第7話

 勇者は、誰もいなくなった魔族領をただ一人歩いていた。ウェメザたちと訓練した中庭、勉強をした図書館、魔族たちと食事をした食堂、そして魔王の執務室。勇者の足音だけが反響するがらんどうになってしまった。

 勇者は魔王の椅子に座り、考えていた。故郷を失い、人間に見捨てられ、拾ってくれた魔族もいなくなってしまった。自分のせいでこうなってしまった。

 やがて空が明るくなり夜が明けた。明るくなってゆく空を引き連れるように、勇者は聞き覚えのある馬車の音を耳にした。窓から外を見てみると、王家の文様が描かれた馬車を先頭に、数十はくだらない馬車と軍が城に向かって進軍してくるのが見えた。勇者が外に出ると、王が駆け寄ってきて芝居じみた動きで高らかに宣言した。

「勇者よ、仲間の裏切りによる傷は深かったろう。しかし見事魔族をうち倒し、人間に永久の平和をもたらしてくれた!」

 王は、あの日執務室で会った時とはまるで別人のような顔で、勇者に握手を求めた。

「笑え」

 王は、勇者にしか聞こえない声で話しかけた。

「お前はいつかやってくれると思っていた。だからあんな精度の悪い状態で旅に出したんだ。国のために働いてくれてありがとう。これでしばらくは安泰だ。報酬を出そう。なるべく希望に添えるようにしよう」

 固く握った手から、勇者は何一つかなわないことが分かった。権力も、魔力も王が上だ。力だって、軍隊の前ではどうにもならない。

 「勇者バンザーイ!勇者バンザーイ!」

 王が去っても何もできずぼんやりと立ちすくむ勇者に、人々が駆け寄って口々に賛美する。後ろでは王と貴族たちが休むためのテントが張られ、魔族領の分割の話を詰め始める。付き人たちと軍人たちが無人となった魔王城に入り込み、金銀財宝が運び出されてくる。勇者はそれをぼんやりと眺めていた。立ち尽くす勇者のそばから王が去った後は、見たこともない貴族らが周りを取り囲み口々に勇者をたたえ始める。これまでにない偉業だ、うちの領地に招待したい、娘が会いたいと言っている、どこそこの国の貴族と縁がある……勇者は相槌を打つだけだった。

 コース料理のように貴族が現れては去りを繰り返し、さすがに疲れてきたころ、勇者は目の端にオーロラの光を見た。魔王の話思い出す。あれは悪魔の宝石だ。

「それに触ってはいけない!」

 それまでぼんやりしていた勇者が慌ててすっ飛んでいくものだから、周りの貴族も王も驚いた。あれはたいそうな宝なのか、ぜひ手に入れたいと考え、それぞれが側近を走らせた。

「急にどうしたのですか勇者様。あなたは確かに魔族を滅ぼした英雄ですが、王の命によって派遣されたあなたの成果物は一旦国庫に納められる決まりです。そこをお退きください」

 いつもぼんやりして馬鹿にされていた勇者の真剣な表情に軍人たちは一瞬たじろいだが、すぐにいつもの調子を取り戻し、憮然と言い放った。

「それは魔族でも扱いが難しい代物で、人間に扱えるものではない。いつ爆発するかもわからない。ここには死んではいけない人がたくさんいる。いったん城に戻すんだ」

「勇者様、我々王室直属部隊に背くのは国家反逆罪と捉えられかねませんぞ。お退きください」

 説得むなしく、勇者を押しのけ軍人たちは悪魔の宝石を外へ運び出した。久しぶりに日の目を見たそれは、あまりに濃縮された人間たちの欲望を感じ取り、その力を解放した。

「あ」

 発動は一瞬だった。悪魔の宝石は一回り大きくなったかと思うと、宝石のあったところを中心に恐ろしい勢いの爆風が吹いた。王も貴族も関係なく、その風に触れたものは水となり、すぐに蒸発してしまった。加護に守られた勇者だけが、1人そこに立っていた。

「僕またやっちゃったみたいだ」

 聞く者のいないつぶやきが、風に乗って消えていった。


 勇者はひとり王都へ赴き、王の死と魔王の封印を国民に告げた。急に王と主要な貴族がいなくなり、国は混乱を極めた。混乱の中で勇者は当たり前のように王として祭り上げられたが、思いのほか政治の才があったようで国をよく治めた。魔族が襲ってくることもなくなって、国は平和になった。

「王ってのはこんなに大変なものなんだな」

 かつての勇者はかつて魔王城だった場所で1人酒を飲む。

「人間界の端の方には、入ってはいけない魔族の領域がある。そこには人間から見捨てられた勇者のなれの果てが住んでいて、魔王から奪った城を1人で守っている。うかつに近づき挑もうとした者は、欲深き勇者の魔法で跡形もなく溶けてしまうという……王都で最近流行りの歌だ」

 勇者は、黒く揺蕩う魔界の入口にグラスを掲げる。

「大変な毎日だけど、それなりに楽しく過ごしているよ。いつか酒を酌み交わせたらいいな」

 魔界の入口は、勇者の言葉に答えるように波打つだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やらかし勇者と退屈魔王 北路 さうす @compost

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ