第2話 人か妖、何者か


 電車のドアに寄り掛かり、一人の少年が眠そうな瞼をかろうじてあけ、彗星の様に次々と流れていく車窓の風景を、ぼんやりと眺めていた。

 

 高校まで電車で一時間。

 スポーツ学科と国際学科は全寮制だが、普通学科と製菓学科だけは通学だ。が、希望すれば寮に入る事はできる。一時間も掛けて通うなら寮に入るか地元の近い高校へ行けば良いと親に言われたが、学校見学で「ここへ行きたい」と思えたからという理由で親を説得。そして「をしなくてはいけないから」という理由から、少年は通学を選んだ。

 普通学科に行くなら、一時間も掛けて通う理由があるのか、天狗様のお世話を考えたら、地元の公立高校で良いだろうなどと親にはブツクサと言われたが、少年の耳には雑音として右から左へ流れていった。


 彼は、満員電車になるより一本早い電車に乗る。満員電車に乗るのが嫌なのもあるが、ドア付近に立って、車窓から見る田舎風景から徐々に家が増え、一気に近代的なビルが立ち並んで行く様子を見るのが好きだった。



 四月。

 ホームには少年と、数名のサラリーマンが立って電車を待っていた。ホームに入って来た電車は満員ではないが、空いている席は疎らだ。彼は座ることなくドアの前に立つ。

 地元の駅以降は、下車する駅まで反対側しか開かない事を知っているからこそ、そこに立ち、ドアが閉まると身体を押し付けて寄り掛かる。

 この電車に乗って高校へ通うのも、もう残り一年なのかと思うと、彼はそれも感慨深いものだなと思いながら、車窓から流れていく風景を眺めていた。

 

 いくつかの駅を過ぎ、車内もそこそこ混み合って来た頃、彼の前に同じ高校の制服を着た背の高い男が立った。普段の彼なら、周りが気になることは無かったが、ふとその男子生徒に視線を向けた。すると、その男子生徒も彼を見下ろしていた。

 彼自身も決して背が低いわけではないが、目の前の男は随分と長身で、それ以上にその美しい顔に、若干目を見張った。


(うちの高校に、こんな奴いたか? 通いってことは、普通学科か製菓学科? いや、でも見た事ないな……。国際学科だろうか。それか新入生か?)


 そんなことを思いつつも、ふとある事に気が付いた。


 朝日を浴びて、瞳の色が透けて見えた。


「紅い……」

「……え?」


 思わず声に出してしまった彼は口元を抑え「いや、すみません……」と謝ってすぐに視線を逸らした。それ以上、目の前の男子生徒からも何か話しかけられる事もなかった。


 学校のある最寄駅に到着すると、二人は黙って下車し、改札口へと向かう。

 当然だが、数歩遅れて男子生徒も着いてくる。


 通学路は、まだ他の生徒は歩いていない。

 誰もいない通学路を、彼の数歩後ろから、もう一つの足音が聞こえてくるのは、何ともどこか居心地の悪さを感じていた。

  

 学校まで、残り半分程の距離までの所で、背後から声が掛けられた。


「なぁ、あんたさぁ。おい、無視すんなよ、あんたの事だよ」


 少年が足を止めて振り向くと、相手も足を止め少年を睨み付ける様に見ている。


「なに」

「さっき、電車ん中で、っつたよな?」


 その言葉に、少年はどこか気まずくなり、視線を逸らす。

 

「何を見て、そう言った?」

「……いや、何も。きみの空耳じゃないかな」

「んなワケねぇだろ。俺の顔、バッチリ見ながら言ってたじゃん」

「……」

「なんで分かった?」

「え……?」

「なんで、紅って分かった?」


 男子生徒の眼力が強まる。


 怖い。


 そう見えるのに、美しさが一番にあり、何故か苛立ちとも取れる感情を滲ませた表情は、どこかで見た事がある様な、そんな怖さと懐かしさが入り混じる不思議な感覚になる。


「……本来なら、には見えない筈だ。だが、あんたは見えた」


 その言葉に、少年の心臓は大きく跳ねた。

 誰にも知られる事のなかった自分の秘密を、たった一言の色の名前を言っただけで。

 少年はどこか観念して、口を開いた。


「お前こそ……。紅い瞳なんて、人間じゃないだろ。何者だ。妖の類なら、今すぐに消さないとな」


 少年がブレザーの内ポケットに手を差し込むと、瞬く間に男子生徒が彼の前のに立ち、その手首を掴んだ。


「残念ながら、俺にはは通用しないぜ?」

 

 手首をやけに強く握られ、少年は顔を顰める。

 内ポケットには祓札が入っていた。天狗様の世話役をするに当たり、色々な御札を作る様になった。そのうちの一つに、祓札があった。祓札は、世話役にはなのだ。だが、その祓札が相手にバレた事に、少年はこの男が人間ではないと確信し、ならばと、自分の能力を隠す事もやめた。


「俺は、人よりがあるだけだ」

「……なるほど。その言葉だけ聞くと、厨二チックだが」と、男子生徒が吹き出しながら言う。


「まぁ、実際、その通りの様だから。その言葉、信じる。それで? あんた、名前は?」


 えらく気軽に訊いてくるその表情には、つい今しがたまで見せていた怒りにも似た苛立ちは、そこにはもう無い。


「何者かを問うなら、まずは自分から名乗ったらどうだ」


 少年は、精一杯の警戒心を剥き出しにして睨み見上げる。男子生徒は一瞬、キョトンとした表情を見せたが、すぐに笑う。


「ははっ! 確かに」と、少年の手首を離し、眼鏡を外すと、その瞳に太陽の光が差し込み、紅が鮮やかな光を放った。


「俺は黒須陽介くろす ようすけだ」

「人間か?」

「質問より先に、俺が名乗ってんだから、あんたも名乗れよ」

「……夏川大佑なつかわ だいすけだ……」


 大佑が名乗ると、黒須と名乗った男子生徒は「だいすけ……」と呟き、ほんの僅か、それも一瞬だけ、泣きそうに眉を寄せた。が、すぐにその顔は幻だったのか、あっという間に消え、今度はニヤリと悪戯っ子の表情を見せる。


「……だいすけ。だいすけ……はぁ〜ん。なるほどねぇ」


 何度も名前を繰り返し、わざとらしく何かを考えるように眉間に皺を寄せる黒須を、怪訝さを隠さず「な、なんだよ」と睨み付ければ、黒須は何か思い付いたかのかに、ニヤリと笑みを浮かべた。


「あんた、結構、スケベだろ」

「はぁ!?」


 何の脈絡もない、突然の失礼な物言いに大佑は素っ頓狂な声を上げる。

 あまりの衝撃に、怒る事も何も無く目を見開き相手を見上げると、黒須は笑った。


「だから、、あんな貪ってきたんだなぁ」


 何か独り言を呟き、一人で納得したように頷いている黒須に、その言葉が聞こえていなかった大佑は「な、何を根拠に!」と、抗議の声を上げた。

 

「いやいや、まぁ、なんだ。さっきも言ったけど、俺は陽介って名前でさ。あんたは、だいすけって名前」

「……それが何だ」

「俺は【陽気なスケベ】だけど、あんたは【大のスケベ】って意味だ」

「なっ……!! は、はぁ!? い、いっとくがなぁ! そのスケと意味が違うからな! 俺の名前は大きいに、たすくって書くんだ! 佑は、助けるって意味で、決してそんな意味じゃない!」

「それをいうなら、俺の介だって、元は助けるという意味があるぞ? そして、その助けるという漢字は、助兵衛の助けでもある。な? 全く関係ない訳じゃあない」


 何が面白いのか、黒須は一人で大笑いしている。大佑は、そんな黒須を怪訝な顔で見ながら、そろりそろりと後退り、距離を取ろうとした。

 人に名を名乗って、しかも初対面で、こんな失礼な喩えをされたのは生まれて初めての事だ。

 大佑は心の中で憤慨しつつ、こいつはヤバイ奴だから、関わるのはやめておいた方が良いと判断した。

 少しずつ距離を取る大佑に気が付き、黒須が再び大佑の手首を掴んだ。


「待て待て待て。話は終わってない」

「俺は終わっている」

「俺が終わってない」

「陽気なスケベと話す事はない」

「大のスケベの方がたち悪いだろ」

「タチが悪いとはなんだ! だいたい俺はスケベじゃない!」

「男はみんな、スケベな生き物よ?」


 クツクツと笑いながらも、掴むその手は緩まない。


 大佑は、意地悪く笑う黒須を睨み付けつつ、その紅い瞳を見た。どこかで見た事がある。だが、それがどこだったのか。何も思い出せず、思考に靄がかかっている様で気持ち悪さを感じた。


 それが、大佑にとって黒須との最悪な出会いであった。


 だが、何だかんだ言いつつ、大佑は面倒見が良い性格で、学校までの道のりが同じこともあり、仕方なく一緒に登校をした。そして、親切にも昇降口や職員室の場所まで教えて、自分の教室へと向かったのだった。



♢♢



 東棟 普通学科・屋上


 黒須は大佑に職員室の場所を聞き、別れてから、誰も居ない屋上に一人来ていた。


「コガネ、シロガネ」


 唱えるような声を出せば、何処からともなく金色と銀色の毛並みの狐が二匹現れた。

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