第4話 天狗様の世話係


 あれから二ヶ月後---

 

 二〇××年 六月

 

 朝七時半過ぎ。

 部活動をしている生徒なら、この時間に学校へ来ていてもおかしくない時間だが、部活に入っていない生徒が来るには、少々早すぎる時間だ。


 この高校は、普通学科の他にスポーツ学科と外国語に特化した国際学科、そして最近出来たばかりで、高校では珍しい製菓学科がある男子高校だ。

 

 夏川大佑がこの高校へ通いたいと思った理由は、この特殊な学科が理由だった。

 普通学科の生徒でも、国際学科の特別授業を受ける事が出来たり、パティシエの資格や国家資格となるものは取れないが、製菓に関するアドバイザーなどの資格が取れる授業があり、なかなか面白そうだと感じたのだ。

 そして何より、大佑は甘い物が好きであった。とりわけ、チョコレートには目がない。普通学科の生徒であっても、ある一定の授業を受け試験を受けさえすれば、チョコレートマイスターの資格を取得出来ると知った時、俄然、この高校に入りたいと、やる気に満ちた。

 最初は、製菓学科へ入学を希望していたが、親の反対もあり普通学科へ進路変更をした。それでも、普通学科でも取れる資格もあるし、自分が希望する高校へ行けるだけでも、じゅうぶんだと、大佑は自分に言い聞かせ、納得をし普通学科の受験をしたのだった。


 

 普通学科がある東棟の三年F組の教室に、大佑がゆったりした動作で入り込む。気怠そうに自席の椅子を引くと、重たい鞄を肩から下ろし、ゆっくり机の上に置き、椅子に座った。

 大佑は誰も来ていない朝の教室が好きだった。

 誰も居ない教室は、どこか特別な気になる。朝日が教室に入り込み、埃をキラキラ見せる様は、けっして教室の空気が綺麗だとは言えない様子を見せつけているはずなのに、何故か「綺麗だ」と思うから不思議だ。

 しばらく、その輝きをぼんやりと見つめた後、窓を開けた。初夏とはいえ、朝一の空気は若干ひんやりとしており、むしろ心地よいとさえ感じる。

 そのひんやりとした空気を、大佑はすっと鼻から息を吸い込む。この時間が、何よりも気に入ってる彼は、無意識に口角を上げて微笑んだ。


 束の間、とはよく言ったものだ。


 大佑が一人の時間を楽しみだした途端、ガラリと教室の扉が開けられた。


「よぉ! 大佑。今日もお前に勝てなかったなぁ」


 その声を背中に受けながら、小さく舌打ちをする。


「今日さぁ、朝から鴉が俺の弁当狙いやがってよぉ。ホント、参ったぜ。なぁ、聞いてる? 大佑」


 呼び掛けに、大佑はこっそり息を吐いて振り返る。

 大佑の目の前には、背の高い男が笑みを浮かべ立っていた。


 彼の名前は黒須陽介。


 彼は一風変わった生徒であった。

 高校で、しかも三年になって転校して来る奴などいない。だが、彼はこの春から転校生として、大佑のクラスへやって来た。

 しかし、転校早々に遅刻をし、悪びれもせず教室に入って来た黒須は、転校生というだけでも目立つのに、転校初日に遅刻した事で、さらに目立った存在となった。そもそも、朝の電車が同じで、一緒に登校したにも関わらず、だ。嫌々ながら職員室の場所を案内した大佑は、黒須が遅刻した理由が何だったのかと聞こうとしたが、関わりたく無い気持ちが先立ち、聞く事はなかった。しかし、彼が目立つ理由はそんな事だけじゃない。


 校則には髪を伸ばしてはいけないと書いてはいないものの、背中まである長い髪。鴉の様に真っ黒で艶のある髪を一本に纏め、眼鏡をかけていても眉目秀麗な男だと分かる。

 男子ばかりのこの学校では、珍しくむさ苦しさを感じない色気のある容姿に、女に飢えて脳が勘違いバグを起こした輩どもが、彼を狙って来るほどだ。

 だが、彼はパッと見た目は細いが、意外と筋肉質で腕っぷしは強く、襲われても返り討ちにし、自分の身は自分で守っている。


 そんな彼には、ひとつ秘密がある。

 眼鏡の奥にある、その瞳だ。

 本人曰く、眼鏡には細工がしてあるらしく、他の生徒には黒い瞳に見える様になっている。が、実際はワインレッドの様な深い紅色だ。

 大佑が陽介の瞳が紅だと知っているのは、大佑のちょっと変わった【能力】ともいえよう。

 

 大佑には、普通の人間には見えるのだ。

 


 夏川の家は、代々天狗山の管理を行っている。


 嘘か真か、夏川家の文献には、大昔の先祖が天狗様と契約を交わしたのだと書かれている。そこには、天狗山に住まう【天狗様の世話】をする事。その世話をする者は、必ず男であること。その者は、誰でも良いという訳ではない。何十年か一度。天狗様に選ばれた者のみが、世話を行うのだ。

 

 どの様に選ばれるのか。


 それは、天狗山の山中深くにある神社内に小さな池がある。その池に、生まれたての男児をひたす。すると、選ばれた男児の胸に、赤いヤツデの模様が浮かび上がるのだ。

 そのヤツデ模様が浮かび上がった男児は、天狗様の世話をする為の対価として、加護が与えられる。

 病気知らず、怪我知らず。運動神経抜群で、万が一怪我をしても、再生能力は人間とは思えない早さで治る。それはまるで、不死身の身体を手に入れたかのように。

 

 夏川大佑は、その【天狗様の世話係】なのだ。


 だが、世話係といっても、実際に天狗様に会って何かをするわけではない。

 そもそも、天狗様は空想の中の神であり、実在しているわけではない。

 世話というのは、天狗山にある神社の管理だ。

 この神社には、神職者など居ない。管理を行う夏川家の人間が宗教学校へ行くわけでもなく、信仰が深い訳でもない夏川家が、何故か先祖代々ずっと管理をしているのだ。


 そして、この山奥に神社があると知る者も、今では夏川家の人間意外、誰も居ない。

 人が寄り付かない理由は、誰もここに事もあるが、何より。


 天狗様の世話係が決まると、不思議なことに世話係しか近寄れなくなるのだ。夏川家の人間ですら、天狗山の神社へ辿り着けなくなる。


 だからこそ、この神社に大佑以外の誰かが来る事など、あり得なかった。


 そう。あり得なかったのだ。


 黒須陽介が、現れるまでは。

 


 

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