第15話 禁術

 火崇ほだかから放たれた名に、朱陽しゅようの思考は凄まじい勢いで記憶の引き出しを開け始めた。


 火崇がいう【ダイスケ】は、間違いなく百年前に亡くなった【大介】のことだと、何度記憶を辿ろうと、そこへ行きつく。

 何故なら、火崇は現在の世話役である夏川大佑の名を知らない。そして、火崇が知る朱陽と関係がある【ダイスケ】とは、百年前の世話役だった【大介】という男しか居ないのだ。


 火崇が畳の上にどかりと腰を下ろすと、無言で朱陽にも座る様に手で示す。朱陽は、忙しなく瞬きを繰り返しながらも、崩れるようにその場に腰を下ろした。


 どうにか気持ちを落ち着けると、朱陽はゆっくり言葉を紡ぐ。


「本当に……大介で、間違いはないのか?」


 掠れ、思う様に声が出ていない朱陽の言葉を、火崇はさして気にもせず頷く。


「ああ。儂の烏達は賢いからな。儂の記憶を共有されてる。烏達の記憶も然り。儂は、烏達の記憶を覗き見た。着るものが、昔と比べ若干異なってはいたが、間違いない。アレは大介だ。しかも、百年前の姿、そのままのな」


 まさかの言葉に、朱陽は益々、その紅い両の眼を見開いた。


「あ、……あり得ない! 私は大介の最期を看取った! 他人の空似では無いのか?」

「儂も最初はそう思ったさ。だが、お前さん、大介が荼毘だびされる姿は見ていられないと言って、を見ていないだろう」


 その通りだった。

 朱陽は人間の姿で、何度か大介の家族とも会った事があった。亡骸を大介の親の元へ運んだのも、朱陽だ。

 葬儀にも呼ばれたが、朱陽は行けなかった。いや、行かなかったのだ。

 

 朱陽にとって大介は、初めて心から大切だと想った相手であった。


 天狗には、神とはいえ【つがい】を得ることが出来る。

 

 朱陽にとって、大介は【番】の約束を交わした唯一の人間だった。

 

 どんなに最期を看取ったとはいえ、本気で【番】になろうと想った相手との本当の別れを、受け入れられなかったのだ。

 火葬される姿を見たら最後。受け入れるしかない。それが、あの時の朱陽には出来なかった。


 今でこそ。その事実を受け止められたのは、現在の世話役である夏川大佑の存在があるからだ。

 

 大佑は、間違いなく【大介】の生まれ変わりだろうと、朱陽は感じていた。それがどうだ。まさか、死んだはずの男が、百年経った今を生きていると言われ、朱陽が戸惑うのも無理はなかった。


 火崇は一瞬、痛々しそうに朱陽を見たが、すぐに冷静な顔付きで語り始めた。


「似ていたんだよ。いや、似ているなんてもんじゃない。そのものだったんだ。大介にそっくりさんのそいつが纏う、がな」


 どっしりと胡座を組んだ火崇は、その両膝に置いていた両の手を大きく開くと、パンッとひとつ。力強い柏手を打った。

 僅かに空気が揺れ、向かい合って座る火崇と朱陽の目の前の、何も無い空間に、火の粉が舞う。その中に、烏が見たという大介の姿が浮かび上がった。


 上空から見下ろされた街並みの姿は現代の日本であり、道を行き交う人々の姿もまた、現代人の姿。

 その中に、一人。少し肩に掛かる程度に伸びた髪をひとつに縛り、品の良い着物を身に纏った男が歩いている。


 今の時代、着物を着て街を歩く人間は少なく、ただそれだけで、とても目立つ。

 烏の視線が、ふわりふわりと少しずつ男に近づいていく。


 朱陽はゴクリと生唾を飲み込んだ。


 次の瞬間。

 男の顔が空を見上げ、烏を見つめた。が、すぐに逸らされる。


 ほんの一瞬だった。ほんの、一瞬。その瞳に、朱陽が知っている通力を感じ取った。


 言葉を失い、呆然と火の粉の中に映る男を見つめたままの朱陽に、火崇が訊ねる。


「どうだ。似過ぎていないか?」


 遠ざかる男の後ろ姿を黙って見つめる朱陽の顔が、徐々に青白くなる。

 火崇は右手をサッ挙げて、火の粉を払う。もうそこに、街も男の姿も見えてはいない。

 

「……恐らく、儂が思うに化陀かだが【】をさせたのではと思っている」


【黄泉がえり】


 神であろうと禁断の行為であるそれは、身体こそ亡くなった人間のものだが、その中に移す魂は別のモノだ。

 しかも、その行為をおこなうには、多大なる通力が必要だ。


「……だが、化陀は神じゃない」

「ああ、そうだ。だが、神と同じ力を持ち始めていた。それは、お前さんが一番よく知っているだろう。なにせ、その化陀に、この百年。海底に閉じ込められていたのだからなぁ?」


 火崇がニヤリと口角を持ち上げる。が、その目は笑ってなどいない。鋭い視線で朱陽を見据える。


 朱陽は黙ったまま、その視線からそっと顔を逸らした。


 朱陽の視線の先には、庭が見える。

 離れた場所で、金銀の狐の前に座る大佑の姿が見えた。


 その姿を見ながらも、遠い遠い記憶が朱陽の視界を覆っていったのだった。

 

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