【退魔師】

 首都東京。

 夜でも決して眠らぬ街、新宿。

 大ガード下。

 停電だろうか。

 夜でも明るいはずのそこは真っ暗だ。

 深夜は二時。

 ……妖の時間。


「七星剣・魔断……」


 朱のチャイナドレスに、赤毛のポニーテール。

 拝島ぼたんの真っ赤な髪が、光を放つ。

 その光で、真っ暗のガード下が赤色に照る。

 髪留めが外れ、長い赤毛が本当に燃えているかのように、はためく。

 赤縁のメガネの上にある額に刻まれた太極図が蠢き、もう一つの「目」として開眼する。


「我ヲ抜ケ、ぼたん!」


 がちゃりっ。


 七星剣・魔断の柄に仕込まれたカラクリ。

 その歯車が回った。

いち」と表示された大字が「れい」に変わった。


「……抜刀」


 拝島ぼたんが静かにそう宣言する。

 そして手に持つ古代中国の剣をゆっくりと抜いた。

 刀身は光り輝いている。

 まるで金色に燃えているようだ。

 たった四十五センチ前後しかない鞘から、一メートル八十センチ近い、超長身の光る直剣が現れた。


「我二魔ヲ、喰ラワセヨ!」

「あいわかった。そなたに魔の真実を、喰らわせようぞ」

「待って、ぼたんさん、私をどうする気?」


 白い着物の女性が、たじろぐ。

 顔はアザだらけ。

 伸びた髪はぼさぼさだ。


「……斬る」


 三つ目の拝島ぼたんが、真っ直ぐに女性を見る。


「待って! 私はただ、彼のことが……」


 涙を流しながら訴える。


「……好きな……だけだったの……」

「わたしには真実が見える。お前が憑き殺したのは、家庭を持つ、罪のない普通の男だった」

「罪のない? 私だって、生きたかった。私だって殺されたく無かった! 私だって……」


 きんっ。


「え……?」


 前に居たはずの拝島ぼたんは、いつの間にか女の後ろで、剣を振り抜いていた。

 女が気付くと、頭頂部から「縦一文字」に真っ二つになっている。


「あ……ああ……そっか……私、また死ぬのね……」


 左右にズレた視界で、女は拝島ぼたんを見た。


「お前は死なない。お前の中の『魔』だけ剣に喰わせた。お前の魂は、在るべき場所に還る」


 女は、心の底から安堵した。


「そうなの……私、やっと眠れるのね……あ、お母さ」


 ふう。

 安堵の息を吐くように、女は吹き消された。


「これで、あと、千八十……」


 拝島ぼたんは剣をゆっくりと鞘に納めた。

 光は消え、一メートル八十センチあった刀身は四十五センチの鞘に収まった。


 がちゃりっ。


 七星剣・魔断の歯車が回り、剣の柄の「れい」の大字が「」に還った。


 額の目も太極図に戻り、光り輝いていた髪も、もとの赤毛に戻った。

 拝島ぼたんは新しい髪ゴムで腰まである長い赤毛をポニーテールに結い直した。


「おや、また罪のない魂を喰ったんじゃのう、そのナマクラは」


 がたんごとん。

 がたんごとん。

 大ガードの上を、中央線快速の回送電車が走る。

 鉄と鉄がぶつかる轟音がガード下に響く。

 拝島ぼたんが振り返る。

 照明が戻った大ガードの高架下。

 五メートル程後ろに、紫色の和装に白い手袋をした、二十後半の拝島ぼたんよりもう少し年上の女がいる。

 その左手はその女の弱点であることを、拝島ぼたんは知っている。


「狂狐……」


 そう呼ばれた女は、紫色の扇子で口元を隠し不敵に嗤った。


「せっかくわらわが育てあげた魂を、斬ってしまうなんて。ああ、恐ろしいナマクラじゃ」

「今回もお前が裏で動いていたか。……死者を誑かして操って、一体何がしたい?」

「その剣と同じじゃ。わらわも魔を喰うのが大好きでのう。せっかくだから、大事に大事に育ててから喰ろうてやろうと思ったのじゃ……それをお前に盗られるなんて」


 とん。

 その女は五メートルの距離を、瞬間的に詰めてきた。


「お前から喰ろうてやろうかの?」


 ざん。


「ぐっ」


 拝島ぼたんの肩の肉に噛みついた。


「ぺっ。……ああ、不味いのう、退魔師の肉は。食えたものではないわ」

「わたしも、お前にみすみす喰われる義理はない」

「ほほ、怖や怖や。じゃがこれ以上邪魔するようなら……」


 狂狐は拝島ぼたんの頬を撫でた。

 肉食動物のような長い爪は、紫色に塗られている。


「その頭ごと噛み砕いてやろうかの」

「させるかっ」


 鞘に納まる七星剣・魔断を振るった。

 が、その時にはもう目の前から消えていた。


「ほほ。楽しみにしているぞ」


 首都、新宿の大ガード下には、拝島ぼたんだけが残されていた。


「……行こうか。次の魔を喰いに」


 退魔師はそう言うと、剣を懐に納め、深夜の雑踏に消えた。

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