第21話 贄

 大佑の言葉に黒須が勢いよく顔を上げたが、その表情は、驚きと戸惑いの混ざった物であった。

 

「いま、何と言ったんだ……?」


 黒須が僅かに上擦った声で訊ねる。が、大佑の返答を待つ事なく言葉を繋げた。


「世話役が、贄だと……誰がそんな事を。そんな事、あり得ない。いいか、大佑。よく聞いてくれ。俺たち天狗にとって大佑のような世話役は、唯一、自分の弱さを見せ、背中を預けられる存在なんだ。天狗に相応する神通力を持つ人間は、そうそう居ない。天狗の傷が早く癒せるのは、力を素早く回復出来るのは、世話役の存在あってこそだ。だからこそ、大切にする。贄などと考える天狗は、少なくとも、この日本国内には一人も居ない。大佑? 何故、自分が喰われるなどと思ったんだ?」


 黒須は、自分より背の低い大佑の視線に合わせる様に腰を曲げ、眉を寄せ訊ねた。

 何故、と問われたその声は、何とも弱々しく悲しげだ。

 大佑は困惑気に黒須の紅い瞳を見つめる。


(そんなはずは無い。だって、今までの世話係が残した記録が……)


 大佑は、ふと黒須から視線を外し、天井を見上げた。その視線を追い、黒須も天井を見上げる。


「あそこに、何かあるのか?」


 何かを感じ取ったのか、はたまた天狗の鋭い感か。

 黒須が訊ねた言葉に、大佑は一瞬、答えるべきか考えた。黒須を本当に信じて良いのか、と。

 だが、何故か急に金銀の狐達との会話を思い出したと同時に、黒須を信じようと思う気持ちが高まっている自分がいる事にも気が付いた。

 大佑は、ひとつ唾を飲み込むと、日記が隠されている天井の真上に立った。

 すっと、細い指で天井を指す。


「ここ。一箇所、天井が開くんだ。そこに、歴代の世話係が書いた日記があるんだ。それを読んで、俺はそうなんだって、思ったんだ」


 そう言うと、御堂の隅に置いてある木製の腰掛けを天井の下に置き、その上に乗って天井を開けた。

 天井裏から一番古いものから数冊取り出すと、椅子に乗ったまま黒須へ手渡す。


「見て、いいのか?」

「ああ、もちろん。俺は黒須だから見せようと思ったんだ。だから、それを読んで本当の事を教えて欲しい」


 大佑の言葉に黒須は小さく頷くと、その場に胡座をかき、一番古そうな日記を開こうとし、僅かに目を見張った。

 ピリリと、日記から通力を感じ取ったのだ。

 大佑の物とは違う。誰かの力だ。


 それは、その日記を書いた者の力だと、黒須は感じた。


 人の思いは、良くも悪くも、それが強ければ強いほど、それに伴って念が籠るものだ。


 その念が、どう作用するか。

 

 この日記のように古い物であるなら、本来なら虫喰いや古紙特有の変化が出るはずだが、この日記は『つい先程、書いていたのだ』と思うほどに状態がいい。

 

 きっと、次の世話役に伝われと、気持ちを込めたのであろうと、黒須は感じた。


 ひとまず、その日記を開く前に、心の中でその書き主に祈りを込めた。


『貴方の思いを、私に伝えてください』


 そう伝えれば、日記から伝わる痛みが無くなった。


 早速、読み始めた黒須は、そのページを捲る速度が徐々に早まる。読み始めた時には無表情だった顔が、徐々にその眉間に皺が深く刻まれだす。

 一冊読み終えれば、すぐさま次の日記に手を伸ばし、再び日記に祈る。


 そして、数冊目に入ってすぐ。黒須の紙を捲る手が止まったままになった。


「黒須?」


 先程まで、あまりの集中力に圧倒され、ただただ眺めていただけの大佑であったが、黒須の変化に恐る恐る声を掛ける。


 大佑の呼び掛けに、黒須はハッと我に返り顔を上げた。


「大佑、お前はこれを読んで、世話役が贄だと、思ったんだな?」


 差し出された日記の一部分。黒須の大きく長い指が指す場所を見る。


 眷属がニヤリと笑った、あの言葉。


『お前は、どんな風に最期を迎えるのだろうなぁ?』


 コクリと顎を引けば、黒須は表情を険しくさせ「そうか」と頷いた。


「大佑。まず、これだけはハッキリと覚えておいて欲しい。天狗にはな、眷属は居ない。居るなら神使のみだ。だが、この眷属に関しては……少し覚えがある」

「一体、なんの生き物が、何のために眷属なんて言って、こんな恐ろしい事を……」

「そのモノの正体は【蛇】だ」

「蛇……それってもしかして」


 大佑が何を言おうとしているのか伝わったのか、黒須が頷く。


「今日、大佑を襲った奴等もまた、蛇だ」

「その蛇は、この神社の眷属だと言ったのは、なんで? その理由を、黒須は知っているの?」


 その問いに、黒須の顔が暗く沈む。


 黒須は頭の中で、大佑に伽蛇の話を全て話すかどうかを躊躇った。


 だが、既に伽蛇の手下が大佑に接触しているのだ。遅かれ早かれ、伽蛇本人が大佑に接触するかも知れない。そうなれば、恐らく日記に書かれた世話役達と同様の出来事が起こるだろう、と感じた黒須は「ああ」と頷いたのだった。

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