第23話 シン・ゴジラとゴジラ-1.0

 お疲れ様です。先日、ゴジラ-1.0が金曜ロードショーで放映されたみたいですね。

 おまけに、そこで山崎監督による続編の制作も発表されたとのこと。楽しみでしょうがありません(^^ゞ


 で、ですね。このニュースを見ていて、少し思い出したことがあったので、今回はゴジラネタで少し書いてみます


 身近にいるぼくと似た趣向の人によく聞く質問があるんですよ。

 それは「シン・ゴジラとゴジラ-1.0のどっちが面白いと思うか?」ってことです。


 ぼく自身は、ゴジラ-1.0の方が面白かったし、完成度も高かったと思っているのですが、予想に反してシン・ゴジラを推す人が結構多いんですね。


 もちろん、シン・ゴジラを最初に見たときは、ぼくも衝撃を受けた口です。元々、エヴァンゲリオンが好きで、それを作った庵野監督が手がけると言うことで期待しながら見に行って、その期待を超えてきた!と当時は思ったものでした。


 まるで東日本大震災のような理不尽さで、日本を蹂躙していくゴジラと突然の災厄に対応が遅れ、後手後手にまわってしまう日本政府。過酷な現実の中、頑張って日本を守ろうとする志のある政府関係者や科学者、自衛隊の活躍。そして組織からはみ出したような変人・天才たちが集合してゴジラを倒すための作戦を立案していく。


 シン・ゴジラにおいては徹底して人間ドラマを排除する代わりに、ある意味テンプレ的なキャラクターを配置し、物語のスピード感や情報量を重視する演出がなされていて、当時はかっこいいなと思いつつ(やっと、本当に見たかったゴジラを作ってくれたと思いつつ)、やはりどこか物足りなさも感じていたんですね。


 ゴジラ-1.0はぼくがシン・ゴジラに感じた物足りなさを埋めてくれた作品なんです。この映画の本質は、ゴジラの何だかよく分からない怪物的な怖さと主人公の敷島の成長、そして戦後からの復興(日本人のプライドの再構築)という三つの要素を奇跡的なバランスで描いていることだと思うんですよね。


 物語を書く端くれでもあるぼくの目から見ると、こっちの物語の方がエンタメとして優れている……何より主人公の敷島の成長というカタルシスがあると思うんですよ。


 シン・ゴジラの方が面白いと言っている人たちの話を総合すると(あくまでぼくの周囲の人たちですよ)、圧倒的なスピード感や情報量、迫力のある戦闘シーンの演出、ゴジラを倒すに至る過程のストーリー等、映像的・映画的・演出的な特質の差異で、こっちが好みだと言っているような気がします。


 おそらくですが、小説ではない映画というメディアでアウトプットとされているがために、こういうふうに評価が分かれるのかなと。最初にぼく自身がシン・ゴジラを見たときに面白いと思った要素も概ねそういうことだったので、そういった意見に違和感は無いんです。要するに好みの問題だな、と自分の中では消化しています。


 ただ、シン・ゴジラとゴジラ-1.0で共通している要素もあると思ってて。それは何を考えているのか分からない荒神的な脅威としてのゴジラです。シン・ゴジラの放射能熱線も恐ろしかったですが、ゴジラ-1.0の放射能熱線も恐ろしかったですよね。この辺りは、日頃から自然災害に襲われまくっている日本人にしか描けない要素なのかなと思ったりもしています。(※2014年のギャレス・エドワーズ監督版のゴジラも中々にうまく描けていると思いますが、その辺りの不気味さはこの2作には及ばないかと)


 ま。今回はこんな感じです。では、また!

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