第4話 ほの暗い教室で

 それから何度かその話をした。

 知恵理ちえりは、その音は聞こえるし、それは日が沈む音に違いない、と言う。

 わたしは「気がつかなかった」で通す。

 しかし、わたしが否定するたびに、知恵理は元気がなくなっていくように見えた。

 気弱なはにかみ笑いの時間が減って、難しい、不機嫌そうな表情の時間が増えて行く。


 それで、わたしは妥協した。

 ひと工夫案じた。

 日が暮れるのが早くなって、五時にもならないうちに日没時間を迎えるようになったある日、

「じゃあ、今日、日が沈む時間にいっしょに聴いてみよう」

とわたしから提案したのだ。


 教室の向きのせいもあって、早くからほの暗くなってくる教室。

 窓の外は、西日の赤い色と、もう陰になってしまった暗い色とが入り混じっていた。

 電気をつけていない教室のなかも、暗いオレンジ色が弱々しく反射して来るだけだった。

 手もとすら暗く感じる。

 そんな教室で、わたしと知恵理は、いっしょにお弁当を食べるときのように、机を向かい合わせにして、待った。


 知恵理は教室の時計を背にしていて、腕時計もはずしていた。

 わたしだけが時計を見ている。

 あらかじめ調べておいた日没の時間。

 わたしは表情を変えないようにして、ぼんやりと知恵理のセーラー服の胸当てのあたりに目をやっていた。

 「あ」

 ふいに知恵理が言った。

 「聞こえた」

 魂が抜けたような、不確かな声だ。

 「「ことっ」っていった」

 その気力のない声を出した後、斜め上に目を向けて、わたしの顔を確かめる。

 「わたしは、「ぽんっ」って、川に石を投げ込んだときみたいな音」

 知恵理はその目をぱっと見開いた。

 「聞こえたの?」

 「うん」

 「じゃ、時間、調べてみよう」

 わたしがあらかじめ日没の時間を調べていることは伝えていない。

 知恵理はスマホでどこかに接続して確認していた。

 「やっぱりそうだ」

 知恵理は目を輝かせた。

 「いま、わたしと志麻子が音を聞いた時間が、日没時刻だ」

 知恵理の顔は、しばらく失っていた気弱そうな笑いを取り戻した。

 頬も艶々つやつやあやくなったようだ。

 わたしはため息をつきながら、言った。

 「よかった」


 もちろん、「ぽんっ」なんて音は聞こえなかった。

 そう言って話を合わせておかないと、知恵理はわたしからも離れて、ほんとうに孤立してしまう。

 だから、あんな話をした。

 同じ「ことっ」ならわざとらしい。だから、少し変えよう、と思って、「ぽんっ」という音を選んだ。


 ところが、それが事態をかえってややこしくしてしまう結果になるとは、神ならぬこの身の知るところではなかった。

 ……ということなのか。

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