第8話 友達

『朱陽様』


 天狗山を降りて暫く歩くと、林の中から呼び止める声が聞こえた。

 黒須は素早く辺りに目を走らせてから、林の中へと入った。

 

「シロガネか。コガネはどうした」

『静岡の大天狗殿の使いが来られて、そちらへ向かいました』

「静岡の?」

『なんでも、の姿を見たという鴉が居るそうで。詳しい話を聞きに』

「そうか」

『朱陽様の方は? 甘い香りがするところ、大佑殿と上手く行っているのですね?』


 シロガネは細い目を益々細め、どこか嬉しそうに顔を上げて、空の匂いを嗅ぐようにクンクンと鼻を動かす。


「ちょっとをさせてもらった。だが、この間、無理矢理やり過ぎたせいか、どうも嫌われてしまったようだ」


 ふぅ、と困った様に眉を落とし息を吐く黒須を見て、シロガネは細い目を僅かに開き『ほぉ』と驚きの声を上げる。


『なんと。あの奥手の朱陽様が、無理矢理に契りを交わされたとは……。コガネにも聞かせてやりたかった』

「待て待て、何を言ってる。ただキスをしただけだ。……は押し当てたが……」

『へ? 接吻だけで、嫌われたって……。どんなねちっこい接吻をされたのです……このムッツリ助兵衛は……。それから朱陽様……』

「……なんだ」

『まさかとは思いますが……。腰を押し付けただけでは、契りは交わせませぬ。我らの言う契りを交わすとは、生まれたての姿で肌と肌を触れ合い、そして己の……」


 シロガネが【契りとは何ぞや】の説明を熱く語り出そうとすると、黒須は顔を顰めて手を振る。


「待て待て。説明せずとも知っている!」

『……本当でございますか?』

「少なくとも。百年前の大介とは、交わした事がある……」


 と、小声で言えば、銀狐は細い目を更に細くし、黙って黒須を見上げる。


「知ってる」と、念を押し言うと、『まったく……』と、呆れたような、軽蔑でもするような、そんな何とも言えない顔をして首を左右に振る銀狐を見て、黒須は不服そうに口を尖らせた。

 

「お前は私を何だと……」と言いかけたが、咳払いをして話を進めた。

 

「だが、キスだけでも、かなり私の力も高まって来ている」

『確かに。接吻だけで、この甘い香りですからね……。朱陽様、これはもしや……。が弱まっていたのも、大佑様の影響が……?』


 シロガネが先程までの表情とは一変。真剣な面持ちで黒須を見上げる。

 

「ああ。今日を含め四度のキスで、私の力も半分近く回復している。これは、大天狗にも勝る力だ。今回の世話役は、百年に一人現れるという【神通力】の持ち主かも知れん。大佑自身が成長した事で、本来の力が現れて来たのだろう」


 黒須の言葉に、シロガネはゆっくりと、そして深く頷いた。


『百年……ちょうど、大介様が居なくなられた年数と同じですな……』

「私が彼奴に、年数でもある」


 黒須の低く唸る様に言った言葉に、シロガネは細い目を鋭く光らせる。

 

『これは……。益々、彼奴を直ぐに倒さねば。大佑殿が彼奴に喰われる前に』

「ああ。分かってる。これだけの力を持った者が現れたという事は、相当な事が起きるのだろう。私が不在であった時の世話役の様な事にさせる気はない。それから、も池の中にある様だったが、今の私では取り出せぬ。大佑に池を掃除をする様に伝えてはみたが……」

『朱陽様をたった四度の接吻で、ここまで回復なさったのです。大佑様なら、池の中に入っても彼奴の魔素に毒されはしない様に感じます』


 シロガネの言葉に、今度は黒須が「ああ」と、相槌を打つ。

 

「私もそう思っている。だが、それよりも。奴が今度は何をしようとしているのか。そして、奴に大佑が見つかる前に、我らが奴を見つけねば。シロガネ。暫く、大佑の警護を頼む」

『朱陽様、どちらか行かれるのですか?』

「南足柄の天狗殿に会いに行って来る。すぐ戻る」

『わかりました。くれぐれもお気を付けて。あのお方は、朱陽様の事が大好きですから……』

「分かってる。大佑を頼んだぞ。だが、何か不測の事態になれば、すぐに呼べ」

『御意』


 シロガネが首を垂れると、黒須は何処からともなく扇子を現し一振し、本来の自分の姿に戻った。再び扇子を一振りして天高く舞い上がり、その姿はあっという間に見えなくなった。


『さて……。大佑殿のお守りをするとなると、人の姿にならねばなるまいな……。朱陽様のような陽キャを演じ切れるだろうか……ふむ。とりあえず、久々の変化。上手くやらねば……』


 しばらくすると、林の奥からポンと空気が抜ける様な音が響き、黒髪の青年が一人、そっと現れたのだった。


 

♢♢

 

 

 友達は居るには居る。が、多くはない。

 それでも、大佑にはやりたい事、やらなくてはいけない事が多く、時間もないため、友達が居なくてもさして気にしてはいなかった。

 顔へのコンプレックスもあり、分厚い前髪で顔半分が見えないせいか、高校では陰で『オタク君』やら『ネクラ』やら言われているが、可愛いと言われるよりマシだと思っていた。

 そんな『オタク君』にも、毎日、話す相手は居る。


「おはよ、夏川」

「おはよう、浅羽。今日は清宮と一緒じゃないのか?」


 大佑は斜め前の席に座った浅羽駿あさば しゅんを見遣った。

 全体的に少し色素の薄い男で、見た目は大佑と張り合う女顔だ。が、いつも一緒に行動をしている大男の清宮春人きよみや はるとがいる事で、変な生徒に絡まれる事がほぼない。二人は幼馴染で、幼稚園からずっと一緒なんだとか。そんなボディガード代わりともいえる清宮がいない事に、大佑は不思議そうに訊ねた。

 

「うん。晴人、今日から一週間だけ、柔道部の指導に駆り出されたんだよ。そろそろ大会だからね。三年も最後だし、気合い入ってて。断りきれなくて、朝練と放課後に顔を出すって」

「そうなんだ。大変だな、清宮も」

「まぁ、本当なら晴人だってスポーツ科にいてもおかしくないのに、僕に合わせて普通科に入ったから。そんな事より、夏川こそ一人なんて珍しいじゃない」


 どこか揶揄うような笑みを浮かべた浅羽が、小首を傾げて言う。何を言わんとしているのか分かっている大佑は、あからさまに口角を下げてみせた。


「別に、アイツが勝手に一緒にいるだけ」

「ふぅん? そう言えば黒須くん、この間、一年に呼び出されてたみたいだよ? 転校してきてからこっち、随分とモテてるね、彼」


 大佑を揺さぶっているのか、何かを試しているのか、浅羽はニヤニヤしながら頬杖をつく。大佑は、つとめて冷静な様子で読みかけの本を開いた。

 

「あっそ。俺には関係ないことだよ」

「ふふ。そう? あ、噂をすれば……黒須くん、おはよう」


 その言葉に、大佑の心臓が大きく跳ねた。急に今朝のことを思い出して。

 浅羽が挨拶をする方向から、ゆっくりと隣に近寄ってくる気配を感じつつ、大佑は本に視線を向けていた。


「おはよう、浅羽。も、おはよう」


 大佑は顔を上げずに「おはよ」と小さく応えたが、隣に立つ黒須が一向に自席に着かない事が気になり、ついに顔を上げた。瞬間、息を止めた。


「やっと顔を見てくれた」


 そう言った黒須の顔を、大佑はギョッとした顔で見つめたまま、固まる。


「どうした? 夏川。そんなに俺の美しさに見惚れてしまったのか?」


 妖艶に笑う黒須に、大佑はゴクリと喉を動かし唾を飲み込むと、必死に平静を装った。


「どうしたの、夏川」と、浅羽の声に大佑は慌ててガタリと乱暴に席を立ち上がると、黒須の手首を掴んだ。


「ちょっと来い」

「なんだ、どうしたというのだ?」

「黙れ。一緒に来い」


 黒須は、大佑に手首を掴まれながらも、のんびりとした足取りで着いていく。


「遅くなってもいいよぉ。先生には、具合悪くて保健室行ったって言っておくから」


 浅羽の揶揄う声を背中に受けながら、大佑は黒須の手首を掴んだまま屋上へと向かった。指先からチリチリと焼けるような痛みが走るが、大佑はそのまま黒須の手首を掴んでいた。

 屋上は、一応立ち入り禁止になっているが、鍵が壊れているためコツを掴めば簡単に開ける事が出来る。

 大佑は屋上のドアを開けると、誰もいない事を確認して黒須から手を離した。


「どうした? 愛の告白なら、喜んで受け入れよう」


 笑いながら言う黒須は、恐らく誰が見てもいつもと変わらない黒須に見えるだろう。だが、大佑の目は誤魔化せない。


「お前、何者だ? 黒須じゃないだろ。はどこだ」


 そういうと、大佑は素早く祓札を取り出した。

 

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