらっしゃるのだから。




「・・・・・ぁっ。」




そうこうしているうちに、開け放った窓から、遥かかなたの鉄の門が、

重さにひしぎながら開くなんともいえない音がかすかに聞こえた。


常人にはまったく聞こえないであろう音であるが、

あまり目立たない男爵家の三女である、

シエル・ラダー・ベルナールの、離れ業の一つである。




「いけないっ。」




あの門が開いたということは、しばらくは本邸までかかる。

そう、お嬢様を起こして、湯あみをして、身支度をして、

とっても時間のかかる貴族の身だしなみに余裕をもって対応可能だ。


が、しかーし。ここは、別邸。

そう、別邸。別の、お屋敷。

つまるところ、この別邸から本邸まで馬車で移動せねならんということで。




「お嬢様!大変ですよ!起きてくださいませっっっ!」




そう、大変でございます。

身支度よりもはるかに寝起きに時間のかかるお嬢様。

まるで天使のような女神のような彫刻のようなお嬢様でも、

今日は今日とて大事なご用事がございます。


なんせ、本日は皇室でせっせと政のあれやこれやでお忙しくされている、

長兄のイレール様のご帰京なのでございます。

この辺境伯領まで、最近は魔法陣なんかでひとっとびらしいですが、

そこから馬車でせっせといらしてくださるのです。


あの、淑女も呻る女たらしの申し子が!


・・・おっといけません。

未来の辺境伯爵様にそんな口の悪い噂話など。

お嬢様に聞かせたら、きっとベッドに突っ伏してしくしくと悲しまれて、

お食事なんて喉を通らない・・・なんてことにうちのお嬢様はきっとならないでしょうけれども。

なんせ、噂話なんてひとっつも興味がないお方ですから。

せっかくの花の青春も、ちっとも謳歌せず寝入っているお方ですから。



「お嬢さまぁあああああ!なりません、

 いますぐお仕度をしなければなりませんから!」



はやーく起きてくれ!と精一杯の声ではちゃめちゃに騒いだところで、

身じろぎ一つしないのがお嬢様だ。

夢の中まっしぐら。


本当は、時間に余裕をもって起こして差し上げたいのだが、

実はお嬢様、事情があり先ほど寝入ったばかりなのである。

ちょっとかわいそうだな、とか思ったばかりに起こすのが遅くなってしまった。

だって!ものすごーく眠そうなお顔で、ちょっとだけ寝たいの、と申されるから!

あの、藍色のふかーいふかーい宝石のような瞳に、反射した朝日の金色がとっても美しくてもう、ため息しか出なかったのだもの!


なんて、執事長のエヴラールさんに言ったら小言ですむだろうか。


いや、すむな。

なんてったってあのエヴラールさんだ。

お嬢様を目に入れても痛くないと本気でおっしゃる方だ。


しかし、イレール様のご帰省だし。

イレール様に怒られるかもしれない、お嬢様が。


イレール様と直接お会いしたことはないが、とても厳格な方だとお聞きしたことがあるし、お嬢様とお会いするのも1年以上の期間があったと伺ったし。

お嬢様のこの怠惰なお姿をお見せするわけにはぜぇったいにいかないのだ。




「お嬢様、イレール様が正門を通られたようですよ~。」




きもーち優しめに、お嬢様の耳元で囁いてみる。

これで起きなかったら、もっと大声で言うしかない。

すっっと、息を吸い込んで腹の奥に力をこめた。




「お!」




しかし、その腹筋もむなしく、藍色に縁どられた瞳が、カッと見開かれたことで、

シエルは驚きで盛大にむせることになる。




「え、だいじょうぶそう?」




えぇ、お嬢さま、私はだいじょうぶ、です。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お嬢様は今夜も月夜と戯れる @ritiumu948

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ