第19話 妖

 火崇ほたかは懐から折り畳まれた紙を取り出し、畳の上に広げた。それは、丁寧というには、若干神経質にも見える手書きの地図であった。


「これは、大介が見つかった場所周辺の地図だ。儂の烏の目を通して書き上げたものだからな。人間が売っている地図よりも、細かく書き上げてある」

「お前が書いたのか?」

「いや、儂の世話役殿だ」

「……火崇に世話役が出来たか……何やら感慨深いな」


 小さく笑って言えば、火崇は恥ずかしそうに頬を染め頭をガシガシと掻く。


「以前は世話役などいらないと言って、社に結界を張ってまで、お前の山に人を入れなかったのに。私が閉じ込められていた間に、一体なにがあったのやら」

「……お前が閉じ込められてから五十年後、大きな震災があった。北海道から近畿地方にまで及ぶ地震だ」


 先程までの照れた表情は消え失せ、鋭い光を宿した瞳が朱陽を捕える。

 朱陽は黙って姿勢を正し、頷く。


 その地震については、朱陽も記憶していた。

 何重にも掛けられた幽閉の術の結界の中で、大きな揺れがあったからだ。

 何も出来ない自身の不甲斐無さを実感した瞬間でもあったのだ。


「多くの妖怪が、地底も地上も、空でさえも、まるで支配された様に蠢ていた。そんな中で、世話役に出会ったのだ。……お前と大介を思い出した。儂も、お前達のような関係性を築きたいと、初めて感じたのが儂の世話役だ」

「私に、会わせてはくれないのか?」


 そう問えば、火崇はチラリと朱陽を見て鼻で軽く笑う。


「会いたいだなんて、その気もない奴に会わせようとは思わないよ」

「私だって、新しい世話役をお前に見せる気など無かったが?」

「儂は見る気満々で来たが?」


 朱陽が憮然とした顔で火崇を見やれば、火崇は有無も言わさない良い笑顔をにっこりと向けて「さて、話が逸れた。戻そうか」と言った。


 火崇が地図に視線を落とし、大きな手で地図の折り目を丁寧に撫で付け、平にする。すると、先程まで見えていなかった、いくつかの印が朱陽の目に入ってきた。赤と青の色がついた箇所だ。

 朱陽が訊ねようとすると、それを察したのか火崇が口を開いた。


「この印の箇所は、妖怪が現れた場所。または消えた場所だ」

「この地域には、蛇を祀る有名な社があったな?」

「ああ、そうだ。問題は、その量だ。日に日に増えている気がする。他の天狗達にも連絡はしているが。だが、気になることが一つ。小天狗が成敗出来る程の雑魚が多い」

「それは妙だな……」

「ああ。それから、儂の山の方でも、動きがあってな」


 その言葉に、僅かに朱陽の眉間に皺がよる。火崇の社がある山は、日本で一番高いとされる富士山が近い場所である。


「山梨はどうだ?」と、朱陽が訊ねれば、火崇も厳しい顔付きで頷いた。


冨士山小御嶽神社ふじさんこみたけじんじゃさんに使いを送った」


 富士山の五合目には、有名な天狗神社がある。この山に何かあれば、日本の広範囲に多大なる被害が及ぶ。妖怪共が人間や大地に手だしを出来ない様に、大天狗達が山を守っているのだ。


 だが、火崇は厳しい顔のまま言った。


「妙な動きをすると、知らせが来ている」


 火崇は自分の放った言葉に、朱陽がどう反応するのかを見逃さないとでもいう様に、凝視していた。その瞳が、何を言いたいのか朱陽には、よくわかっている。


「……確実に、カダの働きに違いない」

「ああ。儂達もそう考えている。何故なら、妖怪の動きも含め、お前が海底に閉じ込められた後に起きた時によく似ているのだ。その時との違いがあるかといえば」


 そこで言葉を止めると、火崇が地図上のある印を指差した。


「この青の印では、大介によく場所だ。違いがあるとすれば、あの時は、大介は現れていない」


 地図上では、四箇所に印がある。四箇所を点で繋げても、特に何か企みが浮かび上がることも無かった。だが、妖怪が現れた箇所に比べ、行動範囲が広い。それが、何故だか朱陽は気になった。


「火崇、この青の印だが。ここで大介らしき人物が何をしていたか、烏は見ていたのか?」

「儂も気になり、何度か烏の目を覗き込んではみたが、特にこれといった変な行動は無かった」

「そうか……」


 参考にならない返事を聞き、朱陽は小さく息を吐いて地図を見下ろした。


『朱陽様』


 襖の向こう、先程まで大佑と共に居たコガネの声がした。朱陽は立ち上がり、襖を開ける。


「どうした」

『世話役様が、お帰りになりたいと』


 その言葉に、朱陽はチラリと火崇を見た。火崇はその視線に気が付かないまま、地図を見つめている。


「すまない」と、声を掛ければ、その顔を上げ「ああ」と一つ頷く。


「送ってこい。儂は、しばらく泊まるつもりで来ているのでな。待っているぞ」

「遅くなる」

「待ってるというのだから、そこは『早く帰る』と言え」

「ゆっっっっくり送ってくる」

「はいはい、ゆっく〜り行ってこいっ!」


 火崇は部屋を出て行く朱陽の後ろ姿を見送ると、胡座に肩肘を付き顎を乗せた。

 朱陽は、基本的に無表情が通常だ。それが、新しい世話役の事となると、百年前の朱陽の様に表情が柔らかくなるのだ。


 朱陽が出て行く前に見せた表情の穏やかさ。それを思い出し、火崇は小さく笑ってから、ワザとらしく大きなため息を吐いた。


「朱陽よ。頑張れよ……」


 今度こそ、守れよ。と、心の中で呟くと、火崇は再び地図に視線を戻したのだった。

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