クトゥルフのとりごえ
貴船弘海
クトゥルフのとりごえ
ボクんちの近所には、不気味な家がある。
歩いて、2分くらいの距離。
めちゃくちゃ古い洋館だ。
その洋館には――誰も住んでない。
お父さんの話だと、お父さんが子どもの頃から空き家らしい。
とにかく、ちょっと幽霊屋敷みたいな家。
その家の前を通って、ボク・
幽霊屋敷は、わりと立派な造りだ。
年季の入った洋館で、なんだか文化的価値がありそう。
でも何だろう?
なんとなく建ち方が斜めで、ゆがんでる気がする。
見る人を、不安にさせるオーラ。
「今日もめちゃくちゃ薄気味悪いな……」
そうつぶやき、ボクは幽霊屋敷の塀の向こうを覗く。
するとそこに、なんとも奇妙な光景が広がっていた。
「ん?」
お屋敷の手前、だだっ広い庭。
昨日まで雑草だらけだったそこが、美しく整備されていた。
その真ん中に、これまで見たことがないシーンが広がっている。
な、何だ、これ?
どうなってんの?
庭に敷きつめられた、真っ黒な絨毯。
いや、違う。
あれは絨毯じゃない。
――猫だ。
たくさんの猫。
一体、何十匹いるんだろう?
この
カー カー カー カー カー
どこからか、声がした。
見上げる。
空一面を、カラスの大群が覆いつくしていた。
あまりにも数が多いので、朝陽がさえぎられていく。
周囲が、なんだか薄暗くなってきた。
「な、何が起こってるんだ?」
幽霊屋敷の庭に集まる、黒猫。
その上空をおおう、カラスたち。
すると、どこからか、女の子の声が聞こえてきた。
「今日は集まってきてくれて、ありがとう」
その声に、黒猫たちが「ういっす」といった感じで、うなづく。
猫って……うなづくのか……。
カラスたちも、まるで返事のように、全員で空に大きな◯を描いた。
「でももう帰っていいよ。今日から私は、この町で暮らすんだ」
ニャー ニャー ニャー ニャー ニャー
カー カー カー カー カー
「さぁ。それぞれの持ち場に戻りなさい。黒猫は車に気をつけて。カラスは保健所に気をつけて」
ニャー ニャー ニャー ニャー ニャー
カー カー カー カー カー
全員が、ゆっくりとその場から立ち去りはじめる。
カラスがどこかへ飛んでいくと、薄暗かった庭に明るさが戻った。
黒猫たちの姿が消え、庭の中央に、一つの人影が残る。
それは――女の子だった。
ツルツルとした、ストレートのボブヘア。
ちょっと、オシャレな感じ。
彼女が着ているのは、真っ黒な服。
派手なのか地味なのかよくわからない、ドレスみたいなやつ。
ゴス、って言うんだろうか?
その、バンドとかやってそうな感じ。
な、何者?
その女の子を、ボクはボーッと見つめる。
するとその子が、ハッとこちらに気がついた。
ボクたちの――目が合う。
な、何だろう……。
この子、肌が白すぎない?
ちょっと病的な感じ。
ボクが動けないでいると、その子が口の端をニヤリとつり上げる。
なんとなく、呪われそうなほほ笑み。
失礼だけど、ちょっと不気味。
こ、この子、ひょっとして……ヤバい人?
ヤバい人が、ウチの近所の幽霊屋敷に引っ越してきた?
いや、この子、もしかして、ずっとここに住んでたとか?
まさか――幽霊?
マ、マジで?
たった今、ボクはこの屋敷に住む女の子の幽霊を、目撃してしまっているのか?
ニヤリとほほ笑んだまま、その子がゆっくりとこちらに近づいてくる。
まるでこの世のものではないような、異様なムーヴ。
足の動きと、近づいてくるスピードが、まったく合ってない。
まるで空中を歩いているみたいだ。
こ、怖いだろ、キミ……。
怖すぎるだろ……。
「あ、あの、ボ、ボク、急いでますんで! マジで、急いでますんで!」
なんとかそう言い、ボクはその場から走り出す。
全力で!
まるで逃げるみたいに!
って言うか、逃げた!
もしかしたら――ボクは、朝っぱらからとんでもないものを見てしまった!
あの幽霊屋敷に住んでいる、少女の霊!
すっごく薄気味悪い、女の子の霊を!
●
結論を言うと――彼女は幽霊ではなかった。
ボクと同じ、小学6年生。
どうしてボクが彼女の名前を知っているのか?
それは、まぁ、たった今、黒板に書かれているからだ。
そう。
彼女は、ボクのクラスの転校生だった。
「鳥越黒絵です。よろしくお願いします」
そうお辞儀をする彼女は、なんだか少し大人な感じだ。
なんと言うか、めちゃくちゃ落ち着きがある。
教壇に立つ彼女を見て、教室のアチコチから『可愛い』という声が聞こえた。
さっきはちょっと怖かったけど、こうして見ると、彼女はたしかに美人だ。
都会的な雰囲気。
「一番後ろに空いている席があるでしょう? あそこが今日からあなたの席です。鵺野くん」
先生がボクの名前を呼ぶ。
鳥越さんに見とれていたボクは、ハッと我に返った。
「は、はい」
「鳥越さんに色々と親切にしてあげてくださいね」
「は、はい。わかりました」
突然の指名に、ボクはアタフタとしてしまう。
先生に会釈し、鳥越さんがこちらに歩いてきた。
転校生が、ボクのとなりの席。
家も近所で、席までとなり。
しかもめちゃくちゃ大美人。
ボク、これ、ラッキーなのか?
「よろしくお願いします。鵺野さん」
優雅にほほ笑み、鳥越さんがボクのとなりに座る。
「は、はい。よろしくお願いします」
ボクは、彼女をまともに見ることができなかった。
この子、なんだか美人すぎじゃありませんか?
しかも、めちゃくちゃ良い匂い。
こんなことなら、さっき、もう少しきちんとアイサツしとくべきだったよ……。
●
「あ、あの、鳥越さん」
放課後――すべての授業が終わると、ボクは彼女に声をかけた。
今朝、失礼な態度をとってしまったことを、謝るためだ。
あれは完全に、ボクが悪かった。
ボクが、失礼すぎる。
鳥越さんが「はい?」とこちらを向いた。
「あの、今朝は、その……つい失礼な態度をとってしまい、すいませんでした」
「今朝?」
「お、お忘れですか? 今日の朝、鳥越さんのお宅の前で、めちゃくちゃ失礼な態度をとったの……あれ、ボクです」
鳥越さんが、少し考える。
そしてすぐに、ほほ笑みを浮かべた。
「あぁ。あれ、鵺野さんだったんですね。ごめんなさい。ビックリしたでしょう? あんなにたくさんの黒猫やカラスが集まって」
「は、はい。驚きました。でも、あの、それ以上に、あのお屋敷に人がいることの方がビックリでした。これまでずっと誰も住んでらっしゃらなかったので」
「あぁ、それで。あの時、鵺野さん、まるで幽霊でも見たような顔をしてらっしゃいましたよ」
「はい、すいません。なんか、こぉ、驚いてしまって……」
「あの家は、祖父の物だったんです。先日、私が譲り受けました。素敵な家だったので、私が住むことにしたのです」
「あぁ、そうなんですね」
「では、鵺野さん。今日から私といっしょに帰りませんか?」
「はい?」
「ダメでしょうか?」
「い、いえ! で、でも、ボクなんかがいっしょで、い、いいんですか?」
「もちろんです。私、この町に来るのは初めてなので、色々と教えてください」
「わ、わかりました。まかせてください」
マ、マジで?
ボク、今日から毎日、こんな大美人といっしょに帰れるの?
めちゃくちゃラッキーじゃないか!
その時のボクは、本当にそう思っていた。
だけど、それはのちに――実はあんまりそうでもないことに気づく。
その日から、ボクの小学生ライフが、不気味な黒に染まっていったのだ。
●
帰り道を歩きながら、ボクはとなりの鳥越さんを見る。
鳥越さんは、やっぱりものすごい美人。
真っ黒な服が、とてもよく似合っていた。
彼女のランドセルを見つめる。
「鳥越さんのランドセルって、赤なんですね」
ボクが言うと、鳥越さんがほほ笑む。
「はい。私、黒が好きなんです。だからランドセルは赤にしました。黒が一番映えるのは、やはり赤との組み合わせでしょう?」
「は、はい。とても素敵です。素敵だと思います」
鳥越さんは、フツーに歩いてるだけで目立つ。
ものすごい美人、スタイル良し、全身黒、ランドセルは赤。
ボクは、こんなカンペキな女の子と歩いていいのだろうか?
「でも――鳥越さんは、なぜこの町に? いくらお屋敷を譲り受けたからといって、6年生で転校するのはイヤではなかったのですか?」
「はい。とくに。私、これまで学校に通ったことがありませんから」
「へ?」
「通ったことがないのです。だから転校も、べつにイヤではありませんでした」
「そ、そうなんですね……」
学校に通ったことが、ない……。
それは、つまり、引きこもり?
いや、そんな風には見えないけど……。
「あ、あの、なんでこれまで学校に行かなかったんです?」
「研究をしてたんですよ」
「研究?」
「知りたいですか?」
「し、知りたいです」
「後悔はしませんか?」
「こ、後悔?」
「しませんか?」
「……し、しませんけど」
「魔導書の研究です」
「魔導書?」
あまりにも意外な言葉に、ボクは声が裏返る。
鳥越さんは、フツーの顔で続けた。
「ウチの家には、代々受け継がれている魔導書があるのです。私、ずっとその研究をしてました」
「学校にも行かないで、ですか?」
「はい。魔導書は複雑です。読み解くには、かなりの知識を必要とします。国語・数学・理科・社会・外国語、そのあたりは、まぁ、フツーに自分で学びました」
国語・数学・理科・社会・外国語……。
『算数』じゃなくて、『数学』っていうのが、カッコイイ……。
「つまり、その、フツーの引きこもりではない、と……」
「はい。学ぶことが多すぎて、学校に行っているヒマがなかったのです」
「す、すごいですね……」
「でも、私、ふと気づいたんですよ」
「気づいた? 何にですか?」
「私は知識ばかりを学び、もっとも大切なことを学んでいませんでした」
「もっとも大切なこと?」
「愛です」
立ち止まり、鳥越さんがまっすぐにボクを見る。
「愛について、私はまったく知りません」
「愛……」
「はい。誰かを好きになる気持ち。誰かを思いやる気持ち。誰かを許す気持ち。それを学ぶために、私は学校に通うことにしたんです」
「きゃあーーーーー! だ、誰か!」
その時、突然女の人の悲鳴が響いた。
そちらを見ると、一人の女性が赤いヒモを持ったまま、車道に向かって手を伸ばしている。
車道には、一匹の子犬がいた。
どうしたらいいのかわからず、オロオロとしている。
そのすぐそばを行き交う、たくさんの車。
子犬のカラダにつけられたリードは、途中でちぎれていた。
もしかして、あれ、散歩中にリードが切れたのか?
そして子犬が、車道に出てしまった?
「た、助けなきゃ!」
ボクは、その場から駆け出そうとする。
だけどすごい力で、誰かに肩をつかまれた。
振り向く。
――鳥越さんだった。
「と、鳥越さん?」
「鵺野さん、今あの中に飛び込むと、あなたまで車に轢かれてしまいますよ」
「で、でも――」
「私が助けましょう」
それは――あまりにも一瞬の出来事だった。
鳥越さんが、車道に向かって、まっすぐに右手をつき出す。
すると、そこから――何か、黒いものが飛び出してきた。
まるで長いホースのように、それはグネグネとうごめく。
ツヤツヤとした、黒いタコの足のように。
鳥越さんの手から伸びたそれは、車道の子犬に向かっていく。
あっという間に、そのコの胴体に巻きついた。
子犬のカラダを、軽々と宙に持ち上げる。
空中に踊る、黒いタコ足と子犬。
直後、吸い寄せられるようにして、黒いそれは鳥越さんの手元に戻った。
「え……」
いつの間にか、さっきの子犬が鳥越さんに抱かれている。
黒いタコ足は、消えた。
その光景を見て、ボクは何も言葉が出てこない。
い、今の……な、何ですか?
何を、やったんですか?
なんか、鳥越さんの手から、黒いタコ足みたいなのがグネグネと出てきて、子犬を、つかんで――。
鳥越さんが道路で泣き崩れている女性に、子犬を手渡しに行く。
信じられない表情で子犬を抱きしめ、女性は何度も彼女にお礼を言っていた。
鳥越さんが、ボクの前に戻ってくる。
「と、鳥越さん……い、今の……」
「あぁ、はい。今のが、私が学んだ魔術です」
「ま、魔術……」
「便利でしょう? ケッコー、レアな魔術なんです」
「レ、レア、なんですね……」
「ところで鵺野さん」
「は、はい」
「今の私の行動――愛はありましたか?」
「あ、愛ですか?」
「はい」
「あ、ありました。その、ものすごく」
「そうですか。誰かを助けることができて、本当に良かったです」
鳥越さんが、ほほ笑みを浮かべる。
今朝の彼女は、幽霊みたいだった。
だけど今の彼女は、なんだか天使みたいだ。
クトゥルフのとりごえ 貴船弘海 @Hiromi_Kibune
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