天狗様の世話係 〜世話係って何って思っていたら、どうやら贄でした。オレ、近々食べられてしまうようです〜
藤原 清蓮
第1話 夢か現か幻か
三月。
朝五時半。
薄明るい空の下、一人の少年が山の中へ向かっていた。山といっても、そこまで標高があるわけでは無い。子供の足でも、一時間もせず頂上へ行けるほどの高さだ。山の麓から暫く歩くと、ボロくはなっているが、コンクリートで作られた階段がある。そして、白い鳥居も。
少年は鳥居の前で一礼し、足を踏み入れた。
鳥居を潜ると、空気が変わる。そんな風に少年は思っていた。だが、それをとても気に入っていた。澄んだ空気は脳の奥まで染み渡り、樹影は影絵の様だと、それが美しくさえ思った。
少年は、ふと初めてこの階段を上った日の事を思い出した。
彼がこの山へ通う様になりだしたのは、物心ついてからだ。両親を含めた親戚一同が見守る中、一人でこの階段を上るように言われた。
昼だというのに日差しが僅かしか入らず、鬱蒼とした木々がザワザワとざわめき、怖くて泣いた記憶がある。だが、誰もついて来てくれもせず、行けというだけ。幼少期の彼は、泣きながら必死に階段を上った。
頂上に到達すると、そこには小さな神社があった。
階段は寂れていたというのに、神社は建てられたばかりかの様にとても美しい。柱や梁には花や架空の生き物の彫物がされており、可愛らしいとさえ思った。
幼少の彼は、神社の前で手を合わせ、親に教えられて何度も練習した文言を口にした。
すると、彼の周りを温かな空気が包み込み、左胸にある痣がチリリと熱くなった気がした。
彼は自分の服の襟元を緩め、胸を見る。赤い楓の葉の様な痣が、ほんのりと煌めいている様に見え、その様を静かにじっと見つめた。
♢
懐かしい思い出と共に、胸にチリっと痛みを感じ、少年は階段を上る足を止め、服の上から左胸にある痣に手を当てる。ほんのり熱を持っている気がして、少年は小首を傾げた。
毎日、晴れの日だけでなく、曇りの日も雨の日も雪の日も嵐の様な日でも。毎日、この階段を上る。
だが、この痣が熱を持ったのは、幼少期に初めて神社の前でご挨拶をした、あの日だけだ。
この熱が何を意味するか。
少年は、再び階段を上った。上りきったその目に映ったいつもと違う光景に、少年は声もなく驚きの表情でそれを見た。
この山に登れるのは、この少年だけだ。
誰が登ろうとしても、決して辿り着く事は出来ない。この神社に近寄れるのは、左胸に痣を持つ少年、ただ一人。
「あんた、誰だ」
かろうじて出た声が、神社の前に立つ何者かに当たる。
ゆっくりした動作で振り向くその人物は、襟口、袖口、裾に見事な金の刺繍が施された白装束を身に纏い、烏帽子をかぶっている。一本足の下駄を履き、その手にはヤツデの扇子を持っていた。
随分と背の高いその人物が振り向いた瞬間、少年は息を飲んだ。その人物の容貌は、目を見張るものがあったのだ。
「……やっと会えた」
その声は、少年に聞こえていなかった。
それよりも少年は、目の前の不審者の容姿の美しさに一瞬息を飲み込んだが、それでも問いたださなければという気持ちが強く、声を掛けようと口を動かす。が、思う様に声が出てこない。焦りから、少年は喉に手を当て、声を出そうとすると。
「無理をするな。無理に声をだそうとすれば、声帯が潰れる」
その声は、耳に聞こえるのではなく、脳内に響く声だった。だが、それは不快なものではなく、
「安心しろ。私はお前を助けに来たのだ」
(助ける? 何の話だ)
と、言いたいが、声が出ない。
「大丈夫だ。私が本物の***だ」
本物の、とは。どういう事だ。
「ひとまず、今日の事は忘れろ。いいな?」
一歩ずつ近寄る人物に、少年は後退ろうとしたが、足が動かない。
ついに少年の目の前に立った人物を見上げ、生唾を飲み込む。彼の瞳が紅く光る。それはまるで宝石のルビーだ。その美しさに、思わず瞬きも忘れて見入ってしまう。その美が、ゆっくりと近寄る。
何が起きているのか、何も考えられない。
ただ、少年は、自分の唇に冷たくも柔らかな感触が触れた事に、ひたすら驚きつつも目を瞑った。
もっと欲しくなる、そのひんやりとした甘美な口付けを、思わず追い求めて。
♢♢♢
次に目を開けた時には、自室のベッドの上だった。
少年はベッドサイドにある目覚まし時計に目をやる。
起きる時間の十分前だ。
「夢? にしては……」
妙にリアルな唇の感触。自分の指先で、自分の唇に触れる。
「え? 俺、ファーストキス、まだ失ってないよね? あれ、夢よね? しかも、相手が男とか! やだよぉ!」
枕に顔を埋め叫ぶ。
キスの相手の顔を思い出そうとしても、思い出せない。ただ、やたらと綺麗な男だった事だけは、覚えている。
何とも不思議な夢に、少年は考えることをやめ「あと十分」と呟きながら、再びベッドの中へ潜り込んだのだった。
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