第6話

 駅前の駐輪場においてきた自転車にはもう少し待っていてもらうことにして、僕たちは電車で揺られて30分ほど、まだ空模様は春だというのに空調の効いた車内は十分に冷えていた。 

 駅を降りると、徒歩で10分程度の道のりを越して、ようやく例の場所へとたどり着いた。

 カキーンと宙に浮かぶ硬球が思い浮かばれる音が僕の耳許に届いた。

 グラウンドを駆ける球児の。いや、あの中からプロ野球選手が出るかも知れないんだ。敬意を払って選手たちを一瞥して彼女は前へと向き直った。

「嫌そうだな」

「いやよ。こんなところ誰かに見られたら恥ずかしくて、見えるものなら自分の顔に目も当てられないわ」

 大層な言いぶりをしてくれる。彼女は他人をなじる気質なのか。それともそういった天性の持ち主なのかはさておいて、言葉一つとっても致命的なダメージを入れてくる。

「なら、少し離れた距離であるか」

「いいわよ。別にこんな休日に部活以外で来るような生徒はうちにはいないでしょうから」

「それもそうだな」と同意を示す。

 学校では文武両道なる典型的ものを掲げているが、実際は文武両道などできるのはいるのかと甚だ疑問に思いつつ誰かはそういった理想を現実にしているのだろうと思ったりもする。しかしながら、そうはいっても野球部員に敬意を―――などと言ったが、大会で大勝を取ったといったことは聞いたこともない。言葉には出さず所詮は現状が伴わない。さもそうでありたいと願望のように掲げているにすぎない。

 それに学業面においても以前、気になって覗いてみた自習スペースなるものは使っている生徒がいるのか思えるほどに伽藍堂である。そんなスペースを設けるならば図書室をもう少し幅広く使わせろと署名運動でも起こしてやろうか。

「で、つても当たりもないというのにここまでやってきた理由だけど、どうするの」と彼女は校庭で走らされている野球部員を遠目で眺めている。

 懸命であることは美徳なのかも知れないが、熱中のさなかで走っているのを見るというのはなんとも暑苦しいものだろうか。こっちは走っているわけでもないのに暑さが伝播してきているようにも感じる。

「『うちのところの生徒に突撃インタビュー!!』と突っ込めばいいだろう」

 彼女は僕の軽いノリでいったテレビの特番のような感じに辟易したように落ち着いた目をこちらに向けている。

 そんな顔をされてしまってはせっかくの機嫌が台無しだ。

「まぁ、そんな具合です」となんとか体裁を保とうと補足を付け足す。

「そうね。突撃どうこうは別として、聞き込みに虎穴に入るしかなさそうね」

「コケツ・・・小尻(こけつ)・・・?」と思い悩んでいると横で彼女が呆れざまに口を開いた。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・よ」と彼女の注釈つきで僕はようやくさっきの言葉の意図を理解した。

「面目ない」と小声でつぶやくが、彼女はさきにすたすたとグラウンド中央へと突き進んでいく。

 もしかして今の僕は完全に充てにされていないのかも知れない。


 時間的には喫茶店を出たのが正午頃。となると、今は一時そこらになる。―――野球部はグラウンドの隅に固まって昼食タイムだ。

 木陰に一塊になってわずかに吹いている冷涼たる風にあたっている。

 そんな部員たちはこちらを変な様子で見てくる。

 それもそのはずだろう。男女二人が私服で目の前に現れたのだから普通に考えて神妙な思いになるのは当然の結果といってもいいかもしれない。

 昼食時ということもあってか。あたりに監督ぽっい人や、顧問らしき教師も見当たらない。好機と呼べる好機―――絶好のチャンスだ。

「この中で、二年五組の生徒はいる」と唐突な質問に部員一同は豆鉄砲を食らったような顔をしている。

 二年五組という不特定多数の言葉に一同に自分ではないかと困惑をしたのだろうか。

「おい!二年五組!」と部員の学生の一人が声を上げる。

 それに反応してまわりの男子たちが彼女の質問を小馬鹿にするようにケラケラと笑っている。

 誰も名乗りを上げるようなことはしない。 

 うちのクラスメイトでは西原という少女が敵というレッテルがすでに貼られているために、反感意識で出てこないのか。もしくは面倒事に関わろうとしないように出てこないのか。それとも単に在籍しているクラスメイトがいなかっただけという話なのか。

 そんなことを彼を見ながら思っていたら、

「あそこでトンボをしている生徒たちは?」とグラウンドには休んでいる彼らとは違って、縁の下の力持ちのようにトンボで地均している部員を見て西原は彼らに問いかける。

「あぁ、あそこにいるのは・・・一年たちだよ」と上級生か同級生かも分からない部員の一人が答える。

「そう」と彼女は野球部員の中にクラスメイトがいないとがっかりしたのか。諦めてしまったのか少し声がか細かった。

「けど、たしか・・・」と何か思い当たる節でもあるのか。考えている素振りを見せる。「宮島は二年じゃなかったけ」と言葉が続き、彼女の顔は少し晴れたように明るくなった。

「そうすっね。それこそ、宮島は二年五組ですよ」と部員の一人が答える。

「ありがとう」と彼女はそう言ってから、また日中の下へと出た。銀氷に映える丹頂鶴のような肌をああも太陽の下に出してしまっては勿体ないと思ってしまう。

 一方で僕は少し暑いから彼らと一緒に涼もうかなと足を動かすことはしなかった。

 遠目ではあるが、彼女の強い眼差しを感じて僕は渋々日の下に出されて彼女の下へ歩いたが、何かは分からないが僕を急かして、速歩きで彼女の許へとやってきた。

「・・・ついてきなさいよ」と彼女は僕に一喝する。

 そうは言われても肌をさすような正午の太陽が脳天すらも焼くように、頭の黒い砂漠は太陽の下を数分もし歩かないうちに自ら発熱しているかのように熱くなる。

 僕と西原、もう一人、彼が我がクラスメイトの宮島だろうか。制服の防止を目深に被っているせいで誰かと言われなければ、分からないがこんな顔をしたクラスメイトがいたようなという靄がかった記憶の中に彼の顔があった。

 彼は目深に被ったキャップの奥から僕たちを上下を流すようにして見て、怪訝な顔になる。当然だろう彼もまた彼女に対立的な立場を取っている生徒であるなら、そう見られても仕方がない。

「私服で学校に来ると怒られぞ」と彼の最初の一言は思いもよらなかった言葉だった。

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彼女がいなくなる頃に パソコンの起動音 @suzuki1127

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