君と私の七秒間
惣山沙樹
君と私の七秒間
「恋ってバカにならないとできないんじゃないですか?」
何年か前の恋愛ドラマの主人公のセリフだ。細かいシチュエーションは忘れたが、とにかく彼女はそう言ったのをよく覚えていた。
私の恋は実ったことがない。一方的な片想い。その段階で止まっていた。理想の恋を想像したり、やっぱり怖気づいたり、その繰り返しをしていたら、高校三年生になってしまった。
「七ちゃん、また考え事ですか〜?」
放課後、教室の自分の席でぼおっとしていたら、頭の上から声がした。同じクラスの美里ちゃんだった。
美里ちゃんは、高校に入学してからの友達で、ありがたいことに三年間クラスが一緒だった。
「うん、まぁね……」
「何考えてるのか想像はつきますけどね」
美里ちゃんはそう笑いながら、私の向かいの席に腰掛けた。私は言った。
「私、そろそろぼっち卒業したいの」
「あはっ、あたしもぼっちだよ?」
「美里ちゃんはぼっちじゃないでしょ。湊くんがいるじゃない」
すると、美里ちゃんは首を傾げた。
「湊くん? あの子は違うよ。そういうのじゃない」
本人は、気付いているのかいないのか。美里ちゃんの顔はほんのり赤くなっていた。
――いいなぁ。これが恋か。
自分のことは全くダメだけど、他人のことならよくわかる。美里ちゃんが恋をしていることは間違いないと言い切れた。
「そういえばさ、七ちゃんは前に気になってるって言ってた子とはどうなったの?」
美里ちゃんがふいにそんなことを尋ねてきた。
「あっ、えっと……」
「あれから進んだの? どうなの?」
「まあ、それなりにね。今情報集めしてるの」
実際は、何も進んでいない。前に進むのが、とても怖いのだ。けれど、このまま何も無しに青春を終わらせたくないっていうのも事実。
美里ちゃんがふうっとため息をついた後に言った。
「情報集めかぁ……真面目だねぇ。七ちゃんさ、もっとバカになってもいいんじゃない?」
バカになる、か。確かに、今までの経験のせいで、恋には少し……いや、かなり慎重になっているかもしれない。
そもそも、これは恋なのだろうか?
確かに気にはなっているけれど、それは「好き」という感情にすぐさま結びつけていいものなのだろうか。今まではどうだったっけ。ああ、何もかもがわからない。
「ちょっと七ちゃん。聞いてるの? もうすぐ部活だってば!」
「あっ……」
「よかった、戻ってきた。あたし、先に行くからね!」
そう言うと、美里ちゃんは立ち上がって早足で教室を出て行った。あれこれ考えてもキリがない。私も音楽部の練習に向かうことにした。
部員が揃った音楽室。先生が爽やかに言った。
「それじゃあ、今日も始めましょうか」
一通り曲を通して合わせた後、個人練習だ。
私が担当しているのはマリンバ。メロディを演奏することはあまりないけれど、先生が言うにはかなり重要なポジションらしい。しかし、三年間続けていてもその実感はない。
個人練習は自分のペースでゆっくりと進められる。ずっと集中が続くわけではないから、時折窓の外を見て休憩した。
ここから見えるのはグラウンド。運動部の生徒たちが汗を流していた。その中の、一人の男の子が、私が気になっている子、というわけだ。
「皆さん、もう一度通して今日は終わりにしましょう」
先生の声で、全員が一斉に演奏する体勢に入った。私もマレットを握ったが、どこか上の空のまま、マリンバを鳴らした。
翌日、いつも通りに登校して、一限目の準備をしようとしたのだが、いやに教室が騒がしい。それを無視していようと思っていたけれど、クラスメイトの男子が私に話しかけてきた。
「なぁ、知ってるか? 立川と桐谷、付き合ってるらしいぞ」
つまり、美里ちゃんと湊くんがそうなった、ということだった。
「ふぅん……」
私は男子の顔を見ず、カバンから教科書を取り出した。男子が去ってから、美里ちゃんの姿を席に座ったまま探したのだが、既に何人もの女子に取り囲まれており、そこには加わりたくないと思った。
それから、今日の時間割を思い起こした。三年生になって選択授業が増え、美里ちゃんとは一限から四限まで別々だ。昼休みまで待つことにした。
「美里ちゃん、おめでとう!」
お弁当を持って美里ちゃんの席に行き、そう声をかけた。空いていた席に座って私は続けた。
「いいなぁ、美里ちゃんもついにぼっち卒業か〜」
こんな恋愛したいね、と理想を語り合っていた友達が、遠くに行ってしまったように感じて、私は寂しかった。
「もう、七ちゃんは可愛いんだから、いい人すぐに見付かるって」
美里ちゃんはさらっとそんなことを言ってのけるけれど、果たしてそうだろうか、とまた考え込んでしまう。
私なんて、臆病で、神経質で、不器用で……。
「ちょっと、お〜い。また魂どっか飛んでいってるけど? 大丈夫?」
いつもこんなことばかり。申し訳ない。
私はそれからも一人の世界に行ってしまっていて、のろのろとお弁当を食べた。美里ちゃんが食べ終わったので、努めて明るい表情を作って言った。
「ねえ、行ってきなよ。湊くん、待ってるんじゃない?」
美里ちゃんは照れくさそうに笑った。
「そうだね、行ってくる」
そして、美里ちゃんはお弁当をカバンにしまい、軽やかな足取りで教室を出て行った。
――あれ? もしかして、これからは本当にぼっち?
一番気付きたくなかったことに、気付いてしまった。
六限が終わって、いつもなら部活があるのだが、先生の都合で休みだった。私は何かに突き動かされるように、グラウンドに向かった。
グラウンドに行くまでには階段があり、私はそこに腰をおろした。これは単なる時間潰し。そう自分に言い聞かせながら、運動部の生徒たちの様子を眺めた。
「元気だねぇ……」
素振りをする野球部に、走り込みをするサッカー部。しばらくの間、私は無心で彼らに目を向けていた。
「あれ? 今日部活は?」
突然、後ろから声をかけられた。驚いて振り返ると、まさかの人がそこにいた。私は平静を装い、ゆっくりと口を開いた。
「音楽部は休みなんだ。早見くんこそ、練習は? いいの?」
鼓動が高鳴っていることに、気付かれてやしないだろうか。今、物凄くヒヤヒヤしている。
――あれ? どうしてだ?
別にバレたところで、私には何も不利になることはないはずなのに。私はなぜ、こんなにも焦っているのだろう。早見くんは言った。
「水筒を教室に忘れたから、それ取りに行って戻ってきたところ。それよりさ、最近ずっとグラウンド見てるじゃん。どうしたの?」
何もない、本当に何も。
ううん、それは嘘。
早見くんのことが気になって、つい目で追いかけてしまっている……。
でも、それが知られたら、絶対に気持ち悪いと思われる。私は素っ気なく返した。
「別に」
「……あっそ」
いつもなら、もっと沢山話せたはず。それが上手くいかないのは、やっぱり「本当のぼっち」になってしまったショックからだろうか、それとも。
そんなことを考えていたら、早見くんは他の生徒の輪に交じり、練習を始めていた。
――こりゃまずい。明日、朝イチで美里ちゃんに報告と相談だな。
私は、ざわざわとした気持ちを抱えたまま、早足でその場を立ち去った。
次の日の朝、私は美里ちゃんに会うなり、挨拶もそっちのけで訴えた。
「ねえ、どうしよう! 本当に助けて!」
さすがに状況を理解できないのだろう。美里ちゃんは頭にハテナを沢山浮かべてフリーズしているように見えた。
「おおっ、とりあえず落ち着け? あたしが知らない間に何があった?」
そんなの私にだってわからない。わかっていたら、どうにかして解決するよう努力している。とりあえずは、順を追って話すことにした。
「昨日……部活休みだったから、グラウンドに行ったの……」
全部説明し終わると、美里ちゃんはニヤニヤしながらこう言った。
「それはアレだねぇ……もう恋に落ちてるね」
やっぱり、これが恋なのか……このざわめく気持ちも変に焦ってしまうのも全部、全部……。
私が心の中でブツブツ考えていると、美里ちゃんがこんなことを言い出した。
「ねぇ知ってる? 人は七秒見つめ合ったら、恋に落ちるらしいよ。機会があったら今度やってみ?」
それは、都市伝説とか、そういう類のものかもしれないけれど、何もしないよりはマシな気がする。
「いやぁ、七ちゃんにもついに恋の季節が来ましたか。いいねぇ……」
自分も恋をしているくせに、そんなことが言える美里ちゃんが羨ましい。私より余裕で、ずっと大人に見える。私は言った。
「そっちだってしてるじゃん。湊くんとはどうなの?」
すると、美里ちゃんは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
私も想いを伝えれば、世の中の恋人たちのように、互いに一番の存在になれるのだろうか。
もしも願いが叶うなら、そうであってほしい。
それが今、私のたった一つの望み。
そう確信した。
その日の部活は早く終わったから、私はグラウンドに出てみることにした。
運動部は、道具の片付けやミーティングなんかで、文化部より終わるのが遅いことが多い。
それを知っている女子が、お目当ての男子のところに群がるのはよくある光景だ。
私にもそうしてみる勇気があればいいのだろうけど、今日はまだ、階段の上で突っ立っているので精一杯だった。
――いるかな。
人混みの奥の方に、早見くんの姿があった。私は彼をじっと見つめた。
――いち、にい、さん。
私はこっそりと数を数えた。七秒後、何か変化があることを信じて。
――しい、ごお、ろく、なな。
その七秒は、とても長く感じた。この時間が、ずっと続くんじゃないかと思うほど長く。
七秒経った後も、見つめたままでいると、早見くんが気付いてくれて、私に向かってニコリと微笑んだ。私は慌てて目をそらし、何でもないような顔をして、サッカーのゴールポストに視線を移した。
早見くんは知っているのだろうか。自分の笑顔に、人の心を簡単に奪うほどの魅力があることを。
きっと知らないのだ。その笑顔を、私以外にも振りまいているのだから。
「はぁ……」
思わずため息が出た。私は今、泣きたいほど恋をしているんだ。
あのドラマの主人公が言ったように、私はバカになってしまったようだ。いや、バカだから恋をするんだっけな。もう、どちらでもいい。
本当に私の望みが叶うのならば、これ以上ないくらいにバカになっていい。できることは何だってするつもりだ。
だからお願い。私を君の一番にしてください。
そして今度は君が私を、七秒見つめて。
私はざわめく気持ちを抑えるために、大きく息を吸った。
君と私の七秒間 惣山沙樹 @saki-souyama
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