いつまでも輝く母へ

黒中光

第1話

 最近、母が輝いている。

 人生を活き活きと謳歌しているとか、世間様から注目されているとか、そんなのではない。

 むしろ逆だ。

 先月、母は亡くなった。まだ六十歳、脳出血で突然倒れてあっという間に亡くなった。お昼に台所で倒れて、休みで家にいたわたしが救急車を呼んで、病院に連れて行ったときにはもう意識が無かった。亡くなったのはその日の晩。親戚が来る時間すら無かった。最期に一瞬だけ目を覚まして「ありがとうねえ」と声をかけてもらえたわたしは、本当に幸運だったと思う。

 今はお葬式も済んで、母は仏壇にいる。

 そんな母が気付いたら光っていた。

 骨壺を包んだ布の下から白っぽい光が出ている。点滅していて、速度や強さはその時々で変わる。気付いたときには随分驚いた物で、他人の骨なら不気味に思うところだろうが、この家に二人で暮らしてきた母のすることだ。少々変わっていても、悪いことじゃないだろう。そう考えて、特に対策をするわけでもなくそのままにしている。

 普段やっていることと言えば、「ご飯に味噌汁、漬物と晩ご飯のおかずを供える」、「起きているときには線香をつける」、「蝋燭の火を絶やさないようにする」。どれもこれも至って普通のしきたり通りのことだけ。

 葬式が済んで一週間、弟夫婦が家にやって来た。母の相続に関する話だ。お惣菜屋のパートだった母が「財産」と呼べるほどの物を遺していないのは皆知っていることだが、揉めないように話し合いがしたいと言うことだった。

 弟が最初に「線香をあげたい」と言うので仏間に通したら、大騒ぎになった。

「姉ちゃんどういうことだよ、これ」弟が顔を真っ赤にして怒鳴り始めたのだ。

 弟夫婦は離れたところに住んでいるので、逐一実家の様子を伝える習慣が無かったから、突然の母の姿に驚いたらしい。特に、今日の母はいつもより眩しく輝いているから尚更だ。自分が最初に気付いたときのことを客観的に見ている気がして、懐かしさやら可笑しさやらがこみ上げてくる。

 だが、落ち着いているのはわたしだけだ。

「お祓いとかした方が良いんじゃないでしょうか」

 強ばった顔で嫁が進言してくる。

「お祓いって、何を祓うの?」

「それは……」

 言い淀みながらも、彼女はお骨に視線を移し、嫌そうに目を閉じる。綺麗に切り揃えられた髪が左右に揺れる。

「姉ちゃん、このままにはしておけないだろう?」

「どうして?」

 弟は「これは良くない」と何度も矢継ぎ早に言い始めたが、何が良くないのかさっぱり分からない。

 専門家に見てもらってどうするというのか。お祓いなんかしたら、祓われてしまうのは、母だ。そんなことできる訳がない。

 母は、弟夫婦とは仲が良かった。弟が帰ってくる度に、彼の好物の唐揚げをこれでもかと作ったし、弟嫁にだって口うるさく言うようなことは全くなかった。

 それが死んだ途端にこれか。わたしは腹立たしくなって、ついぞんざいな口調になってしまった。

「わたしは困ってなんかいないんだから、関係ないでしょ」

 そこから空気は重く淀んだ物に変わる。

 オロオロとみっともなく狼狽える嫁。壊れたレコーダーみたいに繰り言を述べるだけの弟。それら一切を無視するわたし。

 そんな時間がどれほど続いたか。気づくと母の光が弱々しく、不規則になっていた。

「お母さん、大丈夫?」

 声をかけるが光はどんどん弱くなる。こんな姿見たことが無い。光り方も不整脈みたいにたどたどしい。

 ただならぬ声の調子に気付いたのか、弟が一転して心配そうに近寄ってくる。

「大丈夫だよ、お母さん。大丈夫だから」

 姉弟で声をかけ続けると、光はだんだんと落ち着きを取り戻し、見慣れたゆっくりの周期に変わった。

「お義母さん、良くなったみたいですね」

「母さん、ごめんな。変なこと言って、もう言わないから」

 二人とも、元に戻ったお母さんの様子を見て心から安心した表情を見せている。それが嬉しかった。

 遺産の話は落ち着いてからにしよう。そう決めて弟夫婦は帰っていった。

 夕方になり、晩ご飯の時間。

「お母さん、今日は買物行ってないから、あり合わせでいいよね」

 そんなことを尋ねながら返事も期待せずに作り始める。テレビはお笑い番組をつけっぱなしで、ネタに合わせてお母さんは上機嫌に光っている。

 いつもこうだった。テレビを観ながら、お互いの話なんて聞いているような聞いていないような、適当な相づち。生まれたときから一緒にいる親子だから、いちいち真面目に会話なんかしない。

 適当に話して、それでも通じ合えるその距離感が心地よかった。それは失って初めて、自分の土台になっていたんだと知った。

「できたよ」

 小さな皿に麻婆豆腐を載せて仏壇に供えると、お母さんはピッカピッカと光った。

 その表情も、声も聞けないけれど。こうして反応が見られるだけで、お母さんがまだこの場にいてくれるんだと感じられる。

 それは温かくて穏やかな時間。例えるならば、布団の中のぬくもり。

 いつまでも輝くお母さんへ。どうか、もうしばらくこのままでいてください。

「いただきます」

 手を合わせて、二人きりの晩ご飯が始まる。



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