弐 黒玉 その一

二番手は私ですね。

私はクワタと申します。

専業主婦をしております。


これからお話しするのは、私が住む町で数年前に起こった、とても嫌な出来事です。

今でも思い出す度に、背中に寒気が走るような感覚に襲われてしまいます。


私のお話の中身は、後から聞いた伝聞が多いです。

ただその内容は、概ね事実に基づくものだと信じています。


発端は、私の町内にあった古い小さなお地蔵様が、土地の売却によって撤去されたことでした。

元の所有者の老夫婦が亡くなり、土地を相続された遺族の方が、マンション業者に売却されたのです。


ずっと地元にあったお地蔵様が撤去されることに、昔からの住民の方はかなり反対されたそうです。

しかし移転する先も見つからず、結局撤去処分されることになってしまいました。


正直言って、私たちにとってもあまり気分の良いことではありませんでしたが、どうすることもできませんでした。

今思えば、無理にでも移転先を見つけるべきだったのかも知れません。

しかし、後にあんなことが起きるとは、誰にも想像できなかったのです。


お地蔵様は、土地の持ち主だった方の、家に隣接して置かれていたのですが、その家の解体に携わった業者さんから、町内会長に相談があったのです。

業者さんによると、お地蔵様を撤去したところ、台座の下から小さな金属製の箱が出てきたと言うのです。


箱は長年地中にあったためか、錆びついてなかなか開かなかったようですが、何とか道具を使ってこじ開けたそうなんです。

そして箱の中から出てきたのは、真っ黒な玉だったのです。


その話は、すぐに近所中に広まりました。

私は直接見なかったんですが、噂で聞いたところでは、直径が3cmくらいの大きさで、長年地中にあったとは思われない程、つやつやと黒光りしていたそうです。


相談を受けた町内会長さんは、困り果ててしまったそうです。

それはそうですよね。

そんな不気味な物を押し付けられたら、誰だって困惑すると思いますよ。


業者さんは、町内会で引き取ってくれないなら、元の場所に埋め戻すと言ったそうです。

ごみとして廃棄するのは、業者さんも気が引けたんでしょうね。


町内会長さんは、地元のお寺さんや神社に相談したんですが、どちらからも断られてしまいました。

そんな訳の分からない物を、引き取ることは出来ないと言われたそうです。


結局途方に暮れた会長さんは、引き取り先が見つかるまで、黒い玉を別の桐箱に入れて、町内会の事務所に仮置きすることにしました。

それがいけなかったのです。


何がいけなかったのかと言うと、黒い玉が放置された後、町の雰囲気が徐々に不穏になっていったのです。

それはゆっくりと、油が紙に沁み込むように、町中に浸透していったのです。


最初は誰もそのことに気づきませんでした。

しかし気づいた時には、その真っ黒な雰囲気が、町中を覆っていたのです。


その頃になると、町の雰囲気がおかしくなっていることに、多くの人が気づき始めました。

町のあちこちで、揉め事や争いごとが、頻繁に起こっていたからです。


例えば、お隣さんの植木の枝が、自分の家の庭にはみ出だしているといったことで、激しい言い争いが起きたりしました。

また、ゴミ出しのルールをきちんと守らない人と、それを注意した人との間で、揉み合いになるようなこともありました。


それ以外にも、隣の部屋の音がうるさいとか、公園で遊ぶ子供の声がうるさいとか、家の外で吸っている煙草の匂いが洗濯物に移るとか、おそらく日本中のどこでも起きているような、言ってしまえば些細なことで、争いごとが起きたのです。


問題は、それがただの言い争いに留まらず、容易に暴力沙汰にまで発展することでした。

近所の争いごとに留まらず、学生同士の乱闘騒ぎもしょっちゅうでした。

町中に、パトカーが出動していない日が珍しい程でした。


さすがにそこまで来ると、多くの人がおかしいと思い始めました。

そして町内会の役員が中心になって、争いごとが起こった原因を調査しようということになったのです。


役員の皆さんは、ご近所の家を手分けして回り、揉め事の原因を聞いて回りました。

私の義父もその一員でした。


聞き取り調査に疲れ切って返ってきた義父に、それとなく結果を聞いてみると、いずれも漠然としたものでした。

隣の部屋の音にイラついたとか、隣人が前からむかついていたとか、喧嘩をした学生に至っては、歩いていて目が合ったとか言うものばかりでした。


それを聞いた私は、何だか町中の人がイライラしていることに気づいたのです。

例えばスーパーに買い物に行っても、客同士の言い合いを何度も目にしていました。


何よりも、私の家庭でも同じようなことが起こっていたのです。

温厚な義父と夫が言い合いをしたり、私も子供にきつく当たったりしていることに気づいたのです。


そして私は1つのことに思い至りました。

あの黒い玉です。

あれが町に置かれて以来、雰囲気が徐々に変わってきたのではないかと。


私はそのことを、義父と夫に告げました。

私の言葉を聞いて、2人ともハッとしたようでした。


義父はすぐに、町内会長さんのところに行くと言って出かけていきました。

そして義父の話を聞いた会長さんも、おかしいと思われたようです。


2人して町内会の事務所に行き、桐箱を開けて見たそうです。

しかし黒い玉は、消えてしまっていたのです。


会長さんは、すぐに役員の皆さんを招集しました。

しかし玉が紛失したことに、心当たりのある人はいなかったのです。


元々町内会の事務所は出入りが自由でしたし、黒い玉の入った桐箱のことも、特に注意を払って見ている人はいなかったので、心当たりがないのも当然でした。

役員の皆さんは、どうしたものかと顔を突き合わせたそうですが、よい知恵は浮かばなかったようです。


警察に盗難届を出そうにも、元々所有者が分からない物でしたので、それもできません。

結局、玉の紛失は有耶無耶のままになってしまいました。

そして街の雰囲気は改善されないまま、事態はさらに悪化したのです。

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