第5話 神社の朝

 今から一ヶ月前のことだ。


 突然、唐突に、ひょっこりと、黒須陽介が天狗山を訪れたのだ。


 毎朝五時半。

 大佑は天狗山にある神社へと向かう。手には天狗様が好物だという日本酒の小瓶と、塩むすびと漬物が入った包みを抱えて。

 歩くこと三十分程で頂上へ辿り着く。


 まずは猫の額ほどの狭さの境内を掃除する。そして本殿の鍵を開けて床の水拭きをする。本殿の中には、更に小さな祠があるのだが【そこは開けてはならない】とされていた。世話係とはいえ、若くから一人でここへ通い、誰も居ない空間。好奇心旺盛な者も居ただろう。代々の世話係には、禁忌を犯す者がいたという。

 なぜ、その約束事を破った世話係が居たと分かるか。それは、簡単なこと。山から降りてこないことで、天狗様の怒りを買い喰われたのだろうと言われている。

 実際、世話係は何処を探しても、捜索願いを出しても、誰一人、骨すら見つかってはいない。

 何より、世話係が消えると、世話係以外の人間が通れないはずの鳥居を、夏川家の人間達が通れる様になるのだ。

 そして次の世話係が決まるまで、代理の人間が掃除を行うのだが、本殿の中へ入る事は出来なかった。

 不思議と、足が進まなくなるのだ。


 ここから先は、選ばれし者のみ。


 そう言わんばかりに。


 大佑が生まれてすぐ、この境内にある小さな池にその身を浸され、世話係の証となる痣が胸に浮かび上がった。

 男児であれば、誰もが浮かぶわけでは無い。長いこと男児が生まれない時代もあれば、生まれても選ばれる事なく世話係が現れない時代もあったという。

 

 大佑が選ばれる前は、五十年間、世話係が不在だった。その不在の間、天災地変の出来事が起きるかと言ったら、そうでは無い。寧ろ、その逆だ。世話係が現れた方が、何かしらの災が起きる前触れであった。

 

 夏川家には、先祖代々の世話係が書いた日記がある。表向きに伝わる文献もあるが、それはあくまでも『表向き』だ。


 本当の事は【世話係】のみに共有された日記にしか、書かれていない。そして、その日記は本殿に保管されていた。その日記の存在に気が付いたのは、大佑が中学生の頃にハタキで高い場所を掃除中に、偶然開いてしまった天井に隠されるようにあった。

 

 その日記を読み進めるうちに、何かしらの災いが起きるのは、世話係が成人を迎える前後であると、気が付いた。


 災害の規模は異なるが、必ず何かしらの災害が日本国内に起きるのだ。


 その時、世話係に変化が現れる。


 一気に歳を取るというのだ。


 その歳の取り方は、災害の規模に合わせるように様々だ。

 さほど老けない者もいれば、白髪に骨と皮の状態になり寝たきりになる者、下山して、そのまま息絶える者もいたという。

 夏川家の文献には、その様な事は書かれていない。なら、何故、この代々の世話係が、自分と時代も年代も交わる事の無かった世話係の最期を知っていたのか。


 それについては、一人の世話係の日記にヒントが書かれていた。

 そこには、天狗様の眷属という存在が書かれていた。その眷属が、何の生き物かは書かれていなかったが、その眷属は世話係に「前の世話係はどうだった、その前はどうだった」などと、こちらが聞かなくとも、ペラペラと話して聞かせたのだと。そして。


『お前は、どんな風に最期を迎えるのだろうなぁ?』


 と、ニタリと笑ったのだと。


 それを読んだ時、大佑はゾワリと悪寒が走った。

 まるで、すぐ隣でその使い魔が大佑の耳元で言ったかのように、ゾワリとしたのだ。そして、その日記を再び天井裏へ隠した。

 

 【世話係】


 日記には、ハッキリと書かれていない。が。


 世話係の本当の役目は【贄】であるのだ。

 と、成長した大佑は、そう理解した。


 それからというもの、大佑は自分には成人以降の未来が無いことを、ひっそりと涙した。

 だが、悲観して泣いたところで、未来は変わらない。怒りこそ湧き上がりはしなかった。何故なら怒ったところで、怒る相手が神であり【その時】が来るまで会えないのだ。人間、そう何年も怒り続けることは出来るものでは無い。だが、怒りとは別に、妙にやる気が出はじめたのだ。

 成人までの命。それが決まっているのならば、それまでの間に、自分がやりたい事、好きなことを、我慢せずに、思い付く限りやり尽くそうと思った。


 親には自分が【贄】であるのだ、なんぞ言えはしなかった。親は、夏川家に伝わる文献での出来事しか知らない。その文献には、世話役達が何歳で亡くなっているとか、世話役が現れると天災が起こるとか。そんな事は、何一つ書いてはいない。しかし、今まで誰も不可解に思わなかったのかと、大佑は考えたが、きっと神のなさるとこだ。人間の記憶など、造作なく改竄する事くらい出来るであろうと思い直した。


 大佑は、鞄の中から一冊の分厚いノートを取り出した。十年ダイアリーだ。これには十五歳から、自分が生きていた証を綴っている。

 今日何をしよう、昨日は何をした、明日は何をしよう、何が食べてみたい、あれが美味しかった。そんな、他愛ない事ばかりだ。それを本殿で書く事に意味があると、大佑は思っている。どこかで身を隠し神が覗き見ているかも知れないのだ。ならば、自分は悲観などしていない。生きる事を謳歌してると見せしめてやると、大佑は考え実行した。


 天井の日記を見つけて以来、自分でも書き始めたノートは、最初は一年に一冊ずつノートを買っていた。だが、書店で五年ダイアリー見かけてそれを買おうとしたが、それでは自分が死ぬ事を前提としてキリのいい五年を選ぶようで嫌だと感じ、手に取るのをやめた。が、その隣に十年ダイアリーがある事に気が付き、それを手に取った。十五歳から二十五歳まで。このダイアリーに書けるだろう年齢は、恐らく十九歳までだ。書き終える事は出来ないだろう。そう分かっていても、運命に抗うかのように、大佑はそれを選んだ。


 指定された日付の箇所を開き、天気を書く。

 上段には十五と十六の自分が書いた日記を読むことが出来る。

 天狗山の何処どこに、何の花が咲いていたとか。今朝は鴉が朝から賑やかだったとか。そんな他愛ないことから、今日の予定や明日の楽しみを書き綴る。悲観的な内容は、書かない様にしている。それは、過去の自分がまたこのページを開き、読んだ時に、また同じように嫌な気持ちや、悲しい気持ちにならないように。


 いつもと変わらない朝。

 その中での小さな小さな変化を見過ごさず、書き綴る。


 そんな風に、いつものように本殿の縁側で日記を書いて最中だった。


「この池は、随分と汚れているな」


 その声に、大佑は勢いよく顔を上げた。声無く驚愕している大佑をよそに、声の主は言葉を続ける。


「なぁ、大佑。神社の池は、神々にとって大事な場所だ。池が綺麗であれば、多くの食物連鎖が起きる。命が宿り、その活力に満ちた池の水は、神々の力の源にもなる。喉を潤し力をつけ、穢れた身を清められる」

「……くろ、す……。お前、どうやって、ここに……」


 掠れる声をどうにか絞り出す。囁き声にしかならないそれに、黒須はゆっくり振り向き微笑んだ。


「おはよう、大佑」


 ニカッと綺麗な歯並びを見せながら笑う黒須を、大佑はただただ、驚いて見つめるばかりであった。

 

 

 

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