第11話 神通力

 広すぎず狭すぎない、程よい広さの庭には、鳥の囀りが聞こえるが、姿は見えない。

 よく晴れた空を見上げれば、水色、金色、桃色に藍色、茜色……様々な色が見て取れるが、その透明度は高く、濁りはない。


 庭には、桜の花が咲いているかと思えば、椿の花や凌霄花に合歓木など、地域も季節も異なる一同に咲くことのない様々な花が、咲き誇っている。


『朱陽様』


 声のする方へ振り向けば、銀狐のシロガネと金狐のコガネが、姿勢正しく座っている。

 その姿は、大佑が見た様な巨大な姿ではなく、小さな狐と変わりない大きさだ。

 普段、コガネもシロガネも、巨大化する事は滅多にない。あるとすれば、大佑が襲われた時の様に戦わなければならない不測の事態。または、大天狗を背に乗せて戦う時だけだ。


 コガネが嬉しそうに、でもどこか泣き出しそうな表情で朱陽を見上げる。


『やっと、帰って来れましたね。に……』


 その言葉に、朱陽は「そうだな」と、小さく頷く。


『不測の事態であったとはいえ、朱陽様が大佑殿と契りを交わされた事に、シロガネは痛く感動……』

「待て待て。何か誤解をしている様だが、交わしてない。交わしてないぞ」


 二匹の狐はポカンと口を開け、「どういうこと?」と声に出さずとも分かる、問い掛ける様な顔で見つめた。

 朱陽はコホンと咳払いを一つすると、もう一度「交わしてない」と、ハッキリと言った。その言葉に、二匹の細い目がパカッと開き『なんと!?』と声を揃える。


『契りを交わさず、どうやって……』

『巳黒達の媚薬を利用したのでは無かったのですか?』


 ゆるゆると左右に首を振り、朱陽は静かに言った。


「大佑の意識が朦朧とした中で、無理に同意を得ようとは思わなかった。そういう事は、やはり心があっての方がいい……。だが、巳黒の毒を体内から出させる必要はあったからな。精を吐き出させた。その間、口付けを続けて、私の力と大佑が元々持つ通力を循環させた」

『循環……。それが出来ると、朱陽様は気が付いていたのですか? 循環させるには、お互いの通力が同じ質で無ければ危険な行為ですよ?』


 どかこ焦った様に言うシロガネに、朱陽は視線を逸らす。


「いや……一か八か、だ」

『何と危険なことを! もし合わなかった場合、世話役様だけで無く、朱陽様とてどうなっていたことか!』

「結果、良かったのだから、そう怒るな……」

『結果的に良くても……!!』とシロガネが声を上げると、それを制す様にコガネが声を張った。

 

『とにかく! 朱陽様の神通力が大幅に戻ったからこそ、この場に戻って来る事が出来たのだ。ここでなら、我らも朱陽様だけに頼らず、力を蓄えられる。ここでなら、いつ巳白や巳黒が動き出すのかも察知できる! 良かったではないか!』


 コガネの声が響く中、本殿の方から気配を感じた朱陽は、サッと手を上げる。


「話の続きはまた後でしよう。大佑が目を覚ます」


 そう言い残し、朱陽は急足で本殿へ入って行った。

 


 

♢♢



 日差しが目に当たり、しばしばと瞬きを繰り返す。その光の具合から、もう日が随分と傾いているように感じた。

 

 大佑は、今自分が何処にいるのか分かるまで、ぼんやりした頭で視線だけを動かし辺りを見回す。


(ここは……?)


 畳の香りが鼻腔を擽ぐる。

 どうやら布団の上に寝ているらしく、ゆっくりと体を起こせば、背中や腰が軋み、顔を顰めながら起き上がる。すると、大佑が起きたのを察知したかの様に、襖がスッと音を立てて開かれた。

 何気なく視線を向け、入り口に立つ人物を見上げたが、光が差し込み、目を細める。逆光ではあったが、誰が立っているのか大佑はすぐに分かった。


 間違え様の無い、圧倒的な美しさは、逆光であっても分かる不思議。そこに現れたのは、黒須陽介であった。


 黒須は僅かに目を見開くと、すぐに畳の上に座り込み、大佑に近寄る。


「大佑! 身体の具合はどうだ? 違和感は? 痛むとか、吐き気とかはないか?」


 大佑の両頬に手を当てがいながら、顔を覗き込む。焦りが滲んだ表情で、黒須が矢継ぎ早に訊ねるその事に、僅かに驚きつつ黙ったまま黒須の様子を見つめた。それを見て、黒須の表情は更に暗くなる。その中には、そこはかとなく怒りが見て取れたが、すぐに泣き出しそうに崩れる。美しい人は、泣き顔すらも絵になるのかと、大佑は、まだぼんやりした頭で、そんな事を思っていた。


「……すまなかった……」

「……え?」

「俺が、もっと注意しておくべき事だったんだ」

「……くろす?」

「なんだ? まだ落ち着かないか?」


 そう言うと、黒須は大佑の上半身を抱きかかえ、口付けをしようとした。

 その行動に驚いた大佑は、霞のかかる脳内がパッと晴れ、脳内で再生された屋上での出来事を思い出した。


 何度も自分から求めたキスと、下半身を自分の手とは違う大きく暖かな黒須のそれで触られ、何度果てたか……。


 大佑は目を剥き出し顔を真っ赤に染め上げると、勢いよく布団の中に潜り込んだ。


「だ、大佑!?」

「ごごごごご、ごめん!!!」


 布団の中で謝罪の言葉を叫ぶ大佑に、黒須は「へ?」と間抜けな声を出した。


 あの時、瞬時に黒須の顔が浮かんだ。

 黒須に助けて欲しいと、何故か全身で感じた。


 そんな時、目の前に黒須が、本物の黒須が現れ、縋った。

 大佑は自分でも何故、黒須が浮かんだのか分からなかった。


 だが、これだけは分かる。

 

 あの時、得体の知れない二人に触られて不快だった身体が、本物の黒須に触られ、浄化される様に不快さが消えていったのだ。もっと触れて欲しい。早く、自分の中の不快感を全て消し去って欲しい。そう思った。

 

「なんか……あの時、黒須が浮かんだんだ……助けてって思った時、黒須が浮かんで……そしたら、お前がいて……ごめん、なんか嫌な事させて……本当、ごめん……」


 弱々しい声。それでも、黒須は何処かホッとした。これだけ話せれば、もう通常の大佑に戻っているだろうと感じて。


「気にするな。俺は大丈夫だから」

「……でも、結構、出して……」


 後半消え掛かった言葉に、黒須はフッと笑うと「すごい出てたな」と声を上げて笑う。


「ちょっ!!」


 布団から顔だけチラッと覗かせた大佑は、もうこれ以上赤くならないのでは、という程、真っ赤に染まっている。


「でも、から良い」

「え……?」

「あ」


 黒須は思わず、という風に口に手を当て、気まずそうに視線を逸らす。


「……あ、甘かったって……なに……? いや、待て。聞くのが怖い!」


 顔だけ出して布団に包まる大佑を見て、思わず黒須はニヤリと笑う。


「……まぁ、手がね、ほら、すごかったから。ちょっと拭くものがなくて、まぁ……ペロッと、ね?」


 ニカッと笑う黒須の言葉に、大佑は声も無く叫び、再び布団の中に潜り混んでしまった。


 障子の隙間に金色に光る目が二つ……。


『朱陽様、をお口にしたのか』

『だから、神通力が大幅に戻ったのか……』

『循環もそうだが、これはもしやもしや……』

『大佑殿、やはり……なぁ、シロガネよ』

『ああ、これは今度こそ、だぞ、コガネよ』


 覗き見していた金銀の狐は、コクリと頷き合ったのだった。

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