【プレゼント】
「え? プレゼントぉ?」
紫の着物に、両手には白い手袋。
今日子さんが狐みたいな細い目を見開いて、気の抜けた声を出す。
博巳は照れくさそうに聞く。
「はい。何をあげたら喜ぶかなって」
「それ、わらわ……私に聞く? 大体、ニンゲンの文化なんて……」
「え?」
「あ、いえいえ、なんでも。……なんで、プレゼントをあげたいのかしら?」
「なんでって、十二月二十四日はもう再来週なんです」
「……特別な日なんだっけ?」
はあ。
博巳はため息を吐いた。
「……今日子さんに聞いた僕が馬鹿でした……」
「待って待って、思い出した、『くりすます』ってやつじゃなかったかしら?」
妙に焦った今日子さんが、冷や汗をかいて笑顔を作っている。
「そう……なんですよねえ。瞳さんに、なにかあげたくて」
「手袋」
「え?」
「手袋。いいんじゃないかしら? ほら、あの子、寒いのにいつも薄着じゃない?」
やけに張り切ってきた今日子さんが提案してくれた。
「え、でも売店には手袋なんて……」
「何言ってんのよ、作るのよ、あなたが」
「ええっ、僕が? 無理ですよう」
今日子さんがウインクした。
「大丈夫、私が手とり足とり教えてあげるから」
何時から置いてあったのか、ベッドの下から紙袋を出してきた。
そして、中から赤色の毛糸玉を二つ、取り出して笑った。
この人が手とり足とりと言うと何か良くない予感しかしなかったが、大好きな瞳さんの為だ。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってきます」
「逃げないでよー、ちょっとー」
(手袋、手袋。うん、頑張るぞ)
引き戸を閉めて、覚悟を決めた。
……
茜坂病院の、薄暗い廊下。
昼間なのに。
とても薄暗い。
天井を見る。
あちこち蛍光灯が切れてる。
ついてる所の方が少ない。
ついてる所も、ぱちばちと点滅している。
ちゅっ。
「うわっ」
思わず叫んだ。
ネズミか何かが足元を横切った。
「……」
どこからか、言い争うような声が聞こえる。
前を通る。
院長室と書いてある。
そのドアの前にも埃が目立つ。
中で男の人が叫んでいて、女の人が励ましているようだ。
「……あなた、しっかりしてください……お願いですから」
(あれえ)
博巳は首を傾げた。
(茜坂病院って、こんなに、こんなに……こんなだったっけ)
博巳はトイレに逃げるように駆け込んだ。
……
十一時十五分四十二秒。
「かくまって。お願い……ん?」
博巳は、手を後ろに回して編みかけの手袋を隠した。
にこにこして平然を装ったが、仇になった。
「や、やあ、瞳さん。今日も元気だね」
「んん?」
瞳さんが、何かに気がついてきょろきょろしている。
今日子さんがにまにまと笑っている。
「くっくっくっ。来る時間がわかってるんだから、ギリギリまでやらなくても、ねえ」
「んんんー?」
博巳の顔に、ぐんっと顔を近づける。
「ボク? 何かお姉さんに言ってないことあるでしょ?」
「なにも。なにも隠してなんて」
「『隠してる』ことがあるのねー! ふんふん」
ああっ。
なんて僕は馬鹿なんだ。
瞳さんは、いたずらに関してはすごく頭が回るんだった。
心の中で嘆くが、後の祭り。
想い人が、博巳の後ろに何かあることに気がついた。
「ボクー? その後ろには、一体何があるのかなー?」
「何も、ありませんよ」
ダメだ。
絶対に見せる訳にはいかない。
何回目か……もう忘れたけれど、このクリスマスイブ。
今年こそは渡すんだ。
びっくりさせるんだ。
(もしかしたら──キスとか、してくれるかもしれない)
だから、ダメなんだ。
見せたらダメなんだ!
「嘘おっしゃい! 瞳さんは気づきましたよー、ええ! ボクが後ろに何か隠しているのを!」
「何もありませんったら!」
「ふふーん。なるほどなるほど。瞳さんを怒らせたらどうなるか……その身に教えてやるわい! こちょこちょこちょこちょ!」
「うははははははは!」
まずい、瞳さんはこちょこちょの天才だ!
あっという間に自白しそうになる。
「はは、ひーっひひひひひひ!」
「むう、おのれ、しぶといのう!」
「あら? 十一時二十五分ね? いつものバス、三十分じゃなかったかしら?」
今日子さんが左手首の腕時計を見ながら、告げる。
「むっ、それは困る! さらばだ、少年よ、命拾いしたな!」
瞳さんはサビだらけのサッシから、颯爽と旅立った。
「ひー、ひー……助かりました、ありがとうございます」
「馬鹿な子ねえ。ギリギリまでやるから、そうなるのよ」
「でも、そうでもしないと間に合わないですから」
はあ。
今日子さんはため息を吐くも、笑った。
「ほんとに大事にしてくれるのね、私の瞳ちゃんのこと」
「私の?」
「ああ、ううん、なんでもない、なんでもないわ」
今日子さんの目が泳ぐ。
「なんにせよ、ありがとうございます」
「……じゃあ、続きね。さっきのとこ、見せなさい」
博巳は、後ろに隠してた手袋を出した。
瞳さんのワンピースと同じ赤色の、縫いかけの手袋。
「はい、お願いします」
……
雪が、降ってきた。
東京で「この日」に雪が降るのは、何年ぶりなんだろう。
でも、ここは八王子市の山奥。
おかしくは、ないか。
寒い。
博巳は、はーっと手に息を吹き掛ける。
雪は、音を吸収する。
山道に一人立つ博巳の耳には、何も聞こえてこない。
腕時計を見る。
十一時二十分。
そろそろだ。
「きーん!」
(瞳さんだ! ほんとに、
雪なのに、五センチは積もっているのに、白いサンダルで爆走している。
「ききーっ! ……ふぎゃっ」
ブレーキが雪の路面で滑って、思いっきりつんのめった。
「いたたた……」
「大丈夫ですか? 瞳さん」
左手の手袋を入れた包みは隠して、右手を差し出した。
「もー、なんで七月なのにこんなに地面がつるつるしてるのよー」
「イブですよ」
「へ?」
瞳さんは目をぱちくりしている。
「クリスマスイブなんです、今日は。雪が降ってますよ」
「ほんとだ……」
雪はもう半日どかどか降っているのに、瞳さんは今気がついたかのように手を宙に上げた。
「ほんとに雪が降ってる……なんであたし……なんで……?」
口元を押さえて、だんだん顔色が悪くなってきた瞳さん。
いつもなら、このまま悲鳴をあげて消えてしまう。
(でも、大丈夫です。今日は……今日は)
「メリークリスマス、瞳さん!」
「……え?」
「クリスマスプレゼントです」
瞳さんは、目の前に差し出されたそれを信じることが出来ない。
両手で受け取ったあとも、それをじっと見たまま、動かない。
「あたし……に? ほんとにあたしに、なの……?」
「はい。大好きな、瞳さんに」
瞳さんの目がどんどん潤んでゆく。
「開けてみて、ください」
「う、うん……」
くしゃくしゃ。
「うわあ、手袋だあ! ……あ!」
やっと、瞳さんは気付いたようだ。
「あの時の……そっかあ、作ってくれてたの……そっかあ……」
瞳さんが、愛おしそうに、手袋に頬擦りした。
「付けていい?」
「もちろんです」
ぎゅむぎゅむ……あれ。
「ちょっと……小さい……かな?」
「あ……ごめんなさい……初めてで……うまくいかなくって」
「……」
「……」
赤い手袋を手に着けた瞳さん。
それと同じくらい真っ赤なほっぺたの瞳さん。
博巳の、大好きな瞳さん。
「……あの……瞳さん……す……」
がばっ。
唐突に、瞳さんが口付けをしてきた。
それも、舌を絡めて、何度も。
「ひ、瞳さん?」
そして、雪なのに、ワンビースから肩を外した。
水色のブラジャーが露になる。
それも外した。
「瞳さん、何して!」
「いいから」
そう言って、博巳の頭を自分の乳房に押し当てた。
「ごめんね。これくらいしか、返せないの……受け取って」
「瞳さん……」
「お願い! 受け取って! ……お願い……お願いだよ」
「おねがい……」
瞳さんは……泣いていた。
博巳も、涙した。
こうすることでしか愛情を表現出来ない、瞳さんの胸に空いた穴の大きさを想って。
ごとごとごとごと。
半裸で涙を流す少女と、その彼女の胸に顔を埋める少年の横を、タイヤチェーンを巻いた西東京バスがゆっくり通り過ぎた。
……
雪は涙のクリスマスイブを、静かに、静かに包み込んでいった。
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