お嬢様は今夜も月夜と戯れる
@ritiumu948
第1話 その屋敷の麗しさよ
どでん、と構えた豪奢な鉄の柵の脇には常に甲冑を纏った衛兵が構えていた。
白銀の、美しくおそろしく重厚なものだったが、門番にとって月と鋳薔薇を象った家紋が胸に入ったソレは誇り以外の何物でもなかった。
たとえ、片手に携えた槍がひじょーに重たいとしても、だ。
しかしこの優美で大きすぎる門の柵だが、そこからも馬車で移動しなければならないほど石畳みは続くのだ。
車窓からは春らしく色とりどりの花をつけた木々が、庭師によって丁寧に剪定されていた。
中でも、このお城のようなお屋敷の象徴である薔薇の中でもブルーブラッドと呼ばれる藍の深いベルベットのような薔薇と、グレンレッドと呼ばれる炎よりも深い赤のシルクのようにすべらかな薔薇が対になって植えられた玄関アプローチの前が一年で一番美しい時期である。
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま。」
茶の皇かな装飾の施された馬車から降り立った青年は、
ぴくりとその藍色の優美な眉を顰めると、そばに立つ白髪のバトラーに
困ったような顔を見せた。
「エヴラール、僕ももういい年なんだけどなぁ。」
藍色の髪を手袋をした手で少し抑えながら、この屋敷の長男であり、跡取りである
イレール=マリー=ド=アルベールはいつまでも子供を見る目のバトラーに声をかけた。
「いえ、こちらに帰られた時くらいよろしいではないですか。」
柔和な瞳に問いかけられればだめとも言えず、バトラーでありよき恩師に言われ、しぶしぶと、屋敷のこれまた掃除の大変そうな華美な天使が舞う扉をくぐった。
久方ぶりに訪れた屋敷の中に、勢ぞろいした使用人たち。
「お帰りなさいませ、イレール様。」
「あぁ、ただいま。」
おや、なんだかしばらく帰らないうちにうちのメイドの制服が変わっているじゃないか。いつも見ていたあの燕尾色もすきだったが、春らしく爽やかな淡い若草色とは目にもやさしい。
「おぉ、帰ったか。」
「ち、父上!?」
この時間はいつも書斎にいるはずの我が公爵家の柱である、オーギュスト=レイドナール=ド=アルベール公爵は、白髪交じりの髭をなでながら階段の上からゆったりと姿を現した。
「ふっふ、驚いたかね。」
「当たり前じゃないですか!いつも書斎から出てこないでしょう?」
「むぅ、儂はそんなに引きこもりか。」
「い、いえ、そういう訳ではありませんが。」
あの、無骨を絵に描いたような父が、笑っているのだ。
そりゃ驚くに決まっているだろう。
父の表情が少し柔らかくなったような気がしていると、
階下からもくすくすと笑いが漏れ、使用人たちがこちらを微笑ましく見守っているではないか。
自分が居ない間に何があったというのか。
堅物で有名な父も、イレールがこどもの頃はそうではなかったのだが、
イレールの母、公爵夫人が臥せってからというもの、父は話しかけづらい雰囲気を常に身にまとっていた。
「父上、あの、そちらは。」
「イレール、入りたまえ。」
2階の奥に続く廊下のビロードの絨毯は毛足が短く整えられ、
踵の鉄の板が跳ねても傷一つつかない。
我が家の、立派な長廊下の先。
ここ数年、入るにも父が居ない時を見計らってきていた、南側の角の部屋。
他の扉と違い、扉の脇に常に見守る騎士が付き、たいして軽くもない扉のその先。
ゆっくりと開いた扉の先で、淡い碧と白でまとめられた家具が視界に入った。
ここは、10年以上前から、最も緊張しながら近づいていた、白い天蓋のベッドのある公爵夫人の、母の部屋だ。
見るたびにやせ細っていく母が嫌で、それでも母が恋しくて何度も何度も通った部屋だ。
眠る姿しか見られなくて、泣きながら、その声で名前を呼んでとお願いした部屋だ。
皇室に上がるようになるずっと前から、あまり近づくことのできなかった、
あの、母の大好きだった碧色と白で埋められた部屋だ。
皮と骨のようになってしまった母。
その手を何度も何度もこどもの自分の手を重ねて温めた部屋だ。
もう自分はこどもではない。
あの頃のように泣きながら、甘えるこどもではない。
剣をふるうことも、政に口を出すことも、領地のことも、一族として全うできる。
なのに、熱く込み上げるものが抑えきれない。
目の奥がつんと痛んだ。
「おかえり、イレール。」
日のあたる窓際から、ゆっくりと振り返ったのは、10数年ぶりに声を聴いた、母だった。
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