第11話 目撃
「え、それはホームページですけど……」
昨日、俺に伝えた通りの言葉が返ってきた。そう、下駄箱の時はそれで良かったんだ。俺もてっきり、ホームページが公開されたと思っていたから。
でも今となれば、その発言は絶対にあり得ない。花崎によればホームページはまだ公開していないし、今ハッキリと桜庭の口から聞けたことで、彼女の嘘を裏付ける決定的な証拠となった。
「その、ホームページなんだけど」
「はい?」
「まだ――公開してないんだよね」
俺が核心に迫ったその時、誰かが襖を三回ノックした。
「お嬢。すみません、タバタですが」
そのドスの利いた声には聞き覚えがあった。さっきの大男である。
心臓の鼓動が早くなる。第六感は逃げろと警告するが、残念ながら今の俺にそれはできない。ここでなるようになるのを待つしかないんだ。
それはそれで、その『お嬢』という呼び方が非常に気になった。あの男がここに居る。一体どういう関係なんだ。
「ごめんなさい。少し待ってくれる? 時間も遅いですけど……」
「あ、あぁうん。9時ぐらいまでには帰りたいかな……」
「分かりました。本当に少しだけお待ちください」
桜庭は表情を変えなかったが、言葉の節々が震えていた。少し動揺しているように見えた。
まさか、それを見越して男が話しかけてきたのか? そうだとしたら、ここは盗聴でもされているのだろうか。考えたところで、理解しようがない。
それはそうと、ちゃっかり帰りのことも気に掛けてくれた。ありがたい。一人で動揺していたのがバカらしく思えてきた。
念のため周囲を見渡して、スマホを取り出す。電話で話したというのに、花崎からメッセージが届いていた。
『どんな感じ? 大丈夫?』
時間を見るとつい2分前だ。既読にしてしまったから、いま返事をしないと余計に心配をかけてしまう。
『桜庭と二人で話す時間をもらった。とりあえずは無事に帰してもらえそう』
すぐに既読はついた。やはり待ち構えていたのだろう。
『良かったぁ……。本当冷や汗止まらなかったよ』
『それは俺もな。詳しいことは明日話すから、今日はもう帰って良いぞ』
『本当に大丈夫? 迎えに行かなくて良い?』
『小学生じゃないんだから……』
『怖くてお漏らししなかった?』
『上からも下からも出そうだったよ。マジで危なかった』
『なにそれ(笑) でも良かった。じゃあ私も帰るね』
互いの不安をぶつけ合うようにメッセージを送り合った。花崎と業務連絡以外でこんなにメッセージで話したのは初めてだ。気がついたときに見るスタンスだったし、それは彼女もそう。返事を待ったことなんて一度たりともなかった。
でも今だけは、心が落ち着いた。
スマホに意識が行っていたが、桜庭はまだ戻ってこない。気がつけば5分経っている。少し待っていて、にしては待っている気がする。
不思議なことに、少しこの部屋の空気感にも慣れてきた。周囲を見渡してアレコレ考える余裕が生まれる。
(……遅いな)
手持ち無沙汰感は否めない。こっちは核心を突く問いかけをしたのに、返事を先延ばしにされて待ちぼうけを食らっている。桜庭も分かって時間を置いているのだろうか。だとすれば、ヤツにとっても何か不都合があるのだろう。
正直、なんで俺もその気になったのかは分からない。分からないが、俺は立ち上がって襖に近づく。少し開けて、彼女が近くにいれば催促しても良いだろう。
少し開けて、廊下を見渡す。やがて――俺は目を疑うことになる。
桜庭が……あの大男のネクタイをねじり上げていたのである。自分の体の倍はあるように見える、あの男を今にも持ち上げるのではないかと思うほどに。大男は
(はっ、えっ、はぁ?)
俺は反射的に、でもソッと襖を閉めてしまった。ていうか、分からないで良い! 分かりたくもない!
見てはいけないものを見てしまったせいか、一気に空気が凍ったように感じた。肌に冷たい視線が突き刺さる。まるで誰かに見られているかのような。
どうする? 花崎に電話するか? いやもう桜庭が戻ってきてもおかしくない。あぁ、もう! こういう時に冷静になれないのは致命的だ。やっぱりこういうの向いてないんだな俺。
逃げるようにソファに座り直す。出したくもないため息が出る。
あんなに高そうな紅茶もすっかり冷めていて、その香りは俺の鼻を抜けることもなくなっていた。一口ぐらい飲んだ方が良いのだろうか。
「――お待たせしました」
「うわぁ!!」
飲んでいなくて良かったと思った。もし口に紅茶を含んでいたら、その全てを吹き出していたに違いない。
そうさせたのは、音も立てずに引き戸を引いた桜庭である。紅茶を吹き出す代わりに俺の口から出たのは『化け物を見たかのような声』だった。
「ど、どうしました!?」
「い、いや音も立たず入ってきたから……」
「あ……あはは……」
桜庭はバツが悪そうに苦笑いした。そうやって笑うのは、自分自身思い当たる節があるからではないのか。それを問い詰めれば、俺はさっきの大男と同じように天井を見上げる羽目になるだろうが。
彼女は俺と向かい合うように座り直すと、随分と綺麗な瞳で見つめてくる。俺が見たのは本当に目の前にいる少女なのだろうか。何か悪い幻覚でも見たのではないかと、自分を疑いたくもなる。
「それで、何の話でしたっけ?」
ついにやられたか!? でも一体どうやって……?
一瞬にして興奮状態に陥った俺の思考だったが、どこかで冷静さを訴える自分が残っていた。彼女をよく見ると、俺の体に電気ショックを与えるような道具は見当たらない。――なんて考えたのも束の間。その痺れは一瞬で消える。
「どうかしましたか?」
「あ、あぁいや……」
興奮と冷静さの割合で見ると、9割9分が興奮で、残りが冷静。もはやその残り火もそよ風で消え去ってしまうぐらい弱々しい。
どこまで彼女を追及したのかもハッキリとは覚えておらず、覚えていたとしても口をつむぐしかないこの空気感。この家に上がり込んでしまった時点で、俺たちの負けは決まっていたのだ。
桜庭鈴という人間は、俺たちが思っている以上に底が見えなかった。
目の前に座っている少女と、覗き見た彼女とでははまるで別人。片方が演技だとするならば、それはもうずいぶんな演技派である。今すぐにでも朝ドラの主人公を演じるべきだ。
「紅茶、美味しかったよ。ありがとう」
一口も飲んでいないから、それは嘘でしかない。俺が立ち上がりながらそう言うと、桜庭は優しく微笑んだ。全ての苦しみを包み込むであろうその微笑みなら、
「相談の方もよろしくお願いします」
「……分かってるよ。また連絡するから」
「はい」
その立派な門のところまで見送りに来た彼女に背を向ける。すっかり夜になっていて、辺りは静まりかえっていた。
「――あのこと言ったら潰すからね」
瞬間、ドスの利いた、でもどこか高い声が俺の背後から聞こえた。
咄嗟に振り返ると、桜庭がぽかんとした表情をして俺を見つめ返す。「どうかしたの?」なんて聞いてきそうな素直な瞳をしている。
もうコイツから手を引きたい。
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