第22話 世話役の日記
バンッ!
大きな音を立てて襖が開けられた音に、寝転びつつのんびり庭を眺めていた火崇が、身体を大きく揺らし驚き振り向いた。
「どうした、どうした? いつも涼しい顔した朱陽が、そんな鬼の様な顔をしよって」
茶化しているのか、本心から驚いているのか分からない様子で起き上がると、眉間に皺を深く寄せた朱陽を見つめる。
「もっと待たされるものだと思っていたが、世話役殿は、もう送って行ったのか?」
「……シロガネに送らせた」
その言葉に、火崇は信じられないとでも言いた気に口を半開きにし、元々眼力の強い大きな瞳が、さらに大きく剥く。
「あ、あんなに……!! つい先ほど! 守ると話したばかりで、何故シロガネに送らせているんだ!? 口の根も乾かぬうちに……!! お前はあほぉなのか!」
大柄の体に見合ったよく通る声で言う火崇を無視し、朱陽はドカリと腰を下ろし胡座をかく。そして、手に持っていた数冊の本らしき物を火崇の前にドンッと、些か乱暴に置く。
「これを読んでみてくれ」
唐突に、朱陽から一冊を突き出す様に差し出し言われた火崇は、どこか不服な面持ちでそれを黙って受け取り、表紙を捲る。
「これは、日記か……?」
何も答えない朱陽に、それ以上何か言う事もせず日記を読み進める。しばらくして、ふと、火崇の手が止まる。
そして、目の前に置かれた日記に手を伸ばし読み始めた。その顔は酷く険しく、怒りが宿り始めている。
「……朱陽、これは」
「ここに居た、世話役殿達の日記だ」
「年代を見るに、お前が」
「そう、閉じ込められていた頃の世話役殿達だ」
普段、人の話を静かに聞き、遮る事をしない朱陽が、火崇の言葉に被せ説明する姿に、朱陽自身も酷く怒りを抑え込んでいるのだと、火崇は気が付いた。
日記は一見、社で起きた日常を書いた物にも読める。
だが、天狗の神通力を通し読み進めれば、その時代の世話役の様子が映画のスクリーンの様に見ることが出来る。
その風景の中に、化陀の姿が見えた。
その中の化陀は『天狗』と偽り、山伏の衣装を纏った朱陽の姿でいたのだ。
どんな力を使ったのか、蛇らしさは一切感じられない。
「女の天狗などおらぬのに……何故、この世話役殿達は此奴を『天狗』だと信じたんだろうか……」
「恐らく、幻覚の術でも施していたのだろう。私達には、ありのままの姿が見えるが、世話役殿達には私に見えていたであろうよ……」
「お前のところの世話役殿達だぞ!? どこの世話役殿達よりも、代々通力が高いと言われているのに、気が付かなかったというのか?」
「それだけ、あの蛇の力が高かったという事だ。考えてもみろ。私を海底へ閉じ込めたんだ。それに先程、火崇も言っていただろう。天狗にも勝る、神と同等の力を持っていたとしたら、と」
覇気のない笑みを浮かべる朱陽に、火崇はどこか痛々しさを感じ「すまん」と、思わず口にしていた。
「しかし、……それであるなら、尚のこと世話役殿は朱陽自身で送って行った方が……いや、帰さない方が良かったんじゃないのか?」
「……いや。今から、品川へ向かう。火崇、一緒に来て欲しい。烏達にあの蛇の居場所を案内して欲しい」
「朱陽、まず落ち着け。今のお前さんが行った所で、また百年前と同じ様になるやも知れんぞ」
「あの時は、化陀を信じ過ぎていたんだ。もう、あんなヘマはしない」
「いや、その怒りこそが、ヘマに繋がると儂は言っているんだ。ひとまず落ち着け。そして、お前さんがまずやらねばならないことは、山梨の天狗殿や高尾の天狗殿に会いに行き、今起きていること、これから起きうることを伝え、考えて行動せねばならんぞ」
火崇の言うことは、最もであった。この怒りをそのままに乗り込めば、再び自分は海底へ閉じ込められるであろう、と。
それで無くとも、まだ朱陽の神通力は完全には戻ってはいないのだ。
「この空間にしてもそうだ。やっと開く事が出来たのであろう? 神通力が完全に戻っていない状態で向かえば、どうなるかくらい想像つくであろうが」
「……そうだな。すまない」
目を伏せ、素直に謝る朱陽の姿を、火崇以外の視線が見つめている。その事に気がついた火崇が、そっと障子を開けば、悲しげに耳を下げた金狐が姿勢正しく座っていた。
「ほら、お前の可愛い神使が情け無い顔をしておる」
その言葉に朱陽は顔を上げ、庭へ視線を向ける。すると、離れた場所から銀狐が駆け寄って来るのが見えた。
「シロガネ、無事に送り届けたか?」
立ち上がり声を掛ければ、銀狐は金狐の隣に座り首を垂れる。
『はい。念のため、夏川家の門と世話役殿の部屋に結界を施しておきました』
「そうか、よくやった」
「夏川家の周りで、何か不審な者や事は無かったか?」
火崇が訊ねると、銀狐は首を横に振り掛けたが、すぐにそれを止め、地面の一点を見つめる様に動きを止めた。それは、何かを思い出そうとしている仕草にも見える。
「シロガネ。何か、気になる事があるのか?」
朱陽に名を呼ばれ、我にかえり顔を上げた銀狐が、どこか不思議そうな表情で小首を傾げる。
『朱陽様……。今の世話役殿のお父上の顔をご存知でございますか?』
唐突に訊ねられた問いに、朱陽は銀狐同様、小首を傾げる。
「いや……。まだ、お会いした事がないが……どうかしたのか?」
『……いえ、ほんの一瞬でしたので、私の見間違いかと……。それに、この社の世話役殿は代々夏川家。似ていて当然か……』
「なんだ、何を見た? そう一人で解決させず、話してみろ」
火崇に促され、銀狐が戸惑いの表情で朱陽を見上げる。
『あくまでも、私の見間違いかとは思いますが。世話役殿のお父上が、百年前の世話役殿の姿に、映し絵の様によく似ておりまして……』
その言葉に、朱陽と火崇は視線を合わせた。
「朱陽!」
「火崇! 一緒に来てくれ!」
「承知!」
朱陽は天狗の扇子を現すと、それを一振り。瞬時に天狗姿になった朱陽と共に、火崇は庭へ出た。
二人は同時に旋風を起こして、空高くへ消えた。
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