第22話 アミダサマ

 前の記事で沼田まほかる先生のユリゴコロについて書いたところ、カクヨムで知りあいましたマルマルさんから、アミダサマという小説をご紹介いただいたので読んでみました。記憶と読後のショックが新鮮なうちに、感想を残しておきます。


 できるだけネタバレしないようにとは思いますが、やっぱり少しネタバレしそうなので、読むかもなあという方はご注意ください。


 ある日、主人公のサラリーマン工藤悠人は、自分をいざなうコエを追いかけ、田舎町の産廃処理場にたどり着きます。そこに捨てられた冷蔵庫の前まで行った悠人は、やはり冷蔵庫の中にいる者に呼ばれた住職の筒井浄鑑と出会います。その冷蔵庫には少女、ミハルが裸で眠っていて、悠人は単に運命というような言葉では尽くせないほどの衝撃を受けるのです。


 全編を通じて仏教的な世界観と合わせ、神道的な死後の世界観が重複していて、日常生活の中に不思議な世界が共存しているかのような、そんな感じを受けます。


 そして、伝奇小説にあるようなテレパシーを発する者とテレパシーを受け取る者の設定(作中ではテレパシーとは表現しませんが)。

 さらには、世俗にまみれた普通の人々の穏やかな生活が徐々に侵されていく描写。それが無垢なミハルと対比され、さらに際立つという。


 ぼくは、頭が少し弱いけど心優しい律子という女性がこの小説の中で一番のお気に入りでした。なので、この娘が悠人からDVを受けるシーンは辛かったです。でも、この辺りのくだりで悠人という人間が深掘りされていくのですね。


 この話、どう落ち着くのだろう。そう思いながら最後まで飽きること無く読まされました。不穏な感じがずっと続き、ある意味気持ち悪い部分も多いのですが、沼田先生の筆力なんでしょうね。


 平穏な幸せを選べばいいのに、欲しいものを求め、破滅へと向かう人の業。

 破滅しても、幸せを手放しても、欲しいものを欲し続け、周りの人たちも不幸にしていく。


 そういった人の持つ業としか言い表せないもの。それが、この小説のテーマの一つであるような気がしました。


 最後は、本当に思わぬ展開が待ってます。読後のカタルシスなんてものはありませんが、代わりに不思議な余韻は残ります。作中にずっと感じる不穏な感じも残りますが。


 読んでる時には気づきませんでしたが、後でかなりのエネルギーを消耗していることに気づきました。作者の書きたいテーマの深さ、重さってあるんだなと。そう思いましたよ。

 いやあ、考えさせられました。今回はこんな感じですね。では!!

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