壱 紅玉 その四

その日の夜、私は実験を早めに済ませると、帰宅するふりをして、学校の門の外でヤマノさんが出てくるのは待っていました。

彼女が実験を終える時間は大体決まっていたので、それ程長く待つことはありませんでした。


僕は自宅に帰る彼女の後をつけました。

まるで今で言う、ストーカーですね。


その日ヤマノさんは、真っ直ぐ自宅マンションに帰りましたが、僕はその前で刑事みたいに張り込んだのです。

もちろん彼女が出てくるという確信はなかったのですが、何となく予感が働いたのかも知れません。


そして深夜になり、私が諦めて帰りかけた時、ヤマノさんがマンションから出てきたのです。

こっそり後をついて行くと、彼女は大学に引き返しました。


――忘れ物でもしたのかな?それにしても、こんな時間なのに。

彼女は、私たちの研修室に入ると、誰も残っていないのを確かめるようにして、実験室の1つの鍵を開け、中に入って行きました。


私はその時、彼女に声を掛けようかとも考えましたが、最後まで彼女が何をするか確認しようと思い、黙って様子を見ていました。

するとヤマノさんは、5分と経たないうちに実験室から出てきました。


彼女は研究棟を出ると、学校の敷地内の外れにある、コンクリートブロック造りの建物に向かいました。

そこは、実験に使うための有機溶媒の保管庫でした。


その時私は、ヤマノさんが連続放火犯であることを確信しました。

そして彼女の後を追って、保管庫に入ったのです。


「ヤマノさん。こんな時間に、こんな所で何してるの?」

私は極力彼女を刺激しないよう、穏やかな声で話し掛けました。


「あら、ハシモト先輩こそ、どうしてこんな所に。もしかして、私をつけて来たんですか?」

振り返って僕に答えるヤマノさんの顔は、狂気そのものでした。


「そんなことより、ここは先生方の許可なしに立ち入っちゃダメなのは分かってるよね。鍵を勝手に持ち出して、君は何をしようとしてるんだ」

私の口調は、段々と険しくなっていたと思います。


「あら、もう気づいているんでしょ?私が放火犯だって。だったら、ここに私がいる理由も分かるんじゃないですか?」

「やっぱりそうだったのか。どうして放火なんか」


そう言いかけた時、私の脳裏に突然、あの玉のことが思い浮かんだのです。

あの日、酒席で後輩に見せられた、紅い玉です。


「ヤマノさん。あの紅い玉、あの後どうしたの?」

私の質問に、彼女はうっとりした表情で応えました。


「知りたいですか?ハシモト先輩。私ね、あの後部屋に戻って、あの玉を、呑み込んだんですよ。そして玉と一体になったんです。ほらね」


そう言いながら、彼女が指さした右眼は、紅い玉に変わっていました。

大きさは、あの時見たビー玉サイズから、随分と成長していましたが、その色艶は、間違いなく、あの玉でした。


それを見た私は、驚きと恐怖で、その場に立ち尽くしてしまいました。

そんな私の様子を見て、ヤマノさんは、ゆっくりと話し始めました。


「この玉を飲んだ後私は、とても気分がよくなったんですよ。生まれて初めてでした。こんな気分になったのは。そしてね」

「…」


「玉が私に話し掛けるんです。火が見たいって。そして私も、火を見ると、もっともっと気分がよくなるのが分かったんですよ。だからね」

「…」


「もっと沢山火が見たくなって、あちこち火を点けて回ったんですよ。この気持ち、分かってもらえないでしょうね。先輩には」

「そんなこと、分かる訳ないだろ!じゃあ君は、研究室から持ち出したメタノールを使って、火を点けまわっていたと言うのか!」


遂に耐えきれなくなった私は、叫び声を上げていました。

しかしヤマノさんは、笑みを浮かべながら続けました。


「先輩。そんな大声出さなくても聞こえますよ。それよりも私がこれから何をするか分かりますか?」

「何をするつもりなんだ」


「私の中の玉がね、小さな火では物足りないって言うんですよ。確かに私も、最近物足りなくなってきたんですよね。だから」

「だから?」


「今日はこの保管庫の溶媒に、火を点けて見ようと思うんですよ。いい考えでしょ?」

「止めるんだ。そんなことしたら、大変なことになるぞ」


私がヤマノさんを止めるために一歩踏み出した時、彼女は棚に置いてあった有機溶媒のガラス瓶を床に落としました。

辺りに特有の芳香が溢れます。


そして私が止める間もなく、ヤマノさんは手に持ったライターで、床に零れた溶媒に火を点けたのです。

火は一気に燃え上がり、あっという間に周囲に広がりました。


危険を感じた私は、保管庫の外に飛び出しました。

そして保管庫を振り返ると、ヤマノさんは燃え盛る炎に、全身を包まれていたのです。


彼女は紅蓮に焼かれながら、狂気の笑みを浮かべ、踊っているようでした。

そして保管庫は、爆発しながら炎上していきました。


結局保管庫は全焼し、焼け跡からは、炭化したヤマノさんの遺体が発見されました。

幸い保管庫は、そのような事態を想定して、他の建物から離れた場所に建てられていたので、延焼による被害はありませんでした。


私は当日の目撃者ということで警察に呼ばれ、事情聴取を受けました。

しかし本当のことを語ることは、どうしてもできませんでした。

到底信じてもらえるとは思わなかったからです。


結局火事は、ヤマノさんが放火犯として逮捕されるのを恐れて、焼身自殺したという結末で処理されてしまいました。

あの日私があの場所にいたことは、偶然ということでかたずけられました。


あの紅い玉が、焼け跡から見つかったのかどうかは分かりません。

もしかしたら、今でも新しい主を探しているのかも知れませんね。


私の思い出話は、これでお終いとさせていただきます。

お楽しみいただけましたでしょうか。

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