教皇

      【九日目】


「ルカ、もっかい……」

「ノート、俺、もうそろそろ限界だよ……」

「だ〜めっ! もっかい!」

「くっ! 仕方ねえな、ほ〜らっ!」

「あん♡」


 俺の上に跨っているノートを、反動で身体が宙に浮くほど押し上げた。


「これでオールアウトだ……くうっ!」パタン。

「はい、おつかれ〜♪ 良く頑張ったね〜」


 ノートを背中に乗せての腕立て伏せ。朝から筋トレに余念はない。


 俺たちはノートの部屋に忍び込んでいるのがバレないように、早朝のうちから中庭へと繰り出して、筋トレに勤しんでいた。


 ノートは寝てれば良いのに、どこかで姉ちゃんズが狙っているかも知れないからと、俺について来た。


 筋トレが済んだらジョギングだ。


 俺はノートを担いで門番に外出をする旨を伝えて、神殿の外へと飛び出した。


「ルカ凄い! 速いはやーい!!」


 俺のジョギングは全力疾走だ。神殿を出るなりトップスピードで走る。

 ウルザルブルン神殿はウルズの泉のほとりに建てられている。俺はウルズの泉を一周しようと、遊歩道を駆けた。

 まだ外は薄暗いのだが、神官見習いの若者たちが、神殿各所やウルズの泉周辺の清掃を始めている。


 朝のすんとした空気が少し冷たいが、火照った身体に気持ちいい。泉に波は無く、澄んだ水の中に魚影が見える。

 アスガルド皇国は山頂にある為に、植物は確認できるが、高木は見当たらない。せいぜい人の背丈程の木がある程度だ。


 ノートは軽いので、師匠の様な負荷はない。しかし、こうして人を背負って走るのは、何だか懐かしいものだ。


「ノート」

「……」

「寝てるのか?」

「ん……んん……」

「ふふ。よく寝れるよな……」


 ……。


 ウルズの泉の対岸まで行くと、ウルザルブルン神殿とアスガルド大聖堂を同時に見ることが出来る。

 この景色、母ちゃんも見てたのかな?


 スラムで垣間見た母ちゃんは、とても美人で優しそうな人だった。母ちゃんは俺を産むために、帝国の城塞を抜け出てスラムで殺された。その時母ちゃんは、俺と聖剣を父ちゃんに託したと言う。聖剣の事を黙っていたのは、俺の存在が帝国にバレないようにするためだったのだと理解した。


 母ちゃんが、命を賭して繋いでくれたこの生命いのち。簡単に散らすわけにはいかない。

 父ちゃんもそうだ。俺が一人でも生きて行ける様に育て上げ、帝国に捕まってしまった迂闊な俺の行動を咎めもせず、命を懸けて俺を助けに来てくれた。

 ノートだってそう。自分の危険を顧みずに、あの教皇に会いに行った。そして、再び危険を冒してまで、俺を助けてくれた。

 姉ちゃんたちもきっと同じだろう。俺の為に危険をその身に受けている。


 俺の生命いのちは多くの人に支えられて繋がれた生命いのちだ。


 アズラエルなんかにくれてやるものか!


 俺はそんな、何の根拠もない決意を胸に、アスガルドを走り続けた。



✻     ✻     ✻



──アスガルド大聖堂・王室


 俺とノートは大司教の先導のもと、教皇に会うために王室へと通された。


 王室には対外用のソファが設けられており、教皇が座っている。頬がひどく痩せこけて、やつれている。何日も眠ってないかのように、眼下にクマを作り、顔色も悪い。

 まあ、帝国に負けて政権は実質帝国に奪われたようなものだ。すぐに大臣が派遣されて、圧政が始まる、いや、もう既に始まっているのだ。アスガルドの民にもう自由はない。政策に口を挟む事が出来ない教皇は、王室で指を咥えて観ていることしか出来ないのだ。


「そなたがルカか……先ずはよく来た。私がこのアスガルド皇国の教皇・レオンハートである」

「……ルカです。俺の母さんは確かにヘレンと言う名前でしたが、こちらの皇女様だったかどうかはわかりません。なのに本日はお目通し頂いた事、感謝します」

「うむ。もう教皇と言う肩書も意味をなさぬ。そう硬くならずとも良いぞ、ルカ殿。そしてそちらはノートと申されたか、確かにヴァン神族の特徴が見られる。クヴァシルはじきに来るであろう。何も無いがゆっくりとしてゆくが良い」

「うん!」

「おい、ノート?」

「うふふ。あら、ごめんなさいね? 私はレオンハートの妻・ネメシス。この国の皇妃です。ルカさん、ノートさん、どうぞゆっくりとくつろいでくださいね? 私の作ったお茶菓子も用意してあるのよ?」

「わーい、ありがとう!」

「うふふ。ノートちゃん……あ、ノートちゃんと呼んでもよろしくて?」

「うん、いいよ?」

「わあ、ありがとう♪」


 明るく振る舞ってくれているお妃様も、どこか疲れている様子だ。ずっと帝国の侵攻に気を揉んで来たのだろう。


「それにしても……よく似ておるのぉ……しかし、まさか天帝が魔族だとは……」

「ええ、ええ! 特に目元なんてヘレンにうり二つですわ!? これは疑いようもなく、ヘレンの息子、即ち私たちの孫、と言うことだと思って良いかと。魔族の血は、別に悪魔の血と言うわけではないわ? 私は孫に角が生えていようが、羽が生えてなかろうが構いませんことよ?」

「うむ。お前がそう言うのであれば、正当にルカ殿を我ら皇族の家族に迎え入れても良い。どうだ、ルカ殿? どうか、我々の孫になってはくれぬか?」


 ……。


「……駄目か? 何か懸念があるのなら申してみるが良い。それとも時間が欲しいと言うのであれば、ルカ殿が決心がつくまで、待つ気でおるが?」


 俺はどうしたい? ノートはどうだろう? いや、それよりも……。


「猊下。俺は……アズラエルの呪いにかかっております。本日含めて余命四日。勿論抗ってみせましょう。しかし、まだ見ぬ未来は分からぬもの。猊下はそれでも構わない、と申されますか?」


 教皇は落ち込んだ目を大きく見開いて、まっすぐに俺を凝視する。


「真に。首元のその紋様……確かにアズラエルの呪い、呪痕のようだ……。何と哀れな、何と呪われた運命か!? この老いさらばえた身で良ければ、代わってやりたいが……」

「ルカ……あ、ごめんなさいね? ルカと呼んでも良いかしら?」

「構いませんよ、皇妃さま」

「ではルカ。家族だけの時は皇妃、教皇はやめてちょうだい?おばあちゃん、おじいちゃん、と呼んで欲しいわ?」

「それは……ちょっと……」

「何を言ってるの? 貴方がアズラエルの呪いにかかっていようが、あと数日の命だろうが、鬼子であろうが、私たちの孫であることに変わりないでしょう!? そうでしょ、レオンハート?」

「うむ。ネメシスの言う通りだ。ルカよ、我らの孫として、家族になってもらえないだろうか?」

「いいのか?」

「いいも何も、こちらが望んだ事だ。そなたが良けれ──」

「──反対です!!」


 俺たちの背後から大きな怒声が飛んで来た。


「俺は反対です、父上! 良く考えてくださいよ!? 天帝の血ですよ!? この皇国を滅ぼした、あの憎っくき帝国の!! 忌々しい鬼子め……」

「クリストファー!」


 教皇がクリストファーを制するが、彼の怒気は収まらない。


「ルカと言ったか!? お前の父親は魔族だ! 我ら神族の敵だ! 我が家臣たちが、多くの国民がヤツの毒牙によって殺されたのだ。 例え我が妹ヘレンの血が流れていようと、天帝に穢された血が、いつ我らに牙を剥くとも知れん! この羽を見ろ!! 帝国は我らの誇りを辱めた!! お前らも見たはずだ!! 神殿に並ぶ悲しい列を!! なのに居丈高によく顔を出せたものだな!? 恥を知れ!!」

「クリストファー!! ……もう良い。お前の気持ちは解った。だが、この子たちに罪はないのだ。その辺にしておきなさい」

「しかし──」

「──わかりました!」


 俺は立ち上がる。


「猊下の御前だぞ、頭が高い!」

「良いのだ、クリストファー……」


 俺はまっすぐにクリストファー殿下を見た。

 殿下は一瞬怯むも、こちらを睨み返してくる。

 俺はひとつ笑い、ノートに振り返る。きょとんとするノート。


「ノート」

「ん」

「あの羽、頼めるか?」

「ん! わかった!」


 ノートが殿下の前に進み出る。


「な、何をする気だ!? 来るな!!」

「ここでいい」


 ノートは左手でペンダントを握りしめ、右手を殿下にかざした。


「殿下、ご安心ください。回復魔法です」

「何を!? この羽は神殿の大神官でも──」

「──うるさい! 黙って見てて!コノヤロー!!」


 ノートはそう言うと、ブツブツ呟いて。


「アイフヘモヲスシ!!」


 ノートの指先から光の粒が放出されて、殿下のクリッピングされた羽の先端部へとまとわりつく。光の粒が発光を強めて、みるみる光が伸びて、欠損した羽の先を補う長さになったかと思うと、次第に光が霧散して、殿下の翼を見事に回復して見せた。


「……なっ!?」


 ノートがドヤ顔で胸を張っている。まあ、それくらいの事をしてのけているのだから、当然と言えば当然だろう。

 そして俺は殿下に跪き、頭を下げた。


「殿下。俺は帝国をぶっ潰します。そして、このアスガルド皇国を解放してみせます」

「そ、そんな事が出来るものか!! 相手は剣聖ギルバートだぞ!? そう言って油断させて何をする気だ!? この鬼子が!!」


 殿下は俺を見下して罵倒した。

 俺は徐ろに顔を上げ、クリストファーを睨め付け、ぶわり、と剣気を放つ。

 ぴりり、と空気が凍てついた様に硬くなり、誰一人動けなくなった。

 俺はゆっくりと立ち上がり、一歩、殿下の方へ進み出た。


「俺の父は剣聖アルマンド、唯一人。 父ちゃんの剣が、ギルバートに届かないわけがないだろう!? 負け犬は黙ってそこで見てろ!!」


 ひっ、と上擦った声を上げて尻餅をつくクリストファー。

 俺は教皇へと振り返り、自分の胸に拳を掲げた。


「教皇様。そして皇妃様。今はそう呼びましょう。

 俺は父ちゃん……育ての親、剣聖アルマンドの息子、ルカ・シグルズ・ベオウルフを名乗ります。

 しかし帝国を滅ぼした暁には、猊下とお妃様をおじいちゃん、おばあちゃんと呼ぶ事をお許しください。

 そして、母ちゃんの話をたくさん聞かせてください。

 ……俺は、それ以上の事は何も望みません」


 皇妃は涙を浮かべて口を塞ぎ、教皇はまじまじと俺を見つめて立ち上がった。


「何と言う健気……何と言う覚悟か!? きっと呪われた辛い人生を歩んで来たのであろう。その上、アズラエルの呪いを背負い、なおも帝国を討ち滅ぼすと言う重責を負うと言うのか……!?」

「あんたたちの為にやるんじゃない。これはこの俺と、ここにいるノートの為にやるだけだ!」

「そーだそーだ!コノヤロー!!」


 王室が静まり返る。


 そして、教皇が口を開いた。

 

「解った。ルカよ、そなたの思うままにしよう。何か必要なモノがあればなんでも用意しよう。助力は惜しまない。

 ルカ……私は……私は……」

「猊下。俺は大丈夫です。見ていてください。必ず、ご期待に応えましょう!」


 刹那、皇妃が走り、ルカを抱きしめた。


「ルカ! ルカ……ごめんなさい。ごめんなさいね……。あなたばかりにこんな……こんな……うっ……」


 ぎゅう、と強く、強く抱きしめて、嗚咽を漏らし、身体を震わせている。

 母ちゃんが生きていたならば、こんな風に俺を抱いてくれたのだろうか。


 俺は……。


 俺は、やるべき事をやるだけだ。

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