第18話 朱陽の過去

 大介が倒れたあの日。


 朱陽は本堂で天狗の武器である大鉈おおなたの手入れをしていた時であった。

 汚れは落ちてはいるが、何故か曇りが消えず、いつもより念入りに磨きをかけていた。


『朱陽様!! 大介様が!!』


 シロガネが御堂の扉を勢いよく開け飛び込んで来たのは、大介が帰って暫くしての事だった。




 二日前に顔色が優れずにいた大介だが、その日は一段と顔色が悪く、社の掃除を終えると「今日は帰って休む」と言った。

 口付けをし通力を送り込んだが、朱陽自身も戦闘後、一週間も経っていなかった事もあり、そこまで多くの力を注ぐ事は出来なかった。それは大介も分かっており、朱陽がギリギリまで力を送り込もうとしている事に気が付くと、そっとその身体を押しやった。


「共倒れになるだろ?」


 そう言って、弱々しく笑う。


 朱陽が「家まで送る」と言ったが、大介はそれを断った。


「朱陽、お前も今日はゆっくり休んでくれ。朱陽の顔色も、お前が自分で思っているより、良いとは言えない」


 朱陽の両頬に手を当て、柔らかく微笑む大介を見下ろし「最後にもう一度だけ」と、今度は力の供給関係なく、口付けを交わした。それは、互いの愛の籠もった温かいものであった。


 その口付けは、いつものそれと変わらないはずなのに、妙に唇に熱が残っている。

 朱陽は何故、こんなにも心に残っているのかと、先程の口付けを思い出していた。


 シロガネが飛び込んで来たのは、思い出しながら大鉈を磨く手を止め、自身の唇の熱に指先で触れた、その時だった。


 シロガネが言うには、社に繋がる階段下。白い鳥居の前に、大介は倒れている。

 朱陽はシロガネと共に鳥居へと急いだ。

 

『いま、カダが大介様の側に付いています』

「コガネは!?」

『何者かに襲われた可能性もあります故、一帯をさぐっております』

「そうか」


 階段を飛ぶ様に駆け降り、大介の傍に舞い降りると、その身体を抱き上げた。


「大介! 大介! 聞こえるか?! 私だ、朱陽だ!」


 白を通り越し灰色に近い大介の肌の色に、朱陽の心臓は痛みを伴う鼓動を打つ。


『毒の臭いもなく、何かしらの跡があるわけでもありません』

「カダは、カダはどこだ!?」


 大介と共に居るはずのカダの姿が見当たらないと気が付いた朱陽が声を上げる。

 シロガネが鼻を空に向け、カダの気配を嗅ぐ。


『近くにおりません』

「他の者の臭いは無いか」

『ございません。しかし、カダが居ないとなると、もしや何者かを追いかけた可能性があります』

「もしくは、カダが何者かに連れ去られたのか。すぐに探し出せ」

『わかりました。では、朱陽様は大介殿に通力を』

「いや……。一旦、社の池に入れる」

『ああ、そうですな。それが良いかも知れませぬ』

「ああ。ここはいい、もう行け」

『はい。では』


 シロガネが銀白の光りを放ち姿を消すと、朱陽は大介を抱えて社へ戻った。


 池へ駆け寄り、急いで大介の着物を脱がす。その時、朱陽はハッと目を見張った。

 世話役の証である、楓の葉の赤い痣が薄くなっていたのだ。

 どういう事だ、と思いつつも、今はそれどころじゃないと、朱陽は大介を抱えたまま池に浸かったのだった。



「朱陽、大丈夫か?」


 顔を逸らし黙り込んだままになってしまった朱陽を心配して、火崇が声を掛けた。

 突然、自分の耳元に響いた声に、朱陽は肩を振るわせ驚けば、火崇が苦笑いをする。


「朱陽よ、儂が居るのを忘れておったな?」

「……すまん」

「記憶を辿っていたな? 邪魔したか」

「……いや、呼び戻してくれて良かった。今は、あまり思い出したくない」

「……そうか。ならば、あんな思いをしないために、作戦会議を始めようじゃないか、兄弟よ」

「火崇と兄弟になった覚えはない」

「まぁまぁ、照れるな」

「照れてない」

「相変わらず、可愛い奴め」

「煩い」


 朱陽の最後の言葉を無視し、火崇は朱陽に会いに来た理由である、一番の本題に入った。


 対妖怪対策という名の化陀対策を。


 自身が考えている内容を、静かに語り出したのだった。



***



「それで、黒須が大天狗であるという事は、人間って事で良いのかな?」


 縁側に座りながら前屈みになり、大佑は金銀の狐の顔を交互に見た。

 狐二匹は互いの顔を見合わせ、大佑を見る。そしてコクコクと頷く。その様がシンクロしており、その姿のあまりの可愛さに、大佑はクスクスと笑いながら「そうか」と頷いた。


 静岡の大天狗・火崇の言葉を反芻し、行き着いた答えが「黒須はである」という答えであった。


 もし、天狗伝説が本当であるならば、烏天狗は元は妖怪。そして、大天狗は元は人間である、という事だ。

 天狗伝説は諸説あるが、大佑が何となく自分の中でしっくり来る伝説が、この「大天狗は元人間説」なのだ。

 

「て、ことは……。黒須は、烏天狗に誘拐された? って、こと?」


 大天狗の伝説の中で『人間の子供を連れ去り、天狗として育てた』という話がある。それを思い出しながら言えば、金銀の狐は首を横に振る。


『朱陽様は、誘拐ではございませぬ。山の入り口におくるみに包まれて、いたのでございます』

「供えって……え!?」


 金の狐の言葉に、「つまり、生贄という事なのか」と口を開こうとすると、銀の狐が言葉を続けた。


『人間達の間では、天狗様の多くが火の神とされておりますが、時に商売繁盛やら水を呼ぶ神とも言われております。朱陽様が供えられた時は、大旱魃だいかんばつの年でございました。人間達は、天狗様に雨を降らせて欲しい。天狗の太鼓を叩いて欲しいと、願ったのでございます』

「天狗の太鼓って?」

『神々達の祭りの際に、大天狗様が演奏される太鼓の事であると思います。その太鼓の音が、空に響き、雷殿が応えるのでございます。すると、雨が降るので、それを願ったのかと』

『祭り以外では、天狗様は太鼓は演奏されませぬ故、赤子の朱陽様が供えられていた時は、天陽様も酷く困っておられました』

「テンヨウ様……。黒須の親という天狗様か」

『ええ、天陽様は烏天狗様にございます。太鼓の演奏は、大天狗様が行うもので、烏天狗様は行わないのでございます。だからこそ、大変に困っておられました。しかし、そのまま赤子の朱陽様を置き去りにすれば、人間に『役立たず』として殺される可能性もございました。そのため、天陽様がお育てになられたのでございます』

「……天狗様は、優しいんだな……」

『天狗様は畏れられる事も多いですが、我らからすれば、人間の方がよっぽど恐ろしい生き物でございます』

『なにせ、生まれて間も無い赤子を差し出すのですから。こわや、こわや』

「でも……今の時代、生贄なんてないと思うけど……。それは、いつの時代のこと? 黒須って、何歳なの?」


 大佑の問いに、さっきまで饒舌だった狐達が黙る。


 眉毛があれば、きっと八の字に寄せていたであろう狐二匹を眺めながら、大佑も困った様に微笑んだ。そしてその頭の奥では、黒須の笑顔を思い出していた。


 どんな思いを抱えながら、あんなに明るく笑えるのかと。


 黒須の過去があまりに切なく、幼い頃の黒須を思い遣ったのだった。

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